(304)深くて面白い台湾風ー呉佩珍・白水紀子・山口守編訳『我的日本』を読む

「台湾人の観光」に興味を持つに至ったのは、この冬に台湾に行く機会があり、その際に駐台北の沼田幹夫・日本台湾交流事務所代表(台湾大使)の話を聞いてからのことである。同大使は、私がインバウンドに取り組んでいると知って、こう訊いてきた。「貴方は外国人の旅行者に対する日本人バスガイドの能力がどのくらいか知ってますか?」と。私があまり知らないと答えたことについて、それではいけないと窘められたうえで、「自分は台湾の富裕層たちの日本旅行グループに随行したが、彼らは自前のバスガイドを台湾から連れて行ったのです。それは日本のバスガイドが極めていい加減だからです。一方、台湾人バスガイドはもうほんとうに日本の観光地について驚くほど詳しかった」と。この時から、台湾人に、尋常ただならざる日本通が多いことを意識した▼そうした折に、『冬将軍が来た夏』で有名な甘耀明氏や、『自転車泥棒』の呉明益氏ら台湾の作家たちの「日本旅行記」が刊行されたと新聞紙上で知って、読む気になった。18人の作家たちの競演は、なかなか興味深い中身で、大いに感じ入るところがあった。人気はやはり京都で、真正面からこの地に行ったことを取り上げ、タイトルにまでしているものが3本もあった。それ以外は、東北、東京、北陸、九州などを舞台に、日本史、日台関係史、宗教、言語、文化交流といったように、さまざまなテーマに触れられている。インバウンドを数的角度からしか見てこなかったことを、台湾作家たちの眼差しの深さを知るに至って、大いに反省した▼私が一番興味を持って読んだのは黄麗群の『いつかあなたが金沢に行くとき』。日本では「小京都」との形容で、何かと比較される金沢だが、この人は見事なタッチでこの地の独自の美しさと文化性を高らかに謳っている。いつも私は京都と金沢を比べて、前者は文化を売り物にしているが、後者は文化そのものの中に町がある、との説を述べることにしている。山崎正和さんと、丸谷才一さんの対談『日本の町』からの受け売りである。黄さんは微に入り細にわたって金沢の美しさを語っているが、「よりによって外は濃艶だが、中身は淡くのんびりしていて、円熟した大人の仙女の姿の裏に『無心無意』が隠されているようなところがある」との表現をこれからは付け加えることにしようか▼読み進めてきて最後に行き着いたのが舒國治『門外漢の見た京都』。これはもう凄い。20頁にも渡って京都礼賛が延々と続く。「私が京都へ行くのは〜のためだ」とのフレーズが、文中に10箇所ほど出てくる。曰く「他の地で消え失せて久しい唐代、宋代の情緒に浸るため」「竹籬茅舎のため」「田舎の棚田のため」「小さな橋や流れる川のため」「大きな橋と流れる水のため」に行くのだ、とのオーソドックスなものから「酸素のため」「眠るため」「芝居の中に入り込むため」「見るため」などと言った〝あばたもえくぼ的〟なものまで。ともかく見るもの、聞くもの京都は素晴らしいと来るのだから、いささか辟易しかけた。丁度そこへ、拝観料をめぐって「金を払う価値のない所は確かにある」との記述が出てきて、襟を正すことに。ともあれ、これほど詳しい「京都入門」は読んだことがないと錯覚する。ご本人はそれでも飽き足らないとみえ、文末に「(京都の魅力ある場所を)一冊の本にまとめ、そうした眺望と、一瞥と、大まかな観察を通じた京都を専門的に詳しく語りたい」と結ぶ。「京都」を知ってるようで知らない関西人として、恥ずかしさと羨ましさの入り混じった妙な気分にさせられた。(2019-3-31)

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