日本文明の底流に潜む忘れものー斎藤健『転落の歴史に何を見るか』を読む

官僚がその職務を何らかの理由で離れて後に、あれこれと出版することは珍しくない。勿論、その職務についている間に書く人も外務官僚などには多い。しかし、官僚の現役時代に書いていて、後に政治家に転出したという人はあまりいないように思われる。斎藤健農水大臣、当選3回ー元通産官僚である。この人が書いた『転落の歴史に何を見るか』は並の政治家や評論家らが書いた数多の書物の中で傑出しており、鋭く面白い。実は21世紀の劈頭に世に出たこの本の存在を知ってはいたが、残念ながら読まずに来た。それを読むように勧めてくれたのは郷土姫路出身の元厚生官僚・山本章。彼もまた『医者が薬を売っていた国日本』という極めて興味深い書物を先年に出版しており、私は愛読している。その彼が「先の大戦の敗戦に至るまでの経緯について書かれたものをあれこれ読んできたが、何れも不満足だった。初めて納得できる本に出会った。是非この本を素材にあなたと話したい」とメールをしてきたのだ。望むところ。私も持論があるので、大いに気負いこんで読むに至ったしだいである▶明治維新から今日まで約150年の歴史の捉え方のうち、時代区分をどう区切るかについては諸説あるが、一番ポピュラーなのは「40年間づつの興隆から転落に至る二度の繰り返し」との見方であろう。つまり、維新から40年後の日露戦争の勝利、そして40年後の第二次大戦の敗戦。さらにまた40年後の高度経済成長を経てのバブル絶頂から、2025年の少子高齢社会のピーク(どん底)に至るまでの苦難の流れまで。これは評論家の半藤一利氏の持論によるところが大きいが、斎藤氏はこのうち、日露戦争までの時代からその後の第二次大戦の敗戦までに焦点を絞って分析している。副題にあげた「奉天会戦からノモンハン事件へ」という34年間を、対比しつつ事細かに料理しているのだ。同じ日本の陸軍がなにゆえにかくも対照的に栄光から暗黒へと転落していったかを。大胆に短くまとめると、明治の元勲たちはジェネラリストが多かったが、やがて世代が変わり、その後のリーダーにはスペシャリストはいても、ジェネラリストが育たなかったからだ、と結論づけている。国家をはじめあらゆる組織にあって、ジェネラリスト養成のための教育こそが求められるというわけだ▼明治という時代を築いてきた先達たちが、欧米列強による植民地化を防ぐべく、必死の努力をしてきたことを認めるのにやぶさかではない。しかし、仮に徳川幕府が「維新」で倒れないまま命脈を保っていたらどうだったか、という歴史のifにもいささか魅力を感じる。勿論、具体的に過去を追うと、たちどころに行き詰ってしまうぐらいの、やわな仮説ではある。だが、徳川の幕臣たちが維新政府の「官賊」に比べていかに優秀だったかなどという歴史的証拠だてやら、長州藩士の会津藩への冷酷無情な仕打ちを思うにつけ、あらぬ妄説とは断じきれぬものを抱く。ゆえに、明治の元勲たちを全肯定出来ないのである。そこには、吉田松陰のもとに松下村塾の中から育っていった”テロリスト”まがいの志士たちと、20年の歳月を経て国家経営の中心となっていった伊藤博文や山縣有朋らとの落差を素直に認められないものがあるのだ。つまりは、明治を作っていったものの中に、成功の因も失敗の因も同時に育まれていったはず、という見立てから私は逃れられない。すなわち、明治の元勲たちをジェネラリストとして認めたうえで、その後の誤りの因を、スタートの時点で同時に内在させていたのだとの見方を持つ▶で、私としては、むしろ明治維新の孕む問題は、文明的観点から大きく言って二つあると考える。一つはギリシャ・ローマ以来の近代ヨーロッパ哲学プラスキリスト教文明という、西欧思想を無批判に受け入れてしまったこと。二つは、表向きには今述べたように外来思想を受容しながら、その実、古代日本いらいの”伝統的宗教哲学”としての国家神道を”天皇の復活”と共に、実質的に蘇らせたことである。前者は、日本文明が一貫して持ち続けてきた外来の思想哲学を日本風にアレンジするという作業を怠ってしまったことを意味する。そして、それだけでにとどまらず千数百年の時を経ての熟成した日本思想の伝統をかなぐり捨てて、文字通り単純な”先祖帰り”をしてしまったのである。斎藤健さんの視点は極めてリアルなものに根差しているのに比して、これはあまりにも茫漠としたつかみどころのない空論かもしれない。「西欧思想の日本化」とは果たしてどういうものを指すのか。「西洋の没落」が名実ともに具現化してきた今こそ、懸命に追い求めなければならない魅惑あるテーマだと私には思われる。(2017・9・5)

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