アメリカとの思想戦にも敗れたままの日本ー佐伯啓思『従属国家論』

今年は例年にも増して、テレビでの終戦記念特集番組が多かったように思う。戦争に従軍し、生きて終戦を迎えた人たちのうち最も若い兵士でも当時十代後半だから、今年は90歳前後。戦後80年には生存者は際立って少なくなるはず。テレビ番組に証言者として登場可能なほぼ最後の機会だったと思われる。16日に放映されたNHKスペシャル『”終戦”緊迫の7日間』なる番組にも、元兵士たちが貴重な証言をされていて、息詰まる感動を迫られた。15日のいわゆる玉音放送以後にも、「徹底抗戦をすべし」、「本土決戦をも辞さず」との動きが軍部を中心にあったことは良く知られている。しかし、当事者から映像を通じて聞くとなると全く迫力が違った。勿論、ことは一週間では終わらず、ソ連の侵攻により北方領土周辺ではさらに戦闘は続いた。マッカーサー将軍が8月31日に来日し、9月2日のミズーリ号上の降伏文書署名ぎりぎりまで戦争は続いていたのである▼いつからを「戦後」といい、「戦後」の始まりに何があったのかを克明に追う作業はこれまでにもいくつもなされてきている。しかし、読みやすい平易な文章で書かれたものはあまりお目にかからない。佐伯啓思『従属国家論 日米戦後史の欺瞞』は十二分に満足させられる内容だ。佐伯さんは私が注目する思想家のひとりで、近過去には『西田幾太郎ー無私の思想と日本人』を読み、近代日本の思想形成のありようについて、大いに考えさせられた。今回の安倍首相の「戦後70年談話」への評価をもあれこれと読んだが、一番私の心にフィットしたのは毎日新聞での彼の「米型歴史観から脱せず」との寄稿文だった▼6期20年の衆議院議員としての生活の大半を外交・安全保障分野で仕事をしてきた私の総括は、「日本は結局はアメリカの属国だ」というものだ。七年ほどで米国の占領に終止符が打たれたというものの、実質的には今なおそれは続いているといっても言い過ぎではない、と。この本では私の到達した結論を裏付けるかのように、改めて従属国家・日本の誕生から今に至る経緯をとても分かりやすく教えてくれている。彼は「アメリカに従属しておりながら、しかし、日本国内では、何か、主体的に物事を決めているかのように装っている。アメリカからすれば日本はアメリカの属国です。しかし、われわれ日本側からすれば、あくまでわれわれのほうに主体性があるような構造になっている」ーこれが「戦後レジーム」の二重構造である。戦争で負けたことにより、日本の伝統的な歴史観や価値観や思想が否定され、アメリカ風の合理的精神や、理性というものが押し付けられてきた。そのくせ表向きは日本とアメリカは価値観を共有しているという言葉で矛盾が糊塗されてきたのである。冷戦期の米ソ対決、資本主義対社会主義という対決の枠組みの陰で、米側、資本主義側に組み入れられてきたのだから無理もない▼この本は、全部で9章から成り立っているが、最後の「近代日本という悲劇」という章だけがある意味独立している。とりわけこの章は私にとって興味あるテーマが扱われており、繰り返し考えるいい機会となった。佐伯さんの提示するところは、先の大戦は「西洋的合理主義」対「日本的精神」の間の思想戦という色彩が強かったということであり、アメリカ側は、自由と民主主義を守る戦いに勝ったのだから、「日本の錯誤に対しては道徳的な裁きと民主的な教化が必要である」との姿勢で戦後ずっと挑んできたというものだ。この辺りを一言で表現すると、様々な国際政治における現在の対立、混乱は、「もとをただせば、近代を普遍的世界と見なすアメリカの歴史観に端を発している」ということになる。「日本的精神」なるものの構成実態を、佐伯さんはかねて西田哲学の「無私の思想」としていることは興味深い。私には、明治維新後に受容した「西洋合理思想」を「日本思想」に取り入れ、変貌させるという日本独自の手法が未だ果たされていないことが誤りの原点に思われてならない(2015・8・19)

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