反復にこそ人生勝利の因ありー中嶋嶺雄著作選集➇『教養と人生』を読む

中嶋嶺雄ー私にとってこのうえなく巨大で近寄りがたく、かつ優しく身近な存在だった。この矛盾した位置に20代前半から60代半ばまで、ずっと中嶋先生は私の傍にあった。「現代中国論」を引っ提げて華々しく論壇に登場されたときの中嶋先生は未だ20代後半。慶應義塾での非常勤講師としての講義は、ほんのひよっこに過ぎなかった私には衝撃の連続であった。「中国文化大革命批判」の重みは、ある意味で我が人生の色合いを決定づけたのである。このたび発刊された中嶋嶺雄著作選集第八巻『教養と人生』を読んで改めてこの人物の凄さを思い知るに至った。真面目に人生を考える青年たちすべてにこの本を読ませたいと心底思う▼既に私は単行本で先生の著作をすべて読んできた。中国論それも初期の頃のものは仰ぎ見る存在としての先生を彷彿とさせるものばかり。一方、8巻に登場する『リヴォフのオペラ座』や『オンフルールの波止場にて』などはどこまでも優しくひと懐っこい先生を、ひたすら漂わせるものが多い。尤も、私はかつてピアノを志した妻や、絵画に造詣の深かった義父を持ちながら、一向に芸術の道には開眼し得ていない。それゆえ、どこまで理解を深めたかどうか大いに疑問ではあるが。だからこそというべきか、この巻の編集を担当された中嶋聖雄さん(ご次男)の解説に大いなる興味が募った。先生のご自宅にも伺ったことがあり、奥様とも幾度かお話をしたことはあるものの、お子さんたちとはこれまでご縁がなかっただけに▼この本での読みどころは、人間存在の基底部は、繰り返しによって形成されるということだと思われる。ご自身のヴァイオリン演奏における暗譜。語学習得における暗誦、繰り返しの重要性。このあたりについて触れられたくだりは示唆に富んでいて極めて興味深い。中国論については蟷螂の斧のように、身の程知らずに先生に体当たりを繰り返した私だが、流石に音楽論には太刀打ちどころか、合わせることすらできなかった。忙しい最中に音楽を聴いたり演奏をされたりした先生が「忙中楽あり」と口にされている。これには「忙中本あり」を造語し、実際に自著のタイトルにした者としてニヤリとするのが精いっぱいなのである▼聖雄さんが、「父、中嶋嶺雄から学んだこと」との結論で四つ挙げている。第一に、自分の考えを文章として残し、発表すること。第二に物事を常識的に考えること。第三に個性的でありながら、協調的であること。第四に、国際的な公共性をめざすために国際人たりうるためにこそ、自らが生まれ育った土地や環境に根付いたアイデンティティを持つことの重要性である、と。実は私もこの四つは先生から教えて頂いた。何れも中途半端は否めないが、耳朶に残って離れない。最末尾に、父上の死が絶望すら抱かせる壮烈なものであったことに触れ、「落ち込んだ時、もう駄目だと思ってはいけない。自己否定をしてはいけない。そこには新しい選択が生まれる」との先生の言葉を引かれているのは強烈なインパクトを感じる。父上の死をきっかけに永住権まで取られていたアメリカから帰国し、「現代中国」を研究するという「新しい選択」をされた▼いま、彼が早稲田大学アジア太平洋研究所准教授として「アジアにおけるクリエイティブ産業」などの授業を担当する一方、現代中国映画産業における英文著書を執筆中と知って驚いた。実はいま私は、北京電影学院客員教授の榎田竜路さんと親交を深めているからだ。彼は、中国の若者に映像制作などを講義する一方、日本の若者たちに認知開発力を培うなかで、地域の真の意味での再生を図るという壮大な試みに取り組んでいる。聖雄さんが目指す分野との関連性に、中嶋先生との深い縁を感じて、ひとり感じ入っているしだいである。
                                             (2016・12・20)

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