(368)卓越したキリスト者の目から見た師の実像ー佐藤優『池田大作研究 世界宗教への道を追う』を読む

朝日新聞の渡辺雅隆社長が経営赤字の責任をとって辞任するとのことを知った。一連の不祥事の直後に就任されたのが2014年というから、あれから6年が経ったことになる。私が付き合った少なからぬ記者たちの人生を変えてしまった激震だったが、私も長年の間慣れ親しんだ新聞を購読せぬことにし、違う銘柄に替えてから同じ時間が流れたわけだ。もちろん時々図書館でまとめ読みというか、〝まとめ流し読み〟を今もするが、同紙の紙面基調にあまり大きな変化は見られないような気がする。個人的には極めて優秀な記者が多く、あの人ならという社長候補も過去にいたし、今もいるが、そういう連中は埋もれたままのようなのは残念という他ない▲そんな状況を尻目に、同社の週刊誌「アエラ」誌上で、43回にわたって連載されてきた佐藤優さんの『池田大作研究』がこのたび出版された。毎週発売される毎に貪り読んだ私としては、買わずに済ませているが、改めてこの本について取り上げたい。著者は、創価学会による公式文書をもとに、とりわけ『池田大作全集』全150巻と、『新・人間革命』30巻31冊のテキストをベースにしたと言われる。この人の類い稀な記憶力、洞察力、分析力に加えて博覧強記というしかない知的蓄積は世に普く知れ渡っているが、短い歳月にこれだけのものを書く能力に(その前に読む能力にも)ほとほと呆れてしまう。かなり大部のものになっているのは、池田先生の著作からの引用がかなり多いことによる。このこと自体をとやかくいう人がいるが、この引用あらばこそ、門外漢の人たちにとって理解する上で欠かせぬ役割を果たしているといえよう▲この本について私ごときがあれこれ読後録を述べるのは差し控えたい。それよりも、「連載を終えて」と題する作家の澤田瞳子さんとの前後編の二回にわたる対談について触れてみる。これがまた実に面白い読み物になっているのだ。とくに佐藤さんがキリスト教と対比しているところが。創価学会での生活が55年にも及ぶものにとって、表面的にせよ分かった気になったり、当たり前に思ってることがこの人の視点を通じると新鮮に見えたり、新たな気づきになる。一例だけあげる。牧口常三郎初代会長が獄死されたことについて、「おのれ権力」という発想になって「反体制」になるはずなのに、「途中からは、ただ反体制ではなく、むしろ体制化していく。ただし、体制に取り込まれてしまったわけではない。その部分が面白かったんです。キリスト教に似ています」と。そう言われても、キリスト教の歴史に殆ど疎い私など、ああそうか、と思うしかない。今回改めて佐藤さんのこの研究から、キリスト教部分だけを抜き取って勉強する必要を感じるのは私だけだろうか▲もう一つ、深く感じ入ったのは、安倍政権の核廃絶についての姿勢が、この7年8ヶ月で変わったとして、「明らかに、公明党の影響がある」としているところだ。「ナショナリズムが強まり、戦争の危機が強まってくる中において、戦争を阻止する役割を、私は創価学会に非常に期待しているんですよ」という。ここは佐藤さんに一貫している姿勢だが、期待はずれにならぬよう心していきたい。これはご本人も後段触れているように、「核抑止の論理」は論理で外交官としてわかるから、「常に私の中に引き裂かれるような感じがある」のだ。これは公明党の外交安全保障担当者として私自身いつも感じた理想と現実の落差であり、乖離であった。そのあたりを佐藤さんは、「池田大作氏のテキストにも、理念と現実の間で、引き裂かれるような状況をやっぱり感じるわけですね。その中で自分の言葉を紡いでいって、自分の宗教団体を主導していく。やっぱり、宗教って面白いなと思う」述べている。このくだり、果たして自分はどう対応してきたか。引き裂かれる状況をやむを得ぬこととして放置してこなかったかどうか。改めて池田先生の「紡がれた言葉」を再読、吟味せねばと思うことしきりである。(2020-12-9 一部修正)

Leave a Comment

Filed under 未分類

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です