池田大作先生の『法華経の智慧』全6巻は、私の愛読書である。佐藤優さんが第三文明誌上で、対談形式でそれを読み解いたものをも、深く感じ入りながら読んできた。このほど改めて『希望の源泉 池田思想』という形で単行本になったもののうち第1巻を一気に読んでみた。京都と大阪で月に一回づつ受けているNHK 文化センターでの植木雅俊さんの講座の帰りの車中で、である。仏教思想家の植木さんは中村元先生のお弟子さんとして知られる。京都・四条の『法華経』講義でも、大阪・梅田の『仏教、本当の教え』講義でも、幾たびとなく中村先生の言葉が口をついて出てくる。一方、佐藤優さんはキリスト教プロテスタントの身でありながら、今や池田先生を師と仰ぎ、創価学会のこよなきウオッチャーであり、理解者である。『希望の源泉 池田思想』❶を軸に、計らずも異なった形の「師弟」を考えるきっかけとなった▼植木雅俊さんは講義の中で、ご自分が二足の草鞋を履いてきたことを強調される。会社勤めをしながら、40歳にして中村元先生の門を叩き、やがてサンスクリット語を習得して御茶ノ水女子大で博士号を取り、法華経や維摩経を全訳するまでになった、と。直接中村先生の薫陶を受ける中で、ものの見方も考え方も全て磨かれていったことが、彼の著作『仏教学者 中村元』を読むと手に取るようにわかる。一方、佐藤優さんは未だ池田先生にはお会いしたことはないという。「(自分は)キリスト教徒なので、『会ってこの目で確かめたから信じられる』などという発想は絶対にしません。『会わなくても信じられる』ということが重要なのです」と述べ、「池田会長と直接会ったことがなくても、会長を深く尊敬し、弟子として立派な生き方をしている無名の庶民はたくさんいます。その人たちは、池田会長 との物理的距離は遠くても、生命的距離は近いわけです」と意味深長な表現をしている。お二人を深く尊敬する私としては、この師弟関係の二形態(共に、仕事を通じてのもので、人生の師弟関係とは別であろうことは言うまでもない)をいずれもこよなく尊いものに思うばかりである▼植木さんの法華経講義はとてもわかりやすく、かつ深くて勉強になる。加えて、池田先生の『法華経の智慧』を読み解く、佐藤優さんの手法もとても参考になり力になる。前者は、原点をきちっと抑える上で貴重な学習となり、後者は世界宗教の視座から、応用的側面を分からせてくれる興味深いアドバイスである。随所にキリスト教とのアナロジー(類推)を駆使しながらの展開は、極めて新鮮味がある。ただ、「最初に救済が保証され、あとから信仰上の行為がついてきて、救済が実感されていく。そう考えると、日蓮仏法は、キリスト教の信仰のありように意外に近いのでは」とあるくだりには意外感を抱く。私の理解では、キリスト教と近いのは念仏思想だとの認識だったからである。尤も、その記述のすぐ後ろに、「キリスト教徒の私にどこまで仏教の本質が理解できているかはわかりませんが‥‥」とあり、ホッとする思いもした▼実は今中国で池田思想を研究する動きが顕著で、私の友人の中国人学者もその任に当たっている。この本でも、中国各地の大学に附設されている「池田思想研究所」について触れられ、佐藤さんが『法華経の智慧』を読み込んでいる研究者の中から「今後、どのような展開が生まれてくるのか非常に興味深い」と述べている。加えて、「近い将来、中国で、『信教の自由』が認められ、一挙にたくさんのSGIメンバーが中国に誕生する日が来ると考えています」と、重要な展望を述べているのだ 。これを踏まえて、植木さんの『日中印の比較文化』に関する講義の後で、私は質問を試みてみた。「かつて仏教を生み出したインドでは仏教は廃ってしまい、中国は共産化して仏教を表向き受け入れていない。そんな状況下で、日本発の創価学会SGI が、『池田思想研究所』という形で中国に進出していることをどう見ますか。佐藤優さんがその著作で予測しているように、やがては大きく広まっていくと思いますか」と。一般的には、中国は政治優先の国だから、今の動きは一過性のものに終わる可能性が高いと見る向きが少なくない。私もそれを懸念している。講義の終了間際だったので時間もなく、植木さんからは明確なお答えは得られなかったのだが、このテーマは極めて関心の高いものだけに、今後注目していきたい。(2020-2-9=一部再修正しています)