「奇怪な妄想」の持つ異様な迫力ーカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(土屋政雄訳)を読む

今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏のことを恥ずかしながら殆ど知らなかった。映画化された作品もあるというのに。慌てて本屋に行ったものの在庫はなく、辛うじて『わたしを離さないで』が一冊だけ残っていた。選挙戦に入り、何度か足を運んだ大阪への行きかえりの車中で読むに至った。結果的にこの本を彼の作品の中で最初に手にしたことは幸せだったかもしれない。日本人の両親のもとに長崎で生まれて後に、5歳で英国に渡って以後、そこを離れたことがないという著者の生い立ち。この本は、そうした彼の人的背景の影響をあれこれと詮索する必要はなく、普遍的なテーマに迫るものだからである。「クローン人間と臓器移植」という極めて重いテーマに真っ向から挑む「実験的小説」との色合いについては、ノーベル賞作家に相応しいものと云えよう。ともあれ、総選挙という生臭い俗事からしばし離れて、未来に横たわる人類の重要課題に目を向けさせられ、幾分か高尚な気分になったように思われる▼このテーマについては、実は現役時代に向き合うことがあった。衆議院憲法調査会の一員として憲法改正をめぐる議論に参画した際に、否応なく考えざるを得なかった。当時同調査会の会長であり、元小児科医だった中山太郎氏の口から、将来の憲法にはこのテーマについて記す必要があるとの意見を幾度か聴いた。現行憲法が用意していないテーマを新しい憲法には書き加える必要があるとの観点だったと記憶する。恐らく2005年に発表されて以来、世界的ベストセラーになっていたこの本を読んでいたであろう同僚議員からも、そうした主張がなされていた。ただし、かつて臓器移植法をめぐる議論の際に、自らに近い生命の存続をもたらすために他人の生命の終りを待望することに私は疑問を抱き続けた。そして同時に臓器それ自体にも個人のDNAが色濃く反映しているものを、他の生命体に移すことに大いなる疑問を持ち、当時、政党の縛りがなく個人の判断にゆだねられた採決に、反対票を投じたものであった。しかし、あれから10年を超す歳月の中で、いかにそうした自分の考えが現実の要請と遠いものかを知る機会もままあったことを正直に告白する▶この小説がベストセラーになった背景の一つは、ある意味で推理小説仕立てであること無縁ではないと思われる。英米文学研究者の柴田元幸氏がその解説で、内容を述べることを避ける理由について、「作品世界を成り立たせている要素一つひとつを、読者が自分で発見すべきだと思うからだ。予備知識は少なければ少ないほどよい」と思わせぶりに書いている。不幸なことに私は重要な一点を知ってしまってから読んだ。であるがゆえにも関わらずというべきであろうか、なかなか核心に迫ってこないように思える記述は、闇夜に道に落ちたものを探すかのように、もどかしいものではあった。途中三分の一くらいのところでようやくことの秘密の一端が明かされるのだが、またすっと元の記述に戻ってしまい、なんだか手に入れた落とし物を再び亡くしたかのような錯覚に陥る▶クローン人間がどのように作られるかには触れられず、臓器移植についても具体的な記述は一切ない。すべては想像力に委ねられている。遠からずこうしたことが現実になるのかどうかはわからない。AIが話題になり、ロボットが人間にとって代わることはもはや現実の射程に入っているかに見えていることからすると、このテーマは遠い。いや、わたし的には現実のものとさせないためにこそ著者はこれを書いたと思いたい。この先遺伝子工学がどんなに進もうとも、してはならないこと、あってはならないことについて、著者が創造力の限りを尽くして挑んだのだ、と。つまり、これはまた「カズオ・イシグロ自身の頭の中で醸造された奇怪な妄想」(柴田氏)である、と考える。(2017・10・24)

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