(196)呪縛から解き放たれたタイへの旅ー三島由紀夫『暁の寺』を読む

「芸術というのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です」から始まって、「夕焼の下の物象はみな、陶酔と恍惚のうちに飛び交わし、……そして地に落ちて死んでしまいます」に終わる40行足らずの文章程、三島由紀夫らしい文章はない。50年もっと前に、彼の文章の持つ魔性に幻惑され、反面教師として位置付ける一方、彼の書くものから遠ざかり、簡明直截を持って旨とする新聞記者稼業に私は身を投じたものだった。市ヶ谷で自刃した際のあの衝撃は私自身の25歳の誕生日前夜ということもあって今に忘れがたい。その三島の代表作・豊穣の海全4巻は長きにわたる読書生活における課題であり続けてきた。就中冒頭に挙げた『暁の寺』はタイ・バンコクを、メナム川(チャオプラヤ川)を舞台にしながら彼の生死観、仏教観を垣間見せたものである。私の人生の本格的幕開け期と、彼の幕じまいのときはほぼ同時期のものとして重なる。いらい半世紀近くもの間、彼の提起したテーマは私の肩に胸に心にのしかかってきたのである▼一度でいいからタイに行ってみたいと思ってきた。それはある種怖いもの見たさに通じる。三島が「(あの事件遂行という)もっとも切迫した現実の只中にみずからを置いて、身を刻むかのようにして書き上げた」(解説の森川達也)からだといえる。行ったところで何が解るというものでもないのだが、それでも行ってみなければ何事も始まらないという思いに駆られたことも事実だ。少年のようなノリで(今どきの若者はそんなことなどしないだろうが)、文庫本を片手に機中のひととなったのだから、文字通り私も変わってはいる▼「歴史は決して人間意志によって動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢て関わろうとする意志だ、という考えこそ、少年時代以来一貫してかわらぬ本多の持説だった」とのくだりがあるが、それこそ彼の自刃の際に叫んだ歴史に敢て関わろう意志だったいうことが鮮明に浮かび上がってきた。メナム川の上を遊覧モータボートに乗って一時間、猛烈なスピードで北に南に西に東に走った。その合間、波間に彼が死に場所を求め、自分の最期にあたっての舞台装置を探し続けていたことが分かるような気がしてきたのである。「人間の不如意は、時の外に身を置いて、二つの時、二つの死を公平に較べてみて、どちらかの死を選ぶということができないこと」や「どんなに真摯な死も、ただものうい革命の午後に起こった、病理学的な自殺と思われることを避けがたい」との記述を目にして益々その感が強い▼解説子が云う。三島の「挫折」というか「破綻」は「この巻の随所に追求される、大乗仏教を支える二つの根本思想のうちの一つ、いわゆる『阿頼耶識』を中核として展開された、あのめくるめくばかりに巨大な『唯識』思想の世界に、打ちのめされてのことではなかったのか」との指摘は私にとって極めて面白い。「阿頼耶識」は唯識の八番目。未だその奥に、究極の奥底に「九識心王真如の都」とまで表現される九番目の「阿摩羅識」があることを三島は知らない。「三島がこの巨大な思想の体系を、充全に納得し、領解し得たとはいささかも思わない」という森川氏の理解も、まだまだ仏教の基本理解に至っていないのである。このように見て来て、ようやく私は「三島の呪縛」からようやく解き放たれた感がしてくるのを禁じ得ない。(2017・1・22)

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