余部鉄橋補修工事半ばで逝った従兄を想う (42)

宮本輝さんの自伝と言われる『流転の海』(全七部)の第六部までをようやく文庫本で読み終えた。かつて我々の信奉する仏法を基盤にした小説ってどんなものだろうかと考え、親しい仲間であれこれ意見を交わしたことがある。その時は、船山馨さんの『石狩平野』辺りが一番近いのかな、との結論だったと記憶する。しかし、今は違う。文句なしに宮本輝さんのものだと確信する。読んでいて、しばしば共鳴し同感するくだりは枚挙にいとまがない▲私の従姉に無類の本好きがいるが、このひとから『流転の海』を読むことを勧められた。というより、読もうと言う気にさせられた。というのが「二回目読んでる」と聞かされたからだ。というわけで、やっとこさっとこあと一息で全七巻読了という段階まで来た。その第六部『慈雨の音』には、私にとっても、また従姉にとっても、極めて印象に残るシーンが登場する。それは、かの余部鉄橋の中間あたりから遺灰を撒くという、まさに幻想的そのものの場面なのだ▲兵庫県美方郡香美町にあるこの鉄橋は、高さ41mほどの橋脚を持って約310mに及んで、川と国道の上を跨いでいる。山陰本線鐙駅と餘部駅間にある、この鉄橋は明治45年の開通いらい、静かな人気を博してきた。何しろ細長い橋桁の上を、日本海を背景に列車が走る風景は、大げさだが、この世のものとは思えないぐらいであった。残念ながら昭和61年に突風に煽られ、走行中の車両が転落するという事故があっていらい、付け替え工事が射程に入った。最終的に2010年(平成22年)に鉄筋コンクリート化が完成した。実は、この工事を担当したのが私の従兄・北後征雄氏である。従姉からすると弟になる▲北後氏は昭和40年代初頭の旧国鉄入社いらい、新幹線のトンネル工事に携わり、後にコンクリート研究で博士号を取得することになる。JR西日本を定年退職してから、この余部鉄橋の付け替え工事の担当を退職後の第二の職場・大鉄工業ですることになった。彼から、何とか今までの鉄橋の橋脚を生かした形で、工事をすることが出来ないものか、との相談を受けたことがある▲最終的にはその願いは叶わず、心ならずもコンクリートで補修するという形になってしまったが、その工事の完成途上で、彼は大腸がんのためにこの世を去ることになった。『慈雨の音』で遺灰を撒く場面が出てくると、思わず北後氏の無念の死を思い出し、作中の主人公たちの思いと重なり合ってしまった。宮本輝さんに逢ってこのことを伝えたいものだ(2014・7・18)

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