(201)名編集者の箴言散りばめた人物論━━背戸逸夫『縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ』を読む

 「君はアグレッシブなやつだと思っていたが、最近は少し変わったね。丸くなったよ」──尊敬していた先輩から厳しくいわれてしまった。昨年末にかつて青春時代を共有した仲間たちの集いが終わった後の二次会でのことだ。もう20年近く前のことになるが、同じこのひとが拙著『忙中本あり』について「君の本にはエロスを感じる」と妙な表現で評価をしてくれた。理想を求めてあくなき挑戦をする姿勢を褒めてくれたと思いこんでいたのだが、「アグレッシブな」との表現を聴いて、正直落ち込んでしまった。このひとの脳裏には、エロスとアグレッシブが裏腹の関係にあって使われたものだと思われる。ひとの言葉に一喜一憂する歳でもあるまいに。尤もそれだけこの人を憧れていたからだろう。

 背戸逸夫さん。長く潮出版社で総合雑誌『潮』の編集を担当された。開高健氏始め数多の作家をして「名編集者」と呼ばせた才人である。60歳代半ばで創刊された月刊誌「理念と経営」の編集長を務め、数年前から編集局長を。政党機関紙の記者をしていた私からすると、雑誌作りという隣家の庭の花はどうしても赤く見えてしまう。その背戸さんから先日、『縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ』という長いタイトルの本が送られてきた。「理念と経営」で連載されてきた中小企業経営者とのインタビューを中心にした読み物の10年間分をまとめたものである。

●200人超える経営者が登場

 一読打ちのめされた。短い文章でこれだけひとを鮮やかに描き切ったものはかつて目にしたことがない。ニュース記事に始まり、国会の動きを中心とする解説や、コラム、社説と記者時代に私は書いてきた。一番難しいのは人物記事だと思ってきた。そんな私をして心底から感服させる中身である。

 恐らくは若き日より読みに読んでこられた背戸さんは、しっかりと感銘を受けた言葉やフレーズをため込んできておられるはず。それを一気に吐き出された感がする。普通の読者なら読み過ごし投げ捨ててしまう言葉を惜しげもなく披露してくれる。いやはやそんなに見せてくれずともいいですよ、といいたくなるほど適切極まりかねない箴言の列挙。お鮨と天ぷらと、それにウナギを併せ食ったような満腹感がしてしまう。この本は毎月分をゆっくり味わうもので、単行本になったものをまとめて読むときはゆっくりと間合いをおいて読まないと体調に変調をきたしかねない。

 今になるまで、本を読みながらメモを取ったり、ノートを作るなどという事は宗教、思想・哲学の分野を除いてなかっただけに、不可思議な読後感に苛まれている。225人ほどの経営者のたたずまいが取り上げられているが、全く知らないひと(ご存じ吉田松陰、松下幸之助がまぎれ混んでいるが)ばかり。私が会って話を交わしたことがあるのは、僅かに3人。丹羽宇一郎(元伊藤忠商事会長、元中国大使)氏と山中伸弥(ノーベル医学生理学賞受賞者)氏は別格だろうから、明珍宗理さん一人だけと言っていい。姫路で有名な火箸風鈴の作り手である。「ひとのあるなしもうち忘れ、鉄を打ちにかかる姿と呼吸をじっとみているうちに、いつかしら共に槌を持って一振り一振り、精魂をうちこめているような境地にひきこまれます」──静かで見事な風景描写だ。「匠は、市井の人でした。仕事に誇りをもち、思いがけない一家言の蓄えの一端が開示されます。はっきりした性格を所有しているひとでした」──激しさを隠し持った見事な人物描写である。ひとを見抜く力を持ったひとをして、「赤松を見誤っていた」と言わせたかった。

【他生の縁 憧れの編集人への思い】

 潮出版社というと、私には若い日からの思い入れがあります。大学を出て公明新聞社に入ることになったのですが、母が「そんな会社に息子が勤めることになったなんて、人に言われへん」と言いました。50年以上経った今も忘れもしません。信仰と縁が薄く、見栄をはること大なるものがあった人です。私が「新聞記者やないか。報道に関われるんや」というと、追い討ちをかけるように、「NHKやったらええけど」ときました。「うーん、そんなら『潮』っていう出版社に入ったとでもいうときゃ、ええやん」と、やけくそ気味で言い返しました。咄嗟に出た〝勤め先詐称〟の発言ですが、〝息子の心母知らず〟もいいところです。母は『潮』の存在すら知らなかったはずですが、それきり黙ってしまいました。

 『潮』には、尊敬すべき先輩が何人もいました。背戸さんの直ぐ歳下の木村博さんもその一人です。この人とは晩年親交を深めることが出来、60歳を超えてドイツに居を移された再婚先にまで押しかけました。再婚相手は、『潮』同期入社の若くしてドイツに渡られた女性です。その木村さんのお宅で、背戸さんの本の魅力を語り合ったものです。雑誌編集に生涯をかけた魅力溢れる先輩は、もう二人ともこの世にいないのは残念なことです。

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