”される”身から、”する”側への変化ー加来耕三『日本史は「嫉妬」でほぼ説明がつく』を読む

嫉妬というものが歴史を動かしてきたことは、容易に想像できる。既にこの分野では傑作の誉れ高い『嫉妬の世界史』が山内昌之東大名誉教授の手になってから13年ほどが経つ。発刊されてすぐに読み、読後録も書いた。ゆえにこの度本屋で加来耕三『日本史は「嫉妬」でほぼ説明がつく』を見た時に、「二番煎じ」との思いを禁じ得なかった。しかし、前者に比して日本史への堀下げが深いかも、との期待感があって挑戦してみた。日本史を分かりやすく説明してくれる歴史作家として加来さんは定評もあり、期待はそれなりにあったのだ。だが、読み終えての印象は日本史といっても近代以前で終わっている分、物足りない思いが残る。尤も少し視点をずらし、嫉妬に翻弄されずに生き残ったり、それなりの役割を果たした名わき役に目を向けさせ、意外に面白い。その観点では役立つ▼私がこの本から参考にした一部は以下の点だ。嫉妬から逃れえた人物を戦国期の中から拾うと、前田利家、大谷吉継、本多正信の3人が挙げられる。一般的には、利家は「凡庸」、吉継は「悲運」、正信は「智謀」といった二文字が思い浮かぶ。しかし、三者三様にその人らしく人生を全うした勝利者かもしれない。利家は、「人間は例外なく、苦労すると謙虚になる」がゆえに、「他人に嫉妬されないようにするにはどうすればいいのかも世間智として理解でき」、「肝に銘じられるようにな」って「嫉妬を押さえられた」人物だという。外様最大の雄藩・前田家が江戸期にあって取り潰されなかったのは、利家以来の歴代藩主が「その言動に細心の注意をはらい、幕閣に嫌われないように終始へりくだった、成果といえなくもない」との見方は注目されよう▼吉継は顔面が潰れる奇病を持ちながら、同時代を生きた盟友・石田三成と並ぶ才能を賞賛された。しかも三成と違って、敵、味方の双方の周囲から嫌われず、嫉妬もされなかった。病気が原因でひとの同情を買ったという側面はあるものの、それだけではなく、「身を一歩下げる、名誉欲を捨てるという」手法や、「人気取りをしない、上位への栄達や野心をまったく示さない」との生き方をしたことである。嫉妬されない極意として、「まるで自らの足跡を消しながら働くように、決して自らは表に立たなかった」というのは凄い。正信もこれに似た生涯を送ったとされる。いかに家康から加増を持ちかけられても決して受けず、「敵と味方を選別し、外からの妬み嫉みの攻撃を、内の守り=文治派の盾で防ぐ工夫もしている」し、徹して周囲への警戒心を怠らなかったようだ▼翻ってわが身と嫉妬という問題に少しだけ触れてみたい。他党と違い実力でのし上がるというよりは「出たいひとより出したいひと」との側面が強くあって、公明党の場合、政治家の候補として地域から選定される。今でこそ高学歴、特殊な才能、鋭い頭脳やら爽やかな面相などの多彩な付加価値を持った候補者が林立する公明党だが、私はほぼ例外中の例外だった。殆どなきに等しい付加価値しか持たず衆議院議員候補に選ばれた。「なんであいつが」との嫉妬の目線は痛いほど感じた。しかし、幸いなことに闘いのさなかには少しづつ消えて行った。有難いことだった。自分的には、使命への一途さ、感謝の一念をひたぶるに燃やしたつもりだ。初っ端の選挙で落選の憂き目をみたことも大きいに違いない。「落ちたのはかわいそう」「今度こそ」との思いを抱いてくださった方々が多くおられたのは嬉しい限りだった。もう30年も前のことになるが、嫉妬されることから闘いは始まり、苦節5年の末に当選してからは、一転自らが嫉妬することとの戦いとなった。この辺りは、また別の機会にしたい。(2017・4・3)

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