九州へのやっかみも吹っ飛ぶ葉室麟の想像力

NHK大河ドラマ『軍師 官兵衛』50回分の放映が終わった。一年の終わりに大河ドラマを振り返ってあれこれと考えをめぐらすというのは、今や日本の風物詩になった感がする。恐らく一般的には気分は来年の主人公である吉田松陰の妹「文」に移っているだろうと思われるが、私は12月24日クリスマスイブにちなんで、黒田官兵衛にこだわってみたい。そう、彼はキリシタンだったから。さらに、このドラマは、官兵衛と長政という父と子の深いえにしを描き、主人と従者の濃いきずなをも表現していた。さらには播州・播磨で誕生し、九州・福岡で実を結んだ黒田一族にも興味が惹かれる▼今年の初めには司馬遼太郎の『播磨灘物語』を再読し、数冊の官兵衛ものを読んだ。この読書録にも取り上げた。最後のお楽しみにとっておいたのが、葉室麟の『風渡る』と『風の軍師』の2冊だ。前者は生い立ちから始まって、秀吉の天下となって、朝鮮と明への野望を果たそうとするあたりで終わる。通常の官兵衛もののパターンに負っている。歴史の通説に従った展開である。一方、後者は全く違う。いきなり「太閤謀殺」という章がたてられ、葉室麟の独創力が大きく羽ばたく世界が次々と露わになってくる。官兵衛にまつわる群書を読み散らしたすえに、この葉室ワールドに出くわすとまことに面白く、その虜になってしまうのだ▼著者の独創と思われるものの最大のものは、織田信長に謀反を起こし、あの本能寺で殺害するに至った明智光秀をその気にさせたのは、なんと黒田官兵衛だったというものだ。しかもそれのみにとどまらず秀吉をも謀殺することに執心していた、と。こう書くといかにも軍師というよりも策師であり、謀略家のイメージが沸き立つが、ことはそう単純ではない。背景には、非道の限りを尽くした信長や、晩年になってその師の姿に似てきた秀吉を討たねばこの世に楽土はこないという考えが横たわる。併せて、キリスト教の存在が大きく迫る▼官兵衛がキリシタンであったことを真正面からとらえ、その意味を発展的に展開したのがもう一つのこの葉室氏の独創のすごさだ。『風の軍師』では、九州をキリシタンの王国にして、やがては日本全土に広げようとの遠大な構想をもっていたことをベースにしており、まことに壮大無比だ。当初はあまりに荒唐無稽だと思わないでもなかった。が、「このような想像力を飛翔させた作家は葉室氏以外になかった」し、それは「キリシタン伝来の中心にあった九州というローカリティに腰をすえることで、逆に世界史的視野を得た」という湯川豊氏(文芸評論家)の解説を読み首肯するに至った▼私のような播磨人は、「官兵衛は播磨を忘れてしまったひと」だとのそれこそ小さな地域性にとらわれがちだった。ある地元の言論人に言わせると「官兵衛は裏切り者だ」とまでいう。それは恐らく、九州の黒田の根拠地を「福岡」とし、「姫路」と命名しなかったことにあるのかもしれない。福岡の呼称は、備前(岡山)にある黒田家ゆかりの地の名に由来するからだ。今回の大河ドラマは降ってわいた「官兵衛ブーム」を姫路にもたらした。ある日、バスに乗っていて若いカップルが「お前、黒田官兵衛って知ってたか?全然そんな人物が姫路に生まれてたなんて、これまで知らなかったもんなあ」と言い合っていたのが印象的だった。姫路と黒田官兵衛の関係などその程度との見方もある。そこへ、官兵衛はキリシタン王国を九州に打ち立てようとしていたのだと葉室氏に聞かされると、播磨人としては「参りました」という他ないのである。(2014・12・24)

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