仏教の女性蔑視という誤りー植木雅俊『差別の超克』を読む

植木雅俊氏といえば、今をときめく仏教思想研究家。去年の4月にNHKのEテレ「100分で名著シリーズ」に『法華経』で登場、好評を博したので、ご覧になられた方も多かろう。この11月には再放送される運びというから、見逃された向きには嬉しい知らせと思われる。ところで、この人の数ある著作の中で、最も初期の頃のものが『差別の超克』である。副題は、「原始仏教と法華経の人間観」。このタイトル、少々近寄りがたい。これでは皆が敬遠するに違いない。簡単にいうと、仏教は女性差別の教えではない、となるのではないか。これは読むにあたって著者の周辺を探ってみた結果の私の直感的まとめである▼仏教が女性蔑視をしていたという説があるそうな。それは根拠のないことではない。ただ、釈迦がそう説いたのではない。釈迦滅後の保守・権威主義者たちが差別し始めたのを、あたかも釈迦の主張のように歪めて伝えられたものだという。そのことを微に入り細にわたってきっちりと捉えて解説したのがこの本である。この辺りのことについて興味のある向きには必読の書だといえよう。ただ、私のような少々へそ曲がり的女性崇拝者は、あまり関心を抱かなかった。尤も、読んでみてなるほどと納得したことは多い▼こんな話がある。先年、近くの県立大に岡山県から入学したばかりの新入女子学生たちと懇談した際のこと。私が「男はみんなオオカミだよ。男女交際には気をつけてね」などとつい余計なことを口走った。すると、そばに居合わせたある女性起業家が「それはちょっと違うのでは。今は男子学生は意気地がなく、女性の方がよっぽど狼かも」ときた。それが証拠の一例として、受験時に、勉強が出来そうな(つまり賢そうな)男子学生のそばにいた女子がチラリチラリとスカートを上げて、動揺を誘うという話を披露したのである。戦後強くなったものは靴下と女性と、その昔に言われたものだが、遂にそこまできたかとの実感がする▼こうした時代状況の中で、仏教の女性蔑視などということを取り上げること自体、果たして意味があるのかと思ってしまう。返って、仏教の後進性との指摘を招き、藪蛇にならないのかと。そう思って、長きにわたって、植木雅俊さんの本の中でこれだけは敬遠してきた。で、今読み終えてやはりその感は拭えないのだが、仏教の歴史の中での捉え方はよく分かった。少し注文させてもらえば、キリスト教やイスラム教との比較の中での人間観、女性観を明らかにしてくれればもっと良かったと思う。ところで、この11月から京都と大阪のNHK文化センターで植木さんによる仏教講座が始まる(1年間)という。京都では『法華経』、大阪では『仏教、本当の教え』が教材だとのこと。そこでは植木さんにはぜひ、「法華経、本当の教え」を講義して欲しいと思うのだが、どうだろうか。

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