先月読んだ『三島由紀夫没後50年にコロナ禍の日本を想う』(中央公論12月号)という、大澤真幸と平野啓一郎の対談には随分と啓発された。サブタイトルの「『日本すごい』ブームの転換点」がその中身のエッセンスを言い表している。つまり、三島が生命をかけて訴えたことが、死後50年経って現実のものになろうとしていることをこの若い二人の社会学者と小説家が語り合っているといえる。コロナ禍への日本の対応がいよいよぶざまなものになりつつある状況下で、「すごくない日本」が鮮明に浮き上がってきている。これは現代日本人の多くが薄々気づいていることなのだが、その遠因のひとつが三島由紀夫の遺した言葉にあるとの見立てに、私も首肯せざるを得ない▲これが契機になって、前から気になっていた大澤真幸の『三島由紀夫ふたつの謎』を読んだ。ここで大澤が挙げる「ふたつの謎」とは、ひとつは、なぜ三島がああいう死に方をするに至ったのかであり、もうひとつは『豊饒の海』の最後がなぜ支離滅裂に終わっているのか、である。この本を読む前と後で、謎は解けたかと、自問すると「正直よくわからない」という他ない。大澤は知恵と意匠の限りを尽くして三島の45年の生涯の解明に迫っている。そのこと自体はひしひしと読むものに伝わってくる。だが、第一の謎の答えが「『火と血』の系列に属する論理が作用している」からであり、「鍛え抜かれた鉄のような肉体をあえて切り裂き、血を噴出させなくてはならなかったのだ」と言われても、もう一つ腑に落ちない。また、第二の謎についても「三島由紀夫は、この深い虚無を受け入れられなかった。自らの文学が、そこへと導かれていった何もない場所。救いようもなく深い、最も徹底したニヒリズム。ここから三島は逃避した」というのが、その回答であるという。目を皿のようにして本文中から二つの謎の答えを探しだした結果がこれである▲これまで三島の死のありようについては、私自身は、最も美しい肉体だと三島自身が信ずるに足りうる状態に到達した時に、それを破壊することで絶頂の姿を世間に、歴史に刻印させる選択をしたのだと、思ってきた。また、その文学におけるゴールも、彼自身の思索の行き着いた果てとしての「虚無」と重なり合うものだと、思い込んできた。そうした私の思いと、大澤の謎解きとは微妙にズレがあり、読み終えてなお判然としない。ただ、この本には多くの三島理解へのヒントが埋め込まれており、大いに役立つ。例えば、奥野健男の『三島由紀夫伝説』がしばしば引用されている。未読だったので、早速読むことにした。ここでは、母親から引き離され祖母と暮らした幼年時代がいかに後々の三島に影響を及ぼしたかが克明に描かれている。極めて読み応えがあった▲三島は自衛隊員に憲法改正に向けての蹶起を促し、それが叶わぬと見るや、切腹し首を落とさせた。かつて、日本の未来を憂えて、魂のない単なる経済大国が東洋の片隅に残るだけだとの意味を込めた言葉を遺した。このことを取り上げた大澤と平野の対談に、改めて三島を語る今日的意義を感じる。コロナ禍の中における対応にあって、中国に、台湾に、韓国に遅れをとっていると見られている日本。かつて「日本すごい」と言われた「面影やいずこに」という他ない。三島由紀夫が今登場すれば、ほら、言った通りだろうというに違いないのである。そうさせないために、どう動くか。50年経っても私たちの「三島への旅」は、未だ未だ終わりそうにない。(2020-12-16 敬称略)