Monthly Archives: 1月 2015

同時代を共に生きた松本健一さんの死

それはまた突然の電話だった。「仙谷由人です」と。元民主党の代議士で、菅直人内閣の官房長官を務めた人物だ。前々回の選挙で落選し、昨年末の総選挙では出馬をしなかった。なんの話か、と耳をそばだてると、「あんたは、確か死んだ松本健一君と親しかったなあ」ときた。「そうだよ。惜しいひとを亡くしたよな」と応じた。彼によると、松本健一氏が亡くなる寸前まで出版に向けて校正に手を入れていた書物を、生前に親しくしていた人々に贈りたいから送り先を知らせろということだった。遺された夫人の久美子さんの意志だという。松本健一さんとは様々な思い出がある。彼も仙谷氏も1946年早生まれ、1945年生まれの私とは同じ学年でもあり、戦後70年の同時代を共に生きてきた。もちろん思想家としての彼の濃密極まりない生き方とは比べるべくもないが▼彼らは東京大学で同じクラス。他に作家の川本三郎氏もいたというからうるさい仲間たちだったと思われる。仙谷氏は、文藝春秋2月号の巻頭エッセイで「わが友、松本健一君を送る」という一文を寄せていて、興味深い。内閣官房参与に就任を依頼した際のいきさつやら、仙谷氏自身が13年前に胃がんを手術した体験を同じ病いに倒れた松本さんに語ったことなどが明かされている。私が彼を知ったのは、公明新聞に彼がかつて寄稿してくれた『1964年日本社会変革説』を読んで鮮烈な印象を持ったことに始まる。公明党には太田昭宏氏(現国交大臣)を始め知己が多い。代議士になってから党憲法調査会に講師として招いたり、個人的に食事を誘ったりもした。10年ほど前になろうか、韓国の専門家で儒教思想などに詳しい古田博司筑波大教授が「ぜひ紹介してほしい、あの人は本当に尊敬できる思想家だ」と言って私に仲介を頼んできたことがある。一夜、同時代の思想家同士が語り合う場に同席したことは懐かしい思い出だ▼届いた本は『評伝 北一輝 Ⅴ北一輝伝説』だった。文庫版のシリーズ5冊目の最終巻である。いかにも北一輝研究の第一人者らしい締めくくり方だ。併せてA4の用紙5枚の表裏にびっしりと書かれた「松本健一著作・著述リスト」が添えられていた。松本亜沙子編 2014年12月23日版とあった。ご長女である。松本さんが逝ったのは11月27日だから一か月ほどの間に亡父のために娘さんが作成されたわけで、いとおしさが募る。それによると、彼の処女作は1971年『若き北一輝 恋と詩歌と革命と』とあるから、まさに北一輝に始まって、そして終わったことになる。あとがきには「ともあれ、わたしはこの全五巻で、わたしの知る北一輝について語り終えた。本格的に北一輝のことを語る最後の人間になるかもしれないとの意識のもとに」とあった▼私の手元には松本さんの著作は数多くあるが、恥ずかしながら北一輝についてはあまり熱心な読者とは言えなかった。むしろそれ以外の歴史ものに目が向いてきた。例えば、『開国のかたち』はほぼ二十年前に出版されたものだが、好きな本の一つだ。今改めてひもとき、傍線を引いたくだりを眺め読むと、彼独特のしゃべり口調が蘇ってくる。「維新運動に女性が登場しないのはなぜか」という章などはまことに面白い。龍馬が寺田屋で襲撃された際にお龍が全裸で急を告げたという有名な場面。これを取り上げた松本さんは、お龍の存在感が際立ってるのはなにも「全裸」だったからではなく、「幕末史において男という志に拮抗する女の肉体として自立している、ということだ」と難しく言う。ここでの「松本的男と女論」は大いに惹きつけられる。「男というものは社会的な存在であって、法や制度や、志やイデオロギーなどによってみずからを支えなくては、生きてゆけない。それらのものに手もなく乗せられる」と。確かに。そして女については、「生活のほうが大事である。生活はじぶんの好きな男との生活であり、もっとつきつめていうと、じぶんの肉体とつながっている子どもとの生活である」と。それもそうだ。そしてそこから天皇へと話を大きく回転する。尊王攘夷運動や国体論において問題になる天皇が本質において「女性格」だとし、「日本における勤皇家、もっといえば志士は、この女性格の天皇のために、ひたすら力を尽すのである。それが「皇国」における忠誠心(ロイヤリティ)というものだった」と結ぶ。なるほどと感心するしかない▼彼は明治維新、昭和の敗戦の過去における二度の開国に続いて三度目の開国を待ち望んでいた。それにふさわしい憲法を持つことこそ新しい開国のかたちなんだ、と叫び続けていた。政治家として同じ志を持った私とは、それゆえに大いに期待を寄せてくれた松本氏と大いに気が合った。これから20年ほどの間には共に生きて実現させたかった。巨星堕つとの深い感慨とともに、どうしようもない喪失感が彼が逝って二か月余りの今もなお私を襲ってくる。(2015・1・30)

