国会に席をおいていたころに海外に行く機会がたびたびあった。ヨーロッパでは圧倒的にドイツに行ったケースが多い。イギリス、フランス、スペイン、スイス、ノールウエー、ポーランド、オーストリア、イタリアなどそれぞれ一度づつだが、ドイツだけは5回ほどになる。どこへ行くのにもここを経由しないとならないこともあってだが、それだけに思い出も多い。もはや忘却の彼方だが、時に応じて記憶の底から蘇ってくる。そんな中で、たった一度だけ、ドイツに長年住む学生時代の友人と公的行事が終わった後、私的な旅を試みたことがある。その時に、とある街中を夜半に歩いた折、私がたまたまナチスの話題を口にしたところ、彼が表情をこわばらせ、色をなして止めにかかってきた。抑えた口調で、「その話題は御法度だよ。ひとに聞かれるとまずいことになる」と。それまでの雰囲気と一変したその異常さに恐れをなして、さすがの私も押し黙った。以後、話題にもせぬまま幾年月が経った。これには、ドイツ語ではなく日本語でしゃべっただけなのに、どうしてなのかと、未だにいささかの疑問が残っている▼ドイツと日本は先の大戦の戦後処理の違いをめぐって対比されることが多い。敗戦国同士ではあるが、戦後復興の華々しさなどでは共通する点も多い。ベルリンの壁がなくなり、東西ドイツが統一されて30年近くが経つ。この70年の月日で、隠忍自重という言葉がこの国ほど似つかわしい国は無いように思われる。それが今や変質して大きく姿を変えようとしているのではないかとの思いを抱かせる面白い本を読んだ。エマニュエル・トッド(堀茂樹訳)『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』という新書だ。著者はフランスの人口学、家族人類学者。これまで、「ソ連崩壊」や「米国発の金融危機」さらには「アラブの春」を次々と的確に予測してきた。タイトルはかなり大げさではあるが、この本ではドイツの台頭の意味するものを明確にとらえることを提唱していて興味深い。一言でいえば、グローバル化した世界の中で、アメリカとドイツという二つの大きなシステムの真正面対立を予言しているのだ▼私たちは、第二次大戦後の冷戦期を通じて、「米ソ対決」というドラマを見慣れてきた。「ソ連崩壊」の末、冷戦後は、「アメリカ一極論」とか「米中対立の脅威」といった囃子言葉に惑わされがちである。トッド氏は、そういう見方に疑問符を投げかけ、アメリカの力の翳りを見定め、中国の張り子の虎ぶりを見抜く。曰く「いたるところで、つまりヨーロッパにおいてだけでなく世界中で、アメリカのシステムにひびが入り、割れ目が出来」ているとする一方、「中国はおそらく経済成長の瓦解と大きな危機の寸前にいます」と。要するに、アメリカの没落に比例する格好でドイツの興隆に眼を向けるべきことを、隣国フランスの知識人特有の冷徹なまなざしで指摘しているのだ。そして、そういう事態の契機となるのは、ウクライナ危機であり、その危機の帰趨であるという。「最も興味深いのは『西側』の勝利が生み出すものを想像してみること」であり、「もし、ロシアが崩れたら、(中略)おそらく西洋世界の重心の大きな変更に、そしてアメリカシステムの崩壊に行き着く」と強調する▼ロシア嫌いの知識人がアメリカでは多いために、ドイツの脅威を見誤っているとの懸念はなかなかに面白い。一般的に欧米という言い方があるように、またEUとひとくくりにされるように、欧州をまとまっている一つの存在と見がちだが、その実情は全く違うことが改めて良く分かる。ここでは随所にフランスの政治指導者のいい加減さが姿を見せたり、独仏の違いが強調されて極めて分かりやすい。例えば、フランスでは、スピード違反を摘発しようとして憲兵たちが道路わきに隠れていると、「フランス人の軽犯罪者コミュニティというべきものが自然発生し、対向車線でヘッドライトを点滅させ、気をつけろよと教えてくれる」として、助け合いの精神が出てくる。一方、ドイツでは、誰かが違法駐車していると、近所の人が警察を呼ぶとして、フランス人にはショッキングな話だとして紹介している。これって両国の国民性を表していて面白くはあるが、かつて双方を経験した私などには、いかにもステロタイプ的しわけに見えてしまう。どの国でもどっちも混在しているのではないか、と思われるがどうだろうか。ともあれ、最近の独仏事情が浮き彫りにされており、大いに刺激的な本だ。(2015・9・5)