◆欧米文明を無批判に受け入れてきたことへの疑問
先の大戦が「国家滅亡」と言っても過言ではないかたちで決着を見た、あの「8・15」から78年の歳月が経つ。かつて、安倍首相の「戦後70年談話」の文案をめぐって、あれこれと取り沙汰される中、私も改めて「歴史認識」を考えるよう努めたものである。8年前頃に出版された服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』を手にした。近頃、本の結論部分を先に読んで、その本の値打ちを図る癖がついていることもあって、終章の「歴史問題に出口はあるか」を真っ先に読んだ。だが、自分の理解力不足からか、なかなか没頭できなかった。外交面に絞った「歴史認識」をめぐる記録としての資料的価値は大いに認めるものの、読み物としては、あまり面白いものとはいえなかった。そんな折もおり、大沼保昭『「歴史認識」とは何か』が著者ご本人から送られてきた。かねて様々な機会に教えを乞う機会があった、尊敬する大沼東京大名誉教授のものとあって、これは貪り読んだ。もちろん、終章から。
「歴史認識」問題は克服できるか、との見出しで始まるこの本の結論部分はなかなか読ませる。「非欧米諸国が経済力をつけ、国際的発言を高めていくなかで、これまで日本が中国や韓国から批判されてきたような構図が、こうした国々とかつての植民地支配国である欧米先進国との間でみられるようになるかもしれない」──明治維新に端を発し、日清・日露の勝利から昭和の戦争の敗北へという、日本近代の負の側面を思うにつけ、このところの私は、先行してきた欧米文明を無批判に受け入れてきたことの過ちに、思いをいたすことが多い。勃興するアジア披植民地国家によって、かつての欧米宗主国はやがて批判の矢面にたたされざるをえなくなるかも、との大沼さんの予測は的中する可能性が高い。遅れてきた帝国主義国家日本が先に受けた〝洗礼〟は、先行く国家群も必ずたどらざるを得ない道として。
◆やくざな国家群が入り乱れる複雑な国際社会
この本はジャーナリストの江川紹子さんの質問に大沼さんが答えるという形式をとっており、きわめて読みやすい。行動する学者として、様々な運動に携わってきた大沼さんは、溢れ出る感情を時に隠さず対象にぶつけてきたひとでもある。この本でも、そのあたりの人間・大沼保昭が随所にドラマティックに顔を出し、大いに引き込まれる。「東京裁判」をめぐる記述の中で、インドのパル判事の「日本無罪論」は誤りだとして、いわゆる「常識」的な見方を批判する一方、オランダのレーリンク判事の生き方を、示唆に富むものとして評価をしているところは興味深い。
冒頭部分で、著者は「現実の国際社会が単純明快に回答をだせるものではない」というある種〝当たり前の見方〟を提示している。一方、結論部分で「大部分の人間は俗人」「国家というのは『非道徳的な社会』(ラインホルド・ニーバー)ですから、人間よりももっと悪い行動を取る」「世界で生きていくうえで、わたしたちは『よりましな悪』を求め、それを積み重ねていくしかない」との含蓄ある見方を披歴している。わたし風に国際社会なるものを言い換えると、「やくざな国家群が入り乱れて生息している複雑きわまりない社会だ」ということになろうか。ともあれ、品行方正なる存在とは程遠い国家に、過度な期待を抱いてはならないといった見方がこの本の基底部をなしているように私には思われる。
元慰安婦とのやりとりを紹介した一行には思わず涙せざるを得なかった。慰安所で重い病気にかかった時に、日本の軍医が一所懸命に治療をしてくれたというくだりだ。そのことを彼女は「大沼先生ね、わたしを地獄に連れてったのは日本人だった。でも地獄から救ってくれたのも、日本人だった」と語った、と。この言葉に日韓の関係の多くが集約されているような気がしてならない。
「歴史認識」を今の時点で考えるうえで、この書物はとても得難い深い内容を含んでいる。多くの若い人たちに読むことを勧めたい。私は衆議院議員として、外交・安全保障の分野での議論に数多く参画した。しかし、「人権」をめぐる大沼さんの闘いには、残念ながら殆ど〝参戦〟できなかった。何人かの他党の先輩議員の協力的活躍が紹介されているくだりを読むにつけ、〝不戦敗〟だった自分を恥じざるをえない。
【他生のご縁 9-11直後に大沼宅でJ・カーチス氏交え懇談】
同い年だった大沼保昭さんとの思い出は数多くありますが、中嶋嶺雄先生のアジア・オープンフォーラム京都会議が初の出会いでした。立食パーティで、しばし話し込みました。以後、「9-11」直後に大沼さん宅に招かれて、政治学者のジェラルド・カーチス氏とご一緒したことは忘れられません。米国人の怒りを直接リアルに思い知らされた場面でした。
東京大学での最終講義にも駒場キャンパスまで聞きに行きました。また愛娘の瑞穂さんが参議院選に出馬する際には、あれこれと先輩議員としてのアドバイスもさせて貰いました。こうしたお付き合いのベースには市川雄一さんと大沼さんとの信頼関係があり、私はそのお相伴役に過ぎませんでした。