年の暮れになると否が応でも一年の回顧をしてしまう。代議士として飛び回っていた頃には、新幹線車中でのゆとりある時間に読書に励み、多い時には年間100冊を超す本を読んだ。しかし、引退後は新幹線にあまり乗らないこともあって、読書がはかどらない。というのは言い訳なんだが、本年はとうとう40冊を切ってしまった。その分、多くの人に出会い、動き回ったものとして後悔はしないことにする。振り返って、最も印象に残るものは佐伯啓思さん(京大名誉教授)の一連の新書だ。『反・民主主義論』をこの12月に読み、順に過去の作品に遡り『さらば、資本主義』と『日本の宿命』を年末ギリギリに読み終えた。様々な意味で感銘を受け、いま満足感に浸っている▼佐伯さんのものは、これまであれこれ読んできた。とりわけ『西田幾太郎』には思索を深めるきっかけを貰った。団塊の世代に属するひとで、私なんかより少々若いが、彼は今や「文明論」の分野における第一人者だと高く評価したい。一般紙紙上に時々目にする論考も群を抜いてためになる。今年も数多く目にしたが、「世界史の転換点」と題した本年2月8日付けの神戸新聞の「識者の視点」は秀逸だった。一言でいえば、「欧州が生み出し、米国が軸になって世界化してきた価値観こそが試されている」ということに尽きる。イスラム過激派をめぐっての中東の状況も、ロシアや中国の言動も、欧米の価値観への反逆だ▼私がこの12月に遅ればせながら読んだ三冊は、試される価値観という観点から、日本の現状を透視したものでぐいぐい引き込まれた。いずれも雑誌『新潮45』に連載されたものだから、同誌の読者たちにとっては、何をいまさらと言われそうだが、仕方ない。私的にとても面白かったのは「朝日新聞のなかの”戦後日本”」という章。佐伯さんの思想的傾向とは合わないと思われている同紙との”最初の出会い”めいたものに触れられていて、笑いさえ催す。最近、「異論のススメ」などのコラム(11月3日付け「中等教育の再生ー脱ゆとりで解決するのか」は面白かった)で、彼を登場させている同紙だが、”すわり”が決して良くないと思うのは私だけだろうか。つまり、論者と新聞の関係に違和感があるように思われるのだ▼トランプ現象を見事なタッチで抉り、結局は「民主主義の本質そのもの」と位置付けるているのも興味深い。200年ほど前にフランス人貴族・トックヴィルが、地方の小規模な町のようなコミュニティにおける市民による自由な自治を、アメリカの民主主義の最上の部分だとして、取り上げたうえで、「共有する価値のもとでの公共的活動」という”習俗”が支えてきたことを考えてみるべきだという。確かに、「一方で自由な経済競争やIT革命やグローバル金融などで、共和主義精神も宗教的精神も道徳習慣も打ち壊しながら」、もう一方で「民主主義をうまく機能させるなどという虫の良い話はありえない」のだ。こう読み進めてきて、はたと気づく。この”習俗”って、我が自治会活動そのものではないか、と。(2016・12・30)