病院か在宅かの二つの神話ー小堀鷗一郎『死を生きた人びと』を読む

作家・森鷗外の孫である小堀鷗一郎さん(81歳)は、40年間大学病院・国立医療機関に勤務し、外科医として主に食道がん患者の「救命・治癒・延命」に取り組んできた。65歳で定年退職し、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任。3年近く経って偶々同僚から引き継ぐかたちで、往診に携わった。それがきっかけで以後15年近く「在宅医療」の世界に。この本『死を生きた人びと』は小堀さんが診てきた355人の患者の死の記録である。42の事例と様々な引用文を使って、基本的には「事実の断片をコラージュしていくという方法」で、自分の体験をまとめた(昨年刊行)▼42の「日々の切れはしからなる生きた物語」は、私たちが普段は頭の外に追いやってる「死」をリアルに身近にさせてくれる。厳然たる事実が研ぎ澄まされた文章で淡々と披瀝される。流転する「生老病死」の、それぞれの段階によって、受け止め方に差異はあろうが、「望ましい死」とは何かを考えさせられる。「自分は死なない」と思っている現代人を、正気にさせる格好の「指南書」だ▼「家か病院か」ー死を迎える場所は大いなる選択である。かつては自宅で最期を迎える人が殆ど。それが1975年頃を境に逆転した。今では病院・診療所での「ご臨終」がほぼ全て。その背景には、三側面が。迫り来る死を認識しない患者や家族。「死は敗北」とばかりにひたすら延命に立ち向かう医者、病院。老いを「予防」しようとする行政と社会。1992年いらい在宅医療の流れが起きた。ほぼ10年前から転換策が次々講じられてきた。だが、未だハード面のみ。病院神話と在宅神話の双方の実態を冷静に説き、著者は「患者と家族にとって望ましいかどうかの総合判断」と結論づける▼「ピンピンころり」の理想に向けて人は生きる。だが、現実は「ねんねんコロリ」の落し穴が至る所に。自分の決着をどうするか。妻や親をどう看取るか。若き日ーウイスキーをひと瓶開けたのちの、奈落の底に陥る我が身のあの感覚。あの恍惚感。そこからの脱却を図るべく駆け抜けた50年。今日もこれでいいか、と端座して考える日が続く。(2019-1-16)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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