(80)新たな繋がりを生み出すきっかけー森田実『一期一縁』を読む

相次ぐご縁の連鎖の発端

 引退後に時折上京する際に、滞在時間中に様々な人たちとお会いし、旧交を温めたり仕事上のお付き合いを重ねるが、そのうちのひとりに第三文明社の社長の大島光明さんがいる。二つ年上の怖い先輩である。この人と初めてあったのは昭和40年代の後半だからかれこれ50年に及ぶ。新聞記者や団体役員、出版社の社長を経て80歳にしてようやく現役をひかれたというから凄い。節目ごとにご指導をいただいてきた。先年、ご自分の社で出版している月刊誌で佐藤優氏の対談が始まっていることから、彼と会われることもしばしばあるようだ。いつぞやの上京の際には佐藤さんのことをあれこれ語り合った。その際に帰り際に同社発刊の書物を数冊戴いた。その中に、森田実『一期一縁』があった。森田さんも佐藤さんと同様に、いやもっと前から公明党に対してまことに得難い応援の旗を振り、確かなる励ましの発信をしていただいてきた。

   公明党兵庫県本部でわたしが代表を務めていた頃に幹事長として長く支えてくれた野口裕元県議は、この森田氏とかねて親交があった。しばしば森田さんを兵庫に引っ張ってきてくれて、講演などをしていただいたものである。森田さんとはそうした私の先輩や後輩とのご縁はありながらも、直接のつながりはなかった。ところが、不思議なことにたまたま私が購入して読んだ姫路の同人誌『播火』がご縁でしっかりとつながりが出来た。『播火』は姫路で作家活動を続ける柳谷郁子さんが主宰する同人誌だが、わたしも時々目にすることがある。今回は、私の元秘書が初めて寄稿したものが掲載されていると知って、真っ先に手にしていた。

全学連の闘士からの変身

    『播火』巻頭のエッセイを開いて驚いた。いきなり、そこには森田実さんの『一期一縁』の中の「われは湖の子」が登場しているではないか。柳谷さんは諏訪湖のそばで生まれ育ったひとなのだが、森田さんの『一期一会』で諏訪湖のくだりを読んで思わず懐かしい故郷のことについて思いを馳せ、筆をとられたようなのだ。「湖(うみ)とは諏訪湖のことである。海のない長野県の諏訪では諏訪湖を湖(うみ)と呼んでいた、とある。私もそう呼んで育った」から始まる文章はなかなか美しい筆致で読む者に感激を呼び起こす。このひともそして元姫路市議だった夫君も(共に早稲田大出身)私はよく存じ上げているだけに興味深く一気に読んだ。何よりもこの森田さんの本は、ご主人が本屋で見つけて、この諏訪湖のくだりを広げて彼女に見てみなさいと差し出されたというところに感心した。夫唱婦随の典型のように感じられ、麗しい思いがしたからだ。

   こうして柳谷さんのおかげで、大島社長からいただいたままになって書棚に積まれていたこの本を引っ張り出して読むことになった。「われは湖の子」から始まって、「平和」と「出会い」についての二章からなる本を読んだ。第一章では全学連の闘士だった頃の森田さんについての生きざまが分かるし、第二章ではその後の彼の人生における交友関係がよく分かる。まさに一人ひとりの人間を大切にして関係を大事に育て上げられる人柄が彷彿としてくる。直ちに大島先輩に連絡し、森田さんの事務所の連絡先を聞いた。ファックスを送り、柳谷さんのエッセイについてお伝えした。すぐさま、森田さんからは「柳谷郁子さんの美しい文章を読み、感動しました。『播火』を読みたいと思います。私のHPの読者の中には地域の同人誌を発行している方もいますので、『播火』を紹介したいと思います」とあった。

   森田実さんは90歳を過ぎて亡くなられる少し前まで、お元気で公明党がいかに素晴らしい政党であるかについて語ってくださっていた。イデオロギー華やかなりしころの一方の旗頭だっただけにその論調はただならぬ重みを持っていた。佐藤優さんと並び立つもう一人の巨大な「諸天善神」的存在だった。柳谷郁子さんは、姫路に拠点を持ち作家活動を今なお旺盛に続けている。先年お会いした時に、黒田官兵衛にまつわる書物を著わしてほしいとの地元のファンの方々の要請を受けているとのことであった。

 この人の先のエッセイの末尾には「その湖畔で育った私はどうしても書きたい小説の構想を抱いたまま未だ果たせないでいる。題名だけは揺るぎなく決まっているのだが」とあった。私より8歳ほど年長だと思われる方だが、いやはや年齢を感じさせぬ創作意欲は凄まじい。遅れて歩むものたちにとって大いに励みになる。

他生のご縁 姫路と諏訪湖の結びつきに陰の役割

 私は、ここで述べたように、森田実氏と柳谷郁子さんの文字通り「一期一会」の繋がりを果たして差し上げたことになります。嬉しい忘れ難い思い出です。もとを正すと、そのきっかけは、第三文明社の大島光明社長です。

 その大島さんが先年姫路に来られた際に、柳谷さんと3人でお会いしました。ここに森田さんが加わると、いいなと思い、口にもしたのですが、果たせないまま、森田さんは他界されてしまったことは痛恨の極みです。

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