(28)作家の油断を読み取るたしなみ ──浅田次郎

作家で現在日本ペンクラブ協会の会長・浅田次郎さんとは一度だけ逢ったことがある。正確にいうと、あるパーティ―でわたしが一方的に声をかけたのだ。前回紹介した『作家の決断』に登場する19人のなかで直接逢ったことのある3人のうちの一人だ。ただ、残念ながら、その印象は決して良くなかった▲こちらがそれなりの礼を尽くして声をかけたつもりだったのだが、終始無言。つれないこと夥しい。やあ、どうも。何時も読んでいただいて恐縮です、とぐらいは言ってほしかったなあ。尤も、大勢のなかで、しかも彼が口にモノを運んでる最中だったからやむを得なかったかもしれない。が、『壬生義士伝』や『鉄道員(ぽっぽや)』や『終わらざる夏』で流した涙はなんだったのか、との思いは募った▲『作家の決断』では、「僕は嘘つきでした」と公言してはばからない。嘘つきはどろぼうの始まりではなく、「嘘つきは小説家の始まり」だと言い切って小気味いい。小説家には文章を作ることとストーリーを作ることという二つの才能が必要であると述べ、前者は努力すれば誰でも上手くなる、つまり技術的なものだが、後者については、天賦の才能が必要だ、と。通常、作家は、これを想像力の豊かさだと恰好をつけていうのだが、彼はそれだけではなく、どれくらい嘘がつけるかだと、わざわざ付け加えている▲この本は小説家志望の学生が名だたる作家たちに直接インタビューしているもので、それだけつい作家たちは油断して自分たちの成功話を本音で、恐らくは嘘を交えず語っている。つまりはどれくらい苦労して作家になったか、今の地位を築いたかをあけすけに語っている。この本はタイトルを『作家の油断』とすべきではなかったか。作家はやはり書いたものだけで勝負すべきだろう。また、読者もそれだけを読むべきで、それ以外のものを読み、また直接逢ったりすると幻滅することの方が多いと思われる。(2014・5・15)

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