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逆説、真説入り乱れての維新史ジャングル

小説家や作家が書く歴史ものは面白い。専門家としての歴史家のものよりも。当然といえば当然なのだろうが、ついつい嵌ってしまう。元テレビ局勤務の記者にして、今は「逆説の日本史」シリーズ500万部突破という売れっ子作家の井沢元彦氏。何を隠そう実は私もファンのひとりだ。単行本と文庫本さらにはビジュアル版までも買い込んでいる。ネットではあれこれと反論が書きたてられており、「逆説の逆説」などとややこしい異論も花盛りのようで、これはこれで面白い。小学館発行の「週刊ポスト」で連載が始まったのが1992年1月というから既に23年も経っている。いやはや凄いことだ。ともあれ現代日本人をそれだけ惹きつけてやまないのだから▼ただ、現職の終わりころには読み疲れたというのか、しばらく読まない時期が続いた。2010年夏からの4年間ぐらいのことだ。ちょうど井沢維新史が始まる頃で、なんだかややこしいことを随分とねちっこく書いてるなあと思ってしまい、自身の人生の転機と重なったこともあって、遠ざかってしまった。それがひと段落ついたのが昨年の暮れ。放置していた18巻から21巻までの「逆説の維新史」全4巻を一気に読んだ。官兵衛を挟んで、龍馬や会津そして松陰など維新を飾った人物、地域をNHK大河ドラマが取り上げてきたこともあって、改めて維新史を整理したいという気持ちも起こってきていた▼どれが逆説で何が真説かなどという”歴史ジャングル”に入り込むつもりはない。前々回にここで取り上げた佐々木克さんのような正統な歴史家の「維新史」も味わい深いし、井沢氏のような異端児のものもどっちも魅力的だ。さらには、井沢氏が「この時代の歴史を学ぶのに最適の入門書である。コミックだから、外国人にもおススメだ。ビジュアルにすべてが表現されているからわかりやすい」というみなもと太郎氏の『風雲児たち』のようなマンガも。佐々木さんから「読み過ぎじゃあないか」と警告されようとも、面白いものには誰しも目が行く。井沢さんの本のいいところは、微に入り細にわたって繰り返して読者に迫ってくるところだ。開国派か攘夷派かといっても羊羹を切るように当時の人物群を分けきれないということは分かっている。しかしながら、それぞれに反幕派と公武合体派がいて、それはこういう連中だったと顔写真入りで一覧表にされると堪らない。ついそれに頼ってしまう。影響力たるや抜群なのだ▼今始まったばかりのNHKの『花燃ゆ』の松陰をめぐっても、井沢さんは通常歴史的素人にはお目にかかれない話を登場させ惹きつける。例えば、吉田松陰と長州藩きっての儒学者・山県太華の論争だ。これは当時、単なる「勤皇」が過激な方向としての「倒幕」へと変化していくうえで、避けて通れない松陰の思想を解くカギだとして語られる。当時27歳の松陰と78歳の太華という組み合わせの妙もさることながら、のちに「一君万民論」と呼ばれる松陰の考え方が現れているものとしても興味深い。これらは、松陰の『講孟余話』などの中身を知らないものにとって大いに関心を呼ぶ。このように書き進めてきて改めてわが身の不勉強に考え込んでしまう。「いままで何をしてきたのか」、「一体何を読んできたのか」と。そういえば、高校時代に日本史を選ばず、世界史と人文地理だったなあ、との若き日よりの過ぎ越し方を思いやってわが身を慰めるばかりだ。(2015・1・24)

