Monthly Archives: 8月 2015

西洋思想を批判し、日本の心を宣揚した外国人ーラフカディオ・ハーン『新編 日本の面影』

ラフカディオ・ハーン(日本名・小泉八雲)というひとの存在を知り、その名著『怪談』を読みかじってから、もう半世紀ほどが経つ。明治37年に54歳で亡くなる半年ほど前に東京で書いた、つまり最後の仕事となったのが、それだ。彼は、ギリシャのある島でアイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれた。1850年のことだ。19歳の時に単身、アメリカに渡り、職を転々と変えながら世界各地を飛び回った。やがて通信記者となって40歳の年に来日する。島根県松江の中学校の英語教師として赴任、その年の終わりに小泉セツと結婚した。二年後に書いたのが『見知らぬ日本の面影』である。日本に着いて初めて外国人向けの月刊誌(アトランティック・マンスリー)上に連載した作品だ。恥ずかしながら、これを私は知らずにいた。きっかけは、たまたま見たNHK総合テレビの「100分DE名著」シリーズで取り上げられていたからだ。早速『新編 日本の面影』(池田雅之=訳)を買い求めて読み、深く感動した▼とりわけ私が惹きつけられたのは、「はじめに」である。「日本人の生活の類まれなる魅力は、世界のほかの国では見られないものであり、また日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在する」ーという風に、日本人の庶民の生活に立ち入って、日本文化の本質や日本人の内面を描こうとする強い狙いが読み取れる。訳者の池田雅之(早稲田大大学院教授)さんは、ハーンが「日本の進歩的知識人や教育制度の中で軽蔑され排除されようとしている日本の古い民間信仰や、迷信、言い伝えや風習、昔話や神話などのフォークロア的世界観の再評価および擁護」をすることで、「近代批判の幕開け」を展開しようとしていることを強調している。日本の近代がキリスト教、西洋哲学・思想の受け入れに必死なあまり、大事な日本のこころを忘れてしまった、という私の最大の関心事の核心をつくテーマにぐいぐいと引き込まれた▼「東洋の第一日目」「盆踊り」「神々の国の首都」から「日本人の微笑」などに至る記述は、実に読みごたえがある。一般社団法人「瀬戸内海 創造の海へ」を立ち上げ、日本の心の風景を瀬戸内海の島々に求め、日本精神のありように迫ろうとしている私にとって大いなる刺激となった。「ホーケキョー」との鶯の鳴き声に、「法華経」を重ね合わせる描き方には思わず微笑んだ。「我が家の小さな仏教信仰者は、こんなにも簡潔に信仰心を伝えているのだ。鶯は流れるようなさえずりの合間に、その聖なる言葉を何度も何度も繰り返し唱和する」ー50年間に亘り、日蓮仏法の信仰にわが身を委ねてきたものとして、このくだりにはまことに胸打つものがあった。物質主義、個人主義、産業中心主義、キリスト教など、ハーンの西洋批判の切口は多岐に亘っている。日本人に代わってのこの批判の切口こそ、今最も注目されねばならないと思う▼この夏、一昨年から続く三度目の熊本行きを思い立った。同県に住む畏友が案内してくれる気安さもあってだが、今回は家内を伴った。初めての阿蘇を見せたい、と。その熊本こそ、ハーンが島根のあとに移転した地なのである。市内の中心にある、ハーンのかつての住まいをつぶさに見る機会を得た。小さいながらも整った庭を見ながら、「日本の庭にて」を思い起こした。「出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命のような気がする」「この庭の美しさを創り出した、今は失われてしまった芸術」などと述べている。日本らしさの消滅という未来を予測しながら、仏教への憧憬を深く強く描き出していたことには感銘を新たにした。ハーンといえば『怪談』。それも深い理解ではなく、紋切型にしか捉えていず、やり過ごしてきた自分を大いに恥じる”熊本旅”になった。昨年、出雲大社を訪れた際に気付かなかったハーンの仕事を、熊本にて改めて気付かされたというのも妙なものだが、彼はその後、神戸、東京と私にとっての有縁の地に移り住んでいる。遅ればせながらも、西洋礼賛の陰で忘れられた日本のこころ、日本精神のありどころをハーンに教えられた。今、たとえようもない幸福感に浸っている。(2015・8・31)

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知らぬことばかりの自分の体について ー 笹山雄一『人体探求の歴史』

還暦を過ぎてから、「60の足習い」とばかりに、ジョギングに精をだすなど健康には十二分に気配りをしているものの、時に容赦なく病魔は襲いかかってくる。青春の真っただ中で肺結核を患ったことがある私は、体についてひときわ関心を持ってきた。この猛暑の夏、笹山雄一『人体探求の歴史』を読み、心底から啓発された。死ぬまで付き合うわが体の仕組みについて、いかに自分が無知であったかが改めて解り、遅ればせながらの探求心がわいてきた。このうえなく役立つ面白い本との出会いに、興奮は冷めやