時代を図形で捉えるー実にユニークな発想の本を発見、一気に読んだ。保坂正康『昭和史のかたち』である。図式イメージはすべての理解を助け、早める。かつて私は創価学会という組織を三角形ではなく、円形で捉えることの大事さに気づいた。「組織の頂点や底辺」という言い回しは三角形やピラミッド型を連想させ、暗く重苦しいイメージが付きまとう。それに比べ、明るい躍動的な組織を説明するには、円や球こそが望ましい。民主的組織のリーダーは円の中心にあり、最前線のメンバーは円周上の人々だ、と。遠心力や求心力も組織にとって欠かすことができない力として説明できる、という風に。物事を図式化することは面白い▼保坂さんはこれを歴史理解に適用した。例えば、昭和史を大まかに捉えるにあたり、昭和元年から20年9月2日の無条件降伏の日までを前期。それから昭和27年4月28日までの米軍占領期間を昭和中期。そして独立を回復した日から昭和天皇が崩御した昭和64年1月7日までを昭和後期とする。これらを三角錐の三つの表面体として捉え、それぞれの時代の中心人物に、東条英機、吉田茂、田中角栄を当てはめる。そして三角錐の底の面にはアメリカ、空洞部分には天皇の存在があるとする。3人の首相経験者にはそれぞれ獄につながれた経験を持つ共通点があり、アメリカとの関係が日本の指導者にとって致命的な意味合いをもつことを明らかにしていく▼この本の最大の焦点は、三章の「昭和史と三角形の重心」だ。明治憲法下では、三角形の頂点に天皇、ほかの二辺にそれぞれ統治権と統帥権とで正三角形を形成していた。それが軍部勢力の台頭により、統治権よりも統帥権が上位に立ち始めるという形で重心が移動し、やがて頂点に位置する天皇をも超えてしまう。いわゆる「統帥権干犯」という事態を惹起するわけである。このあたり、実際に図式で説明をすると実に分かりやすい。こうした正三角形から歪な図形へと変わりゆく姿こそ、昭和前期の天皇から軍部への重心の移動を示して余りある▼保坂さんは、この本で「遠くなりゆく『昭和』を、局面ごとの図形モデルを用い」ながら、「豊富な資料・実例を織り込み、現代に適用可能な歴史の教訓を考え」ていく。ただ、おわりにのところに「戦後七十年の節目に、無自覚な指導者により戦後民主主義体制の骨組みが崩れようとしている」として、ステロタイプ的な批判の言葉を投げかけているのは、いかがなものか。「集団的自衛権の行使を可能にした」安保法制の制定は、「戦後民主主義体制」の一側面を修正強化しこそすれ、骨組みは壊されたりしようとしていない。むしろ、そこでいう「体制」の実態とはなんであるのかが問われるべきだと思う(2016・1・17)