Monthly Archives: 5月 2014

憲法9条のもとで、自衛権の行使を整理せよ

集団的自衛権をめぐっての論争は、まず自民党と公明党の代表による協議の場が設定された。これはまことに興味深い。与野党の予算委員会での議論などよりも数倍重要だと思われる。結果如何では、日本がこれまで憲法9条のもと他国の戦争に関与してこなかった姿勢を根本的に変えることになるからだ。私は現役時代に幾たびか自民党との安全保障をめぐる協議の場に臨んだが、今回のものに比べれば殆ど意味がなかったとさえ思われるほど。この場に挑む人たちの心中や察して余りあり、羨ましい限りだ▲石破茂『日本人のための「集団的自衛権」入門』は、いかにも彼らしい筆致で得意満面に展開されている。彼には、これまで『国防』『国難』をはじめ数多の防衛に関する著作がある。それらに比べると軽いタッチは否めぬものの、タイムリーではあり、よく整理されている。かつて同窓の先輩面よろしく「あんたは防衛に関わり過ぎる。そろそろ卒業しないと総理に成れないよ」と、偉そうに忠告したことがあるが、いやましてその思いは昨今募ってくる。安倍さんに使い捨てされぬようにね、と▲ところで、この協議は三段階に分かれて行われると見込まれる。一番目はグレーゾーンについて。二番目は国連PKO活動に関するもの。三番目が集団的自衛権の限定的行使についてである。かねて私はこの問題については、集団的自衛権と個別的自衛権、さらには集団安全保障とがごちゃ混ぜになっていることが、一切の混迷の元凶だと指摘し、問題の所在を整理せよと主張、論文も発表してきた(2002年4・16号『世界週報』)。その視点からすれば、この三段階に分けての議論開始は公明党のペースだ▲この場面、三段階すべてを議論し終えて、行使容認にいけば、自民党の勝利。公明党の敗北になる。しかし、グレ―ゾーンにおける法整備の道筋をつけたうえで、個別的自衛権で出来ることを明確にしわけし、集団安全保障における駆けつけ警護は集団的自衛権とは別概念だとして認めることが出来れば、公明党の勝利である。あくまで憲法9条のもとでの憲法解釈を縮小でも拡大でもなく、適正に解釈することがポイントだ。解釈改憲ではなく、解釈の適正化で出来る、できないをはっきりさせることは可能であり、それをすることこそ公明党の使命なのだ。(2014・5・22)

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作家の油断を読み取るたしなみ

作家で現在日本ペンクラブ協会の会長・浅田次郎さんとは一度だけ逢ったことがある。正確にいうと、あるパーティ―でわたしが一方的に声をかけたのだ。前回紹介した『作家の決断』に登場する19人のなかで直接逢ったことのある3人のうちの一人だ。ただ、残念ながら、その印象は決して良くなかった▲こちらがそれなりの礼を尽くして声をかけたつもりだったのだが、終始無言。つれないこと夥しい。やあ、どうも。何時も読んでいただいて恐縮です、とぐらいは言ってほしかったなあ。尤も、大勢のなかで、しかも彼が口にモノを運んでる最中だったからやむを得なかったかもしれない。が、『壬生義士伝』や『鉄道員(ぽっぽや)』や『終わらざる夏』で流した涙はなんだったのか、との思いは募った▲『作家の決断』では、「僕は嘘つきでした」と公言してはばからない。嘘つきはどろぼうの始まりではなく、「嘘つきは小説家の始まり」だと言い切って小気味いい。小説家には文章を作ることとストーリーを作ることという二つの才能が必要であると述べ、前者は努力すれば誰でも上手くなる、つまり技術的なものだが、後者については、天賦の才能が必要だ、と。通常、作家は、これを想像力の豊かさだと恰好をつけていうのだが、彼はそれだけではなく、どれくらい嘘がつけるかだと、わざわざ付け加えている▲この本は小説家志望の学生が名だたる作家たちに直接インタビューしているもので、それだけつい作家たちは油断して自分たちの成功話を本音で、恐らくは嘘を交えず語っている。つまりはどれくらい苦労して作家になったか、今の地位を築いたかをあけすけに語っている。この本はタイトルを『作家の油断』とすべきではなかったか。作家はやはり書いたものだけで勝負すべきだろう。また、読者もそれだけを読むべきで、それ以外のものを読み、また直接逢ったりすると幻滅することの方が多いと思われる。(2014・5・15)

