「司馬遼太郎」を聴きに行き、「茨木のり子」に会うー後藤正治『清冽』

本の著者のサイン会なるものに初めて並んだ。ノンフィクション作家・後藤正治さんの著作『清冽』と『言葉を旅する』の二冊を持って。第17回司馬遼太郎メモリアルデーが7日午後、姫路駅前のキャスパホールで開かれたときのことである。後藤さんとはこれまで会ったことはない。かねてノンフィクションの分野で良い仕事を次々とされており、注目していた。『空白の軌跡』で潮賞を受賞されていらいのことである。この日は「創造と想像 司馬作品の楽しみ方」と題して、毎年積み重ねられてきた由緒あるこの会のメインスピーカーとして登場されると聞いて、参加してみた。講演内容は、「創造と想像」という、きわめて深い切り口を用いて鮮やかに捌かれた聴き応えのある良い内容だった。「嘘と妄想」などという観点から、本を時として斜めに見る傾向のあるものにとっては、特に。ただ、司馬さんの作品解剖で、『播磨灘物語』に多くの時間を割かれたことはいささか気になった。「黒田官兵衛」は、姫路の人間にとって、いささか食傷ぎみであることをご存知なかったのだろうか▼『清冽』は、副題に「詩人 茨木のり子の肖像」とある。去年の11月に出版されている。茨木のり子さんのことは、「わたしが一番きれいだったとき」なる詩を以前に読み、鋭い”反戦の詩(うた)”だと思った記憶がある。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」で終わる詩を読んだ時には、自分に対して言われた気になった。そう、茨木のり子という人物には、近寄りがたい強い個性を感じてしまった思い出があるのだ。そうした勝手な茨木のり子像が、この後藤さんの素晴らしい”評伝”によって、かなり修正を余儀なくされた。確かに彼女の代表作ともいえる「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない」で始まる「倚りかからず」という詩には、ただの人間を寄せ付けない凛とした人となりを匂わせてやまないものがある。しかし、同時にあたたかい人柄や普通の市井人と変わらぬ人間性を知るにつけて、大いに親しみをも感じるに至った。恥ずかしながら、私は彼女の顔すら知らなかった。およそ美とは縁遠い怖いおばさんを想像していたのだが、なんと絶世の美人だったのだ。表紙に使われた写真の笑顔にはいつまでも惹き付けられてしまう。優しい佇まいのなかにも屹立した個性を感じさせる茨木のり子像を後藤さんは見事に描き切っている。読み終えて、しばし感じ入ってしまい、次の行動を直ぐには取れなかったほどだ▼「宗教(思想)と政治」の二つながらの道を追いかけてきた私のような人間にとって、「六月」の章は、とりわけ印象が強い。昭和50年の昭和天皇の公式記者会見での発言への彼女の直截的な憤り。これほど厳しい天皇の戦争責任を突いたものを、私は幸か不幸か知らなかった。「声なき声の会」に加わっていた彼女の『日記』のくだりを目にすると、時の政治に対する強い批判の眼差しを意識させられる。その時点での彼女の”思想的倚りかかり”を感じてしまい、彼女の肖像への淡い憧憬に瑕疵が生じるような気がするのは私だけだろうか。この章における後藤さんの解説的記述は妙に心に残る。「日本の戦後史にかかわる問題へ私も幾度か分け入った気がするが、霞の中に潜む鵺を追うごとく、掌握したという手応えのないまま徒労感にとらわれてしまう。今も上空のどこかに鵺の棲む霞は漂い、折々、往時の借財を思い出させて降りてくるのである」ー後藤さんの穏健なお人柄を思わせて余りあるような、慎重で微妙な言い回しに深く感じるものがあった▼後藤さんが料理する「司馬遼太郎」に惹かれて食べに行ったのに、「茨木のり子」の方を食べる羽目になり、むしろこっちの方が味わい深かったというのが率直な感想だ。講演会の後に、質疑応答の時間がもたれるというので、私は質問を用意したが、するいとまを失ったので、サインをしていただく列の先頭に立った。で、聴いてみた。「司馬遼太郎さんご自身は、自分が最も好きな本に『燃えよ剣』を挙げておられたようですが、なぜだと思われますか」と。この小説は私が二度読んだ数少ないものだからなのだが、忙しい折でもあり、後藤さんはあまり明確な答えを提示してくれなかった。尤も、質疑応答でも3人ほどが司馬遼太郎について細部にわたる質問をされていたが、回答はほとんど司馬遼太郎記念館の上村洋行館長(司馬さんの義弟)が答えていた。後藤さんが振ってしまわれるのだ。詳しくないことを知ったかぶりされない、慎ましいお人柄だとみた。私は割り切れない思いで、エレベーターに乗ろうとすると、丁度上村さんと一緒になった。早速に訊いてみた。「それは土方歳三が好きだったからでしょう」と。明快だったが、はぐらかされた気分になった。(2015・8・13)

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