ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅(60)

東京オリンピックから50年。そして今再びの2020年のそれまで、あと6年。思うことは多い。そんな折も折、日経新聞でベラ・チャスラフスカさんのインタビュー記事「東京五輪からの半世紀」を読んだ。彼女は1968年の『プラハの春』へのソ連の介入で、スポーツ界から追放されるという憂き目を見てより20年にも及ぶ弾圧を経験する。ようやく89年のビロード革命で復帰したのも束の間、今度は長男が、離婚をした夫を死に至らしめるという不幸な事件に遭遇し、それを機に心身を病み長い療養生活を送る。ようやく5年ほど前に立ち直ったという。今ではチェコオリンピック協会名誉会長として活躍、東京五輪開催を後押しする。まさに起伏の激しい50年だった。「逆境にも自分を信じて 報われる日は来る」という見出しが心を打つ。彼女は「私の体操、半分は日本生まれ」という。それほど日本との関係は深い。この人を思うにつけ、私は日本びいきの幾人もの外国人を連想する▼なかでも最大の存在はドナルド・キーンさんだ。今年の新春から古典に親しもうと決意した私はあれこれと挑戦してきたが、古典へのよすがとしてのこの人の『日本文学史』読破も、その目標の一つだ。ようやくこのほど、全18巻のうち、9巻目までを読み終えた。まだ道半ばではあるが、近世編3巻分をまとめて取り上げたい。「文学史は、読み物としては一人の執筆者によって書かれたものにとどめをさす」として、小西甚一氏の『日本文藝史』とこのキーン氏のものの二つが圧巻だと言ったのは、大岡信さん(『あなたに語る 日本文学史』前書き)だが、今私は、なるほどなあと深く感じ入っている▼一言で評すれば、実に歯切れがいいのだ。キーン氏は今は帰化して日本人になっているが、元をただせばニューヨーク生まれの米国人。しかし、とっくにいかなる日本人にも引けを取らない堂々たる日本人である。古代・中世編から始まって近世編と読み進めてきたが、ほとほと感心する。かって塩爺こと塩川正十郎さんからドナルド・キーン『明治天皇』がめっぽう面白いと勧められて、かなり難渋したすえに読んだものだが、それよりもはるかに読みやすく面白い▼近世編の第一巻では松尾芭蕉、二巻では近松門左衛門、三巻では狂歌・川柳への論及に目が向く。『奥の細道』での芭蕉の関心は、ひたすら過去に歌人が心を動かされたものであった。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という彼の言葉は印象深い。また、近松門左衛門では、日本のシェークスピアと目され乍らも「ついにリア王の偉大と格調を備えた人格を創造することは出来なかった」と手厳しい。狂歌については、滑稽の伝統が乏しい日本文学の中で、少ないながらも詩心の分かる人が狂歌師の中にいることを感謝せずにはおられないという表現を用いて、心を砕く。狂歌といえば、「今までは人のことのみ思いしに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん」といったものに、今の私などたまらない共感を感じる。定年後の人生に生きがいを感じつつ、一方で先行きの覚束なさに愕然とするものにとって真実の叫びに違いない。(2014・10・29)

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