相次ぐ〝ご縁の連鎖〟の始まり
上京する際には、滞在期間中に様々な人たちと旧交を温めたり、取材上のお付き合いを重ねる。第三文明社の大島光明さん(前社長)もそのうちのひとりだ。二つ年上の優しくも怖い先輩である。初めて会ったのは昭和40年代の後半。かれこれ50年前のことになる。新聞記者を皮切りに、団体役員、出版社の社長などを経て、80歳にして現役を退かれた。先年、同社にお邪魔した帰り際に同社発刊の書物を数冊戴いた。その中に、森田実『一期一縁』があった。この人は、元学生運動の闘士。晩年は一転、公明党の支援者になられ、得難い応援の旗を振って頂き、確かなる励ましの発信をしていただいてきた。
公明党兵庫県本部で私が代表を務めていた頃に幹事長として長く支えてくれた野口裕元県議は、この森田氏とかねて親交があった。そのご縁でしばしば森田さんを兵庫に招き、講演をしていただく機会があった。だが、私自身は直接のつながりはなかった。ところが、姫路の同人誌『播火』がご縁になって、思いがけず人とひとを結ぶきっかけを作らせて頂いたことは忘れがたい。『播火』とは、姫路在住の作家・柳谷郁子さんが主宰を務めてきた雑誌で、姫路の文学好きに知らぬ人はいないすぐれものの媒体である。
偶然は重なる。ちょうど同じ頃、私の現役時代に地元秘書として20年も支えてくれた瀬川典也君(故人)が『播火』同人となって哲学論考を発表したと聞いた。それを見ようと駅前の書店で立ち読みして、驚いた。その号の巻頭エッセイに、柳谷さんが森田実さんの著作『一期一縁』からの引用をしていたのを発見したのだ。
後で知ったことだが、柳谷さんの夫君(元姫路市議)が、これまた偶々書店で『一期一縁』の中の「われは湖の子」のくだりを立ち読みして、諏訪湖のそばで生まれ育った妻に見せようと買って帰ってきたというのだ。それを見た郁子夫人は、懐かしい故郷のことについて思いを募らせ筆をとられたようなのだ。ここでいう湖(うみ)とは諏訪湖のこと。「海のない長野県の諏訪では諏訪湖を湖(うみ)と呼んでいた、とある。私もそう呼んで育った」から始まる文章はなかなか美しい筆致で、読む者に感動を呼び起こさずにはおかない。この人も、そして夫君も(共に早稲田大同窓)、私はよく存じ上げているだけに興味深く一気に読んだ。
全学連の闘士からの変身
こうして柳谷さんのおかげで、大島社長からいただいたまま書棚に積まれていたこの本を引っ張り出して読むことになった。「われは湖の子」から始まって、「平和」と「出会い」についての二章からなる本を読み進めた。第一章では全学連の闘士だった頃の森田さんについての生きざまが分かるし、第二章ではその後の彼の人生における交友関係が胸に迫る。まさに一人ひとりの人間を大切にして関係を大事に育て上げられてきた人柄が彷彿としてくる。直ちに大島先輩に連絡し、森田さんの事務所の連絡先を聞いた。ファックスを送り、柳谷さんのエッセイについてお伝えした。すぐさま、森田さんからは「柳谷郁子さんの美しい文章を読み、感動しました。『播火』を読みたいと思います。私のHPの読者の中には地域の同人誌を発行している方もいますので、『播火』を紹介したいと思います」とあった。その後のお二人の交遊は深く胸を打ち魂を揺さぶられる。
森田実さんは90歳を過ぎて亡くなられる少し前までお元気で、公明党がいかに素晴らしい政党であるかについて語りに語ってくださっていた。イデオロギー華やかなりしころの一方の旗頭だっただけにその変身後の論調はただならぬ重みを持っていた。かの佐藤優さんと並び立つもう一人の巨大な「諸天善神」的存在だった。
柳谷さんは、姫路に拠点を持ち作家活動を今なお旺盛に続けている。先年お会いした時に、黒田官兵衛にまつわる書物を書いてほしいとの地元の方々の要請を受けているとのことをにこやかに語られていたものだ。前述のこの人のエッセイの末尾には「その湖畔で育った私はどうしても書きたい小説の構想を抱いたまま未だ果たせないでいる。題名だけは揺るぎなく決まっているのだが」とあった。私より10歳近く年長の方だが、いやはや年齢を感じさせぬ創作意欲は凄まじい。遅れて歩むものたちにとって大いに励みになる。
【他生のご縁 姫路と諏訪湖の結びつきに陰の役割】
私は、さきに述べたように、森田実氏と柳谷郁子さんの文字通り「一期一会(縁)」の繋がりを実現して差し上げたことになります。忘れ難い嬉しい思い出です。もとを正すと、そのきっかけは、第三文明社の大島光明前社長です。
その大島さんが先年姫路に来られた際に、柳谷さんと3人でお会いしました。ここに森田さんが加わると、いいなと思い、口にもしたのですが、果たせないまま、他界されてしまったことは痛恨の極みです。