関空からジャカルタへの機中で考えたことー磯田道史『徳川がつくった先進国日本』を読む

3月上旬にインドネシア・ジャカルタに旅をしてきた。中身の一端については『後の祭り記』に書いたので、ここではまるまる二日間にも及んだ機中で読んだ本について記す。旅の準備の手抜きで、いつもなら数冊は旅行鞄に詰め込むのに、今回に限り忘れた。一冊もなし。慌てて新大阪の駅ナカ書店で探した。磯田道史『徳川がつくった先進国日本』を関空特急「はるか」出発時間ギリギリで選ぶ。落ち着かぬ状況下で選ぶと、やはりろくなことはない。この本、NHK教育テレビの「さかのぼり日本史」(江戸天下泰平の礎)で4回放映された分の文庫化だった。読み進めるにつけ既視感が浮かんでくる。磯田さんとは会ったことはないが、気鋭の歴史学者として注目してきているだけに、「まっ、いっか」との気分でページをめくった。わずか150頁あっという間だった▼周知のとおり、インドネシアという国の宗主国はオランダであった。我が日本を最初に訪れたヨーロッパの国々のうちの一つがこの国である。長崎出島に世界で唯一翻った国旗がオランダのそれであったことは福沢諭吉の『福翁自伝』の読後録で、ついこの前に書いたばかりである。オランダの足跡を探す思いを秘めつつ、未だ見ぬ国への期待を高めた。磯田さんは、この本で徳川260年の間がなぜ平和であったのかを探っている。世界史では当たり前に繰り返されてきた革命や内乱。これが江戸期には殆どなかった「背景には国際環境や自然環境の変化を乗り越えた江戸期日本人のいとなみがあった」という。そのターニングポイント(転換点)として。(1)露こう事件(1806)(2)浅間山噴火・天明の飢饉(1783)(3)宝永の地震・津波(1707)(4)島原の乱(1637)を挙げている。さかのぼりすることで結果から原因を探ることになるが、これをあえて通常通り時系列でみると、家康が”関ケ原”を抑え征夷大将軍になって約30年後に起こった内乱と、それから100年前後で相次いだ二つの天変地異。それから約25年ほどで起こった外圧ということになる▼この小さな本で我々が今認識を新たにすべきことの一つは、ペリー来航で江戸の鎖国が破られたのではなく、既にそれより60年ほど前にロシアによってなされていたということだ。このこと、一般的にはあまり知られていない。あたかも1868年の明治維新の10年ほど前の事件で一気に日本が鎖国から目が覚めたかのごとく取り沙汰されてきているが、それは違う。十分に江戸幕府の中枢は外国を意識し、その準備をしてきたはずと見るべきだろう。作家の原田伊織氏のいうような「維新のテロリスト」や「官賊」に比べ、いかに優秀であった「幕臣たち」といえども、それなりの蓄積がなければ無理なことであったに違いない。磯田さんは「こうした対外的な”危機を乗り切る”ことで、辛うじて”維持し、再生産していった”」と強調。「ペリー来航」のもたらした危機への”予行演習”を「ラクスマン来航」が果たしてことを銘記すべきだとしているが、大いに首肯できよう▼島原の乱は江戸期における最後の本格的内乱であり、厳密に言えば260年の間”パクス・トクガワーナ”(徳川の平和)であったというのは当たらず、この乱以降の220年だったといえる。この乱の本質は領主への農民の不満爆発と、もう一つはキリスト教への迫害に対する抵抗であった。それに加えて徳川五代将軍・綱吉の「生類憐みの令」に端を発した「生命尊重の心」への動きも見逃せない。キリスト教を排斥したことと、生きとし生けるものを大事にするという流れが重なっていることは極めて重要に思われる。それは明治維新以降のキリスト教プラス西欧思想の流入によって近代日本が戦争へと大きく傾斜していき、平和を捨てて行ったことと無縁ではないからである。磯田さんは最後に渡辺崋山の「眼前の繰廻しに百年の計を忘れてはならない」(八勿の訓)を挙げて、長期的視点の大事さを訴えている。この書物から改めて学ぶことは多い。江戸期ならずもっと以前からの地震・津波の大災害の被災を受けてきた国・日本。「3・11」から6年しか経っていないのにもう防災への関心が薄れるようであってはならない。津波・地震先進国として日本は、アチェの大津波を経験したインドネシアと連携することの大事さを強く意識しながら、機中からジャカルタのひととなった。(2017・3・16)

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