(106)「西欧近代」が抱える深い闇と決別のとき

このところ日本の近代化のありようについて考えることが多い。極めて長きにわたる鎖国状態から、江戸末期になって否応なく開国を迫られ、必死に生きてきた日本。その過程は近代化としてとらえられる。これはとくに科学技術分野での西欧列強との溝を埋める壮絶な闘いであった。ほぼ150年ほどが経った今、これまでの日本の生き方は正しかったのかが問われている。きっかけとなったのはあの東北の大震災・大津波・原発事故をもたらした「3・11」である。あらためてその核心に迫ったものを読んだ。山下祐介『東北発の震災論』だ。この人のものは、先に『地方消滅の罠』を読み、その際に既に出版されていたこの本や『限界集落の真実』を手にするに至った▼「事故前までは原発の危険性を訴える人々を、絶対安全の言葉を信用して冷ややかに見ていた一人だ」と正直に告白している。「この事故を予言していた人は多数いた」のに、「正しい予測」を押しつぶし、すべてを「安全」に塗り固めてきた勢力・人々がある、と指摘。そこにこそ、この事故の責任は求められるべきで、それは「科学者側の問題であり、この事業を推進してきた政治や経済の問題である」と指弾する。ここまでは極めてまっとうな論及だろう。しかし、すぐに彼は、「だれが何をしたかには一切関心がない」と続ける。問題は「構造」であり、「システムそのものにある」というのが彼の最大の関心事なのだ。中心(中央)のために周辺(地方)がリスクを負い、中心から周辺に利益が還流する「広域システム」ーその存在を顕在化させたのが今回の震災であり、福島原発事故だった、と。だから、今回の大事故を根源的に解決するには、「脱原発ではなく脱システムでなければならない」というのだ。これはよく目にする一般的な矛先とは違う▼では旧来からのシステムを脱却するにはどうするのか。山下氏は難しさを強調するだけで、その答えを十分に提示しえていない。尤も、その道筋は明らかにしている。変更されるべきシステムを作り上げたものは西洋近代であり、日本の近代化は「西欧発」であった。だから、遅まきながら「日本発」のものに取り換えよう、と。近代化をめぐっては先の大戦を起点として考えると、誤りに陥りやすい。つまり、いわゆる右の勢力は「戦後民主主義」を自虐的と批判しがちだし、左の勢力は、「戦前回帰」は復古主義でしかない、と切り捨てるだけ。これではことの本質解決に繋がらない。むしろ、明治維新を起点にして、日本自前の文明に基づく近代化をもう一度やり直すことが大事なのではないか。キリスト教を軸とした西欧近代化路線を取りいれ続けるのではなく、日本風に変えていく手法を今こそ思い出す必要があろう。「西欧近代が抱える深い闇が、この日本でも、震災を通じていよいよ現れてきたということなのだろうか」との問いかけは強く重く響く▼私はこの本を読み終えて、旧知の環境考古学者である安田喜憲さんに電話をいれることを思い立った。かつて「第三の開国」論を提唱し、日本の近代化の流れを肯定していた故松本健一さんと、明治維新以降の日本の近代化路線は間違いだったとの立場にたつ安田喜憲さんとの興味深い論争を思い出したからである。安田さんは山下祐介氏の問題提起に大いに注目されていた。このあたりを巡って松本健一さん亡きあと、今度は私と対談しませんかと大それた話を持ちかけてみた。「いいねえ」と安田さんは即座に言われた。だが、言い出しっぺの私が、ことの重要性に後で気づき、いささか躊躇している。なんでも勢いに任せて口に出すことは考えものだ。(2015・6・28)

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