明日から三泊四日の日程でタイ・バンコクに行く。昨年から私が関わる企業のトップと一緒に。当地では駐在日本大使の佐渡島志郎さんに会うのを始め、仕事関係から観光まで色々と予定があり楽しみだ。訪問するに当たってかねて読んでいた本を取り出し再読してみた。岡崎久彦、藤井昭彦、横田順子『クーデターの政治学ー政治の天才の国タイ』である。1991年2月のクーデターの2年後に出版されたこの本を私は衆議院議員になったばかりのその年に手にした記憶がある。どちらかと言えばタイトルに惹かれたのだが、中身はいささか退屈であり、羊頭狗肉の感がしていた。クーデターの経緯を時系列的に並べられたのでは興味も薄れようというものだった▼生まれて初めての地に行くにはそれなりの準備が必要で、バンコクといえば、三島由紀夫の『暁の寺』とともにこの本は捨てがたい。読み進めるうちにグイと引き込まれた。「デモクラシーが批判される時、その代案として提示されるのは賢人政治である」「結局は、デモクラシーの代案は独裁体制であり、独裁者が、哲人、賢人、あるいはデモクラシー時代の指導者よりも多少でもすぐれた指導者ならば、その方が良いというのが人類の歴史に何度も現れた一つの考え方である」との記述の後に、「タイという国は、少なくとも西暦紀元以降の世界史上、プラトンのいう哲人王を持った唯一の国だ」して、「ラーマ4世モンクット王(1804~68)こそは、プラトンが哲人王と呼ぶに値する唯一の王と思う」とあった▼本は再読するものだ。一回目は見落としていたところに気づく。プラトンの哲人政治と、映画『王様と私』は知っていても、モンクット王と結びつかなかった。恥ずかしい限り。実はこのコラムの前々回で私は林景一前英国大使の『イギリスは明日もしたたか』を取り上げ、「もう一人の主役を考える」とのタイトルで書いた。その文章の最後のくだりで、「西洋思想に対して、根底において異質の価値観を持つ日本という原点を忘れてはならない」としたうえで、「西洋発の『民主主義』の在り様、行く末に警鐘が乱打されている今だからこそ深く考え直すいとまを持ちたい」と結んだものだ。プラトンの哲人政治、モンクット王的なるものへの待望論ととられよう▼これに対して、当の林景一さんご自身からメールを頂いていた。その中身は、西洋発の「民主主義」に取って代わるものはないのではないか、ということに尽き、どんなにまずくても民主主義を上回る仕組みはないはずというものであった。西欧の思想、西欧発の政治の仕組みが今、行き詰っているとしか思えぬ現状に鑑みて、東洋、なかんづく日本発の思想、仕組みを打ち出したいという考えを提起したのだが、早速反論ごときものにぶつかった。面白い。有難い。次回、タイへの旅の途中考えたものを。(2017・1・17)