昭和天皇と共に生きた眩い時代の意味(45)

つい先ごろ昭和天皇の実録がようやく完成したとのニュースに接した。没後四分の一世紀が過ぎようとする今、昭和天皇についてのすべてが明かされることは喜ばしい。たまたま福田和也『昭和天皇』第七部(独立回復 完結編)を読み終えたばかりだった私としては、なおさらその気分に浸っている。総合雑誌『文藝春秋』に連載された六部までとは違って、最終巻は『本の話 WEB』に引き継がれた。なぜそうなったかは寡聞にして知らないが、結果的には一番単行本化が待ち遠しく、貪り読むこととなった▼この本は、タイトルこそ昭和天皇となっているが、実際には”昭和人物録”の趣があるように思われる。あまたの人々のエピソードが、天皇との絡みは勿論、直接かかわりがなくとも、この時代を描写するうえで欠かせぬと、著者が判断されたものが顔を出す。ご本人は、あとがきで、歴史家でもない自分が昭和天皇をなぜ書いたかについての理由をこう書いている。「昭和天皇ー彼の人の視座を借りると、ありとあらゆる事件、人物を登場させることが出来る」ので、「そうした膨大な人物と、事件を包含しつつ、昭和という時代を背景とした、夥しいドラマを描いていきたい」と思った、と。壮大なドラマ集は実に読みごたえがあった▼福田氏はこの本の最後を「昭和六十四年一月七日、かの人は崩御された。我が国の歴史の中で、もっとも眩い一時代は、終焉を迎えた」と締めくくった。前年の九月に詠まれた最後の歌ー「あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ」で第一部を書き出して以来、七年あまりが経った。「遥かなさみしさを漂わせた」歌で、締めくくった「彼の人生は喪失に満ちたものだったが、その喪失からこそ、彼は学び続けた」。あらためて、昭和天皇と共に生きた私にとっての「眩い時代」を思い起こさせられた▼昭和天皇は、明治34年(1901年)4月29日生まれだから20世紀とともに生きた。25歳で天皇となり、敗戦の年には44歳となっていた。崩御の時は87歳余。その終戦の年にこの世に生を受けた私は、昭和天皇の後半生である43年間を共に生きたことになる。平成天皇のように直にお会いし、言葉をかけられたことはないが、思えば何かと関わりがあったことを今にして思う。崩御の日からわずか二週間ほどして、故郷姫路・西播磨から衆議院選挙に立候補するべく記者会見した。一年間の準備期間を経て、翌平成2年に落選し、平成5年に初当選。そして約20年後に引退した。こう振り返ると、昭和天皇の死で、それまでの時代と区切りをつけた私は、新たな人生の幕開けを切ったといえよう。だからどうなんだと言われそうだが、この本を読み終えて、あらためて昭和と平成の大きな時代の落差とでもいうべきものを、公私両面から感じることは確かだ。(2014・8.24)

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