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歴史研究にマンガを読むのは許されないか

以前に触れたように幕末史に興味を持って継続的に様々な本を読み漁っている。これまでは歴史家ではない人たちのものを読む機会が多かったが、専門家のものに初めて挑んだ。といっても新書だから読みやすかった。日経新聞で激賞されただけのことはある。佐々木克『幕末史』だ。明治維新史を専門とされている人で、「欧米列強に対して手も足も出すことができなかった軍事的弱小国家日本が屈辱をバネにして立ち直って近代化を達成した、国家建設の物語として」取り上げている。前々回の半藤一利さんのものと全く同じタイトルにしたのは恐らく意図的であろう。反薩長史観に貫かれ、国内の抗争にばかり目を向けたと見られがちなものに、敢えて対抗心を燃やされたと見られなくもない▼ペリーが浦賀に来航した1853年から王政復古を経て明治維新政府の誕生までの15年間を5つの章に分けて論述したあと、明治国家の課題までを追っている。正直に言って最初の2,3章ほどは興味津々の書きぶりで実に面白い。が、後半はいささか冗長に堕して難しく受け取られざるをえず、竜頭蛇尾の感は免れない。ご本人があとがきに記しているように「大腸癌と共生しながらよたよたと歩いている老人」らしいところも散見される。しかしそういう点を補って余りあるほど迫力は漲っており、久方ぶりに読書メモを取りながらの読破となった▼日本の歴史の中でも幕末史は、150年ほど前のものだけに手を伸ばせば触れるような位置にある。歴史家たちが参考にし考え抜く材料となる資料はふんだんにある。それをどう読み解くか。歴史家に交じって様々の評論家や作家、最近はコミック・クリエイターらの参入もあり、幕末史は百花繚乱の傾向にある。既に読み終えており、近く取り上げようと思っている井沢元彦氏の『逆説の日本史』幕末年代史編全4巻などには、みなもと太郎の漫画『風雲児たち』を絶賛していて興味深い。そういう歴史書に見られる昨今の軽い風潮に、74歳の歴史大家としてはじっとしておられぬ思いで一般の人びとの目に少しでも触れるようにと、巻き返しの気概で筆をとられたのであろう。「余計なことを書かなくてもわかるとお叱りを受けそうだが」とことわりながら、「(文久3年8月の政変について)問題なのは審査にあたった編集委員も、同じようなレベルで欠陥を見抜けなかったことである。マンガやアニメの読み過ぎ見すぎではないかと笑ってすまされない」などと延べ「歴史研究の基本にかかわる問題」についてはあえて厳しく言及している▼また、「公武合体派や尊攘派とグループ分けすること自体が問題なのだ」とも。「いま何が緊急かつ重要な問題なのか、その問題設定によって立ち位置がかわり、発言に濃淡があらわれる。何々派だから、このような意見になるというのではない。これが幕末の政治世界なのであり、政党政治の時代ではないのだ」と安易に考えがちな今どきの歴女や歴史好きの甘ちゃんたちをたしなめておられる。当時の目まぐるしく動く状況をてっとりばやく理解するために、一般的には開国派と攘夷派に仕分けしてみたりしがちだ。そのあたり一概に否定すると歴史研究の興をそがれそうになってしまうので考えものではないのか、と私などつい自らを慰めてしまうのだが。(2015・1・19)

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歯の裏表事情を語るに至る道すじ

歯にまつわる言葉でお好きなものはどんなものがありますか?姫路に住む歯科医の河田克之さんに訊いてみた。「歯槽膿漏です」と答えが返ってきた。これには驚いた。一定年齢以上のひとにとっては嫌な言葉の代表格だろうし、若い人にはもはや知らない人が多いだろう。通常は「歯周病」と呼ばれているのだが、この歯科医はその呼び方自体が実態から目をそらすことに繋がっているといってあえて「歯槽膿漏」を大事にする。『さらば歯周病』という新書をはじめ幾つかの著作を持つ河田さんの『青山繁晴、反逆の名医と「日本の歯」を問う』との対談本は実に面白い。このたび河田さんと私が電子本で対談をしようということになり、改めて読み直した▼河田さんの主張は実に分かりやすい。一言でいえば、「歯磨きをしても歯を失う!」であり、歯を失わせる最大の元凶である「歯槽膿漏」は、歯石という異物を取り除く以外にないということに尽きる。「歯槽膿漏」は歯ぐきがいかれることがもたらす災いだと思っていた私は、彼の「歯を支えている骨が破壊される病気」との定義を聞いて驚いた。彼が「反逆の」とか「異端の」といった形容詞をつけられるゆえんはまさにここにある。さらに、彼は「歯槽骨を破壊しているのは、プラーク(歯垢)を含んだ骨の周りにある汚れー特に歯にこびりついたプラークが石灰化してしまった歯石だ」という▼これは一般的にいって、歯周病(歯槽膿漏とほぼ同義)をもたらす原因は歯周病菌であるとの歯学界の定説と真っ向からぶつかる。河田さんは、「歯周病菌を減らすことで歯周病は治せる。そのために歯磨きをせっせとやればいい」とする歯学界の常識に対して、歯周病菌は人間の口腔内に常在する菌であって、取り除こうと思っても取り除けるものではないし、排除する必要もないとしている。むしろ、そういう常在菌をはびこりやすくする口腔内の環境を変えるために、歯石を定期的にとることが大事だというのだ▼彼と姫路の淳心学院中等部、高等部で一緒に学び親友である青山繁晴氏は今をときめくジャーナリスト。いや、今やその域を超えて、青山千春博士と一緒に取り組むメタンハイドレード開発研究をめぐる(株)独立総合研究所の活動は世界の注目の的である。その青山氏が河田氏との対談の結論部分で、「厚生労働省、そして日本歯科医師連盟と日本歯科衛生士連盟ー彼らがガチガチでやってるなかで、ただ働きまでして、自分の本来信じる治療をしようとしているのは、これは特筆に値すると思います」と述べている▼私は、この本の存在を、カリスマ臨床心理士の異名を持つわが畏友志村勝之から聞いた。そして二人で対談電子書籍『この世は全て心理戦』を出版した。言ってみれば、青山・河田対談に激しい触発を受けたわけだ。そして今、今度は河田さんと私との間で、歯にまつわる対談電子書籍を出そうと準備を進めているわけだ。題して『歯、歯、歯の歯の裏表事情』。いやあ、まったくハハハのハだね、これは。(2015・1・12)