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なぜ医者は小説を書くのか、のふかーい理由

医師で作家の渡辺淳一さんがつい先日亡くなった。大胆に推測すると、全国の同姓同名の皆さんはお悔やみの想いとともに、ホッとされたかも。恐らく様々な場面で名乗る機会があるたびに迷惑されたろうと思うからである。先日もラジオから聴こえてきた「ワタナベジュンイチです」との声音が苦笑いを含んで伝わってきた。正確には、かのように思えた▲ともあれ巨星墜つ、である。かつて公明新聞に連載小説を書いて頂いたことがあるが、大いに物議を醸した。日経新聞の『失楽園』ほどではなかったのが残念であったが…。我が公明新聞の編集責任者もなかなか味な人選差配だと思ったものだ。一度はお会いしたいと思いながら叶わぬままとなった▲恐らくは彼の絶筆ならぬ”絶口”となった文章を読んだ。19人の作家たちのインタビュー集『作家の決断』である。この中で、私が会った覚えがあるのは、浅田次郎、阿刀田高、西木正明の三氏だけ。後は本を通じてしか知らないが、何れも人生の岐路で、どう障壁を乗り越えたかを語っており、興味は尽きない。尤も、直木賞を始めとする小説家の登竜門やらに悪戦苦闘した話も多くて、少々閉口しないでもなかった。そんな中で、渡辺さんはやはり異色というか、出色である▲一番読ませたのは、医学部に入って解剖書を読み、実際にそれに立ち会って、全身よろめくほどの刺激を受けたというくだり。「人間って、形態学的には全く同じなのに、動いてみるとみんな違う」ことに感動して「本格的に小説を書こう」と決意した、と。「医学は極めて文科系な学問」だとの言い回しも面白い。それで、医者が次々と政治家になったり、作家になるんだな、と妙に感心させられもした。それにつけても「僕は結婚は打算で、不倫は純愛だと思ってる」というセリフに、ドキッとしない男はいるだろうか。ああ、奥さんのことが気になって仕方がない。(2014・5・10)

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葉室燐の新たな連載小説で公明新聞拡大

公明新聞で葉室燐『はだれ雪』の連載が始まっている。今が盛りの人気作家の手になる、赤穂浪士異聞というか「女人忠臣蔵」はまさに注目の的で、毎朝が楽しみなひとは多いものと思われる。政党機関紙でありながら、その連載小説において過去に直木賞作家をはじめ様々な有名作家を登場させてきていることは案外知られていない。私自身、過去の記者時代に、源氏鶏太『時計台の文字盤』の原稿取りを仰せつかって約一年お付き合いしたことがある。また、愛読した『元首の謀反』の作者・中村正軌さんには、連載をお願いしたものの断られた。しかし、そのご縁で、私の拙い本の出版記念パーティーの世話人に名を連ねて頂いたり、今もお付き合いをさせて頂いている▲こうした公明新聞の連載小説にまつわるエピソードには事欠かないが、実は先年に連載された、火坂雅志『安国寺恵瓊』は、大変な人気であった。そんな連載中のさなか。党のある支部会で、その路線をめぐって議論が伯仲してしまい、収拾にやや苦労する羽目に立ち至った。その時、やおら立ち上がった80歳代後半の老婦人が「先ほど来、皆さんがあれこれ言っていることはみんな公明新聞に書いたるがな。それより、公明新聞は小説が面白い」ー場内がどっと沸いて、空気が一変した。その老婦人とも深い付き合いをする仲となった▲ところで、葉室燐といえば、『蜩ノ記』で直木賞を受賞。神戸の老舗バー『グレコ』のママーこの人は大変な読書家で、私に須賀敦子の魅力を教えてくれた人だがーが、この本を推奨しており、大の葉室好きだったことを思い起した。彼女に新たな小説が公明新聞で始まる、と告げたところ、返す言葉で「新聞取る」と。有難い、一瞬のうちに拡大が実現した。▲肝心の私は葉室麟を知らないし、『蜩ノ記』も勧められながら未読だった。それでは彼女に申し訳ないとの思いで、急ぎ読み終えた。が、今一歩ぐっと来ない。主人公・戸田秋谷が立派すぎ、眩しすぎるゆえであろうか。「これも、お読みなったら」と手渡された『風渡る』は、この店の常連・井戸敏三県知事から彼女が勧められた、と。キリシタンとしての黒田官兵衛が描かれる。彼がこういった小説を読むとは意外だった。これは読まねばならぬ。かくして私は、葉室燐にまた嵌まっていくにのかもしれない。(2014・5・3)

 

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