物足りなさ残る新宿鮫XⅠー大沢在昌『暗約領域』を読む

その昔、私はハードボイルド小説の格好いい主人公に、また英邁極まりない孤独な指導者や主役を映画の中に見出すたびに、敬愛する上司を重ね合わせることがしばしばであった。やがて、その密やかな片思いが実は私だけでなく、一緒にその大先輩にお仕えしていた後輩W君も共有する感情だと言うことを知った。私たちは司馬遼太郎の『燃えよ剣』の土方歳三と上役の類似性について語り合い、米映画『フルメタルジャケット』を一緒に映画館で見て、 訓練を受ける海兵隊員に自分たちを、鬼将校にその先輩の姿を重ねたものである。大沢在昌の小説『新宿鮫』の鮫島にもその上司が似ていないはずはなかった。要するに二人ともひたすらにその先輩上司に憧れ、英雄視していたのである。この想いは恐らくほかの誰にもわかるまいし、わかってほしくもない▼新宿を舞台にはぐれ刑事・鮫島が活躍する小説に若き日の私たち(彼は30歳過ぎ。私は40歳過ぎだったから決して若くない)は魅了された。ほぼ30年前のこととて、私自身はその物語の筋だてなどもはや殆ど覚えていない。第1巻が発刊されたのが1990年。いらい第2巻・毒猿、第3巻・屍蘭あたりは、夢中になって読んだものだが。それ以降は私が政治家になってしまったこともあり、遠のいた。この度、第10巻が出てから8年ぶりにシリーズ第11作目が出たと言うので、手にした。勧めてくれたのは、誰あろう、かつて共に同じ夢を見たに違いないW君である。出ましたが、読みましたか、とのメールで直ちに本屋に足を運んだ▼「密告してきたのは浦田という密売人だった。根っからのクスリ好きで酒は体質に合わない」との書き出し。「覚せい剤中毒者にはそうした下戸が少なくない」と続く。やがて新宿区内の民泊施設を舞台に、張り込んでいた鮫島の前で殺人事件が起きる。覚せい剤、暴力団組員そして怪しげな北朝鮮人やら中国人。現代日本の闇の世界におなじみのテーマや登場人物たち。小説を通じて様々な情報を得たうえで、人との付き合いに活用をしたい向きには、いささか縁遠さは否定できない展開である。それでも平成29年に成立した「住宅宿泊事業法」で、民泊業者に対する届け出が義務付けられたとか、「年間180日以内の営業の制限があることから、旅館業法で定める『簡易宿所営業』で、許可を取得している民泊業者も多い」などといった記述には、インバウンドに関心を持つ身としては、興味なしとしない。そんな中で、この本では鮫島の上司に女性の課長が現れる一方、新人の相棒の登場という新味に対して、大いに〝食欲〟を唆られ、読み進めた▼だが、その展開は尻つぼみという他ない。女性の上司との間での、警察という機構を巡っての組織観の違いの披瀝も中途半端なものに終わるし、当初は思わせぶりな活躍に期待を掻き立てられた新人も、途中で出番が消えてしまう。尤も後者の方は意外な役回りに驚かせられるのだが。息もつかせぬ活劇場面もようやく終わりが近づいてから。そこに至るまではいささか退屈する場面の連続に思えた。濡れ場も殆どゼロに近い(それは今の私には好都合なのだが)ことなど、通常のこうした小説につきものの〝付加価値的呼び物〟もいたって影が薄いのである。と、こういう風に来ると、なぜ700頁にも及ぶ大部の小説を途中で投げ出さなかったのかとの疑問が湧く。怖いもの見たさとヒーロー待望感をして、最後まで惹きつけさせたものと思われる。尤も、肝心の我が感受性の衰えは如何ともしがたいのかもしれない。それに何よりも大きいのは、鮫島の〝かくも長き不在〟の間に、我らが敬愛した上司が先年、急逝されてしまい今は存在されないことだろう。W君がどう読んだか知りたいところだが、未だその便りはない。(2020-2-12)

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