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反薩長史観に貫かれた講談調の『幕末史』

新しい年が明けた。ことしも旺盛に読書に取り組みたい。年明け早々三日の日経新聞の一面下の三段広告に「日本経済新聞目利きが選ぶ今週の三冊 12月3日付けで5つ星獲得、井上章一氏評 佐々木克『幕末史』」とあったのが目を惹いた。今年はNHKの大河ドラマに松陰の妹・文をヒロインにした『花燃ゆ』が放映されるから、去年の黒田官兵衛・戦国史から,再び「維新・幕末史」か、との思いがこみあげてきた。駅前の書店を覗くと、さっそく松陰もの、維新関連本のコーナーが設けられていた。しかし、そこにはお目当ての佐々木克『幕末史』の姿はなく、半藤一利さんの同名の著作が置いてあった。というわけで仕方なく、古い方の『幕末史』から取り上げてみたい(佐々木さんのものはそのうちに)▼半藤一利といえば「歴史探偵」の異名を持つ、元「文藝春秋」編集長にして、今は評論家であり作家だ。このひとの『幕末史』は7年前に出版されている。その直前に出た『昭和史』と同様に、少人数の人たちを前にしての「張り扇の講談調、落語の人情噺調」である。講談調,落語風で極めて読みやすい。前にも触れたことがあるが、この人の娘婿が私の友人で元産経新聞の政治部長北村経夫氏(現在、参議院議員)だ。彼の紹介で半藤さんとも十数年前だがお会いし、ひと夜あれこれと懇談させてもらった。話の中身はほとんど覚えていないが、開口一番「あなたはずいぶんとくだらない本を沢山読む人だね」と言われたことだけははっきりと覚えている。会う前に私の『忙中本あり』をざっと見られたのだろう▼半藤さんは、この本の主題は「いわゆる皇国史観(薩長史観)に異議を挟みたい」ところにあり、「(戊辰戦争で)西軍の戦死者は残らず靖国神社に祀られて尊崇され、東軍の戦死者はいまもって逆賊扱い」なのは不条理だから、その無念を晴らしたいと「あとがき」でも述べている。彼は越後長岡藩出身の父を持つだけに「賊軍」の汚名を着せられたうらみが根強くあるように思われる。「西郷は毛沢東と同じ」だとか「龍馬には独創的なものはない」などといった定説とは違った見方を提示されると、多義的な歴史の一端を知ることができるようで面白い。例えば、明治維新をどう見るかという一番の根本のテーマでも、半藤さんは維新という呼称はおかしい、単なる徳川幕府の瓦解だというし、ほとんど無血革命に等しかったと見る指摘があるのに対して、暴力革命だったと言い切る。この辺り、世界史の視点を含め、公正な見方をすべきだと、薩長、反薩長いずれにも与さない私などには思えてならない▼ただ、事実として、明治の世になった時点で、西軍と東軍のいずれに属していたかで、藩の運命が大きく分かれたことは銘記しておく必要がある。県名と県庁所在地が違うところが17県あって、そのうち14県が朝敵藩だったというのは、新政府の考え方を示していて、えげつないほど露骨だ。私の生まれた地・姫路などそれまでの力からすると、姫路県であるべきなのに、飾磨県にされてしまった。後の兵庫県の中心からも外され、今に至っており、長年の発展の遅れと決して無縁ではない。半藤さんはこうしたエピソードをふんだんに持ち込み、歴史を独自の視点で検証していく。『幕末史』を読んだうえで今度会うと、「くだらない本をやっぱりよく読んでるねえ」ってまたいうかどうか。新聞記者から政治家になった娘婿に、また会わしてくれと頼んでみよう(2015・1・6)

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