◆永年の疑問を解いてくれた本との出会い
親しい新聞記者から以前に訊かれたことが長く気になっていた。「日本近代史において日蓮仏教を信奉した人たちの中に、過激なナショナリストが多いのはどうしてでしょうか」との問いかけだ。確かに、田中智学、北一輝、石原莞爾らはその系譜の中に入る。日蓮大聖人の生涯は闘いの連続であり、革命的言辞に充ち溢れたその言動を曲解すると、時代性もあいまって結果として軍部日本との結びつきが強くなったということだろうか。彼らとの会話を適当にやり過ごしたことに割り切れなさを抱いてきた。ともあれここらを鋭く抉る書物を私は不幸にして知らなかったのである。
大分前のことだったと思うが、法華経や創価学会について造詣を深めてこられた佐藤優氏と松岡幹夫さんの対談『創価学会を語る』を読み、すでに読書録に取り上げた。そんな作業をするなか、松岡さんの著作一覧の中に、『日蓮仏教の社会思想的展開──近代日本の宗教的イデオロギー』を発見した。松岡さんという人はかつて日蓮正宗の僧侶で、その後宗門を離脱し、日蓮仏教改革のリーダー的存在となった。創価大学を卒業した後、35歳の時に早大で修士号、東大で博士号を取得。創大時代の学友に公明党の私の後輩が何人かいる。
この本では「日蓮仏教とナショナリズム」の章で田中智学と北一輝、「日蓮仏教と戦争論」で石原莞爾と妹尾義郎、「日蓮仏教と共生思想」で牧口常三郎と宮沢賢治というように6人の思想家、軍人、教育者、作家らを取り上げて詳しく分析を試みている。永年の疑問を解く機会がやってきたとひそかにほくそ笑んだものである。博士論文がベースになったものだが、それでも各章ごとに末尾に「小結」なる”まとめ”が付加されており、その論述は理解しにくくはない。
◆偉大な思想を表層だけしか捉えられない悲・喜劇
私がこの本を通じて刺激を受けたことは数多い。北一輝については、歴史家で古い友人の故松本健一氏から得たものが多いが、宗教者としての松岡さんの「北一輝論」の方が焦点をつかみやすい。また、浄土真宗、親鸞との戦争との深い関わりも新たに知りえたところが少なくない。この書物が世に出てもう20年余りが経つだけに、もっと早く手にしたかったと、悔やまれる。冒頭に掲げた問いかけの答えは、やはり日蓮大聖人の偉大な思想を表層だけしかとらえられなかった人たちの悲・喜劇ということだろうと思われる。大筋で私の見立ては当たっていた。予想通りである。そんな中で牧口先生のみが「日蓮理解」に正鵠を得たのだと確信する。
尤も、松岡氏は冷静に「日蓮を相対化」している。その取り上げ方は、牧口先生を深く尊敬している身からすると、正直に云って胸が痛み戸惑いもする。創価学会との深い関係から、我田引水になることを極力避けているのだろう。気になるところは多々ある。とりわけ「日蓮仏教の戦争イデオロギーは、日蓮信奉者たちの思想傾向の多様性と日蓮仏教の思想的多面性とによって聖戦論から反戦論まで幅広く展開された」のだが、「いずれの場合においても、宗教的信念からの人間の生存を第一に尊重するという思想性は見いだせなかった」というくだりなど、その最たるものだ。
時代性や個人性に起因するのか、日蓮仏教の思想性によるのか。答えをだすには「平和主義やヒューマニズムを標榜する戦後の日蓮仏教についても考察する必要が出てくる」として「今後の課題に」しているが、この本以後、興味深い「戦後編の考察」を次々繰り出しているのは周知の通りである。
【他生のご縁 『信仰学とは何か』に強い衝撃】
ここで取り上げた表題の本の出版からは20年以上の時が経っています。ところがつい先年、松岡さんが中心になってまとめた『創学研究Ⅰ──信仰学とは何か』は、この人のその後の知的格闘、宗教的深化が窺えるとても興味深く面白い本です。直ちに、読書録に取り上げる一方、ご本人に私の出したばかりの本『77年の興亡』と共に、素直な読後感を込めて、喜びの手紙を書き送ったものです。
この本の第4章第2部「信仰と学問の間で━━それぞれの人生体験から」には強く惹きつけられました。「仏教では、イエスの復活のような非現実的なことは説かない。こういう人もいるでしょう。しかし、そんなことはありません」とあって、次のように続く。
「仏教教典を読むと、非現実的な出来事は随所で説かれています。原始仏典に出てくるブッダと神々や悪魔との対話、法華経に説かれる虚空会の儀式などは、およそ非現実的な出来事というしかありません。その点ではイエスの復活と変わりないのです」と。ブログに引用した私は、「いやはやよくぞ言ってくれたと多くの人は思うに違いない。この当たり前のことが長く私たちの周りから聞かれることはなかった」と書いたのです。
松岡さんは、師の示された宗教的原理を掘り下げ、分かりやすく解き、現代社会に展開することに腐心しています。つい先頃出された第二弾の『『日蓮大聖人論』も読み応え十分でした。私は公明党の人間として、政治の分野でも、こうした試みがなされるべきだと強く感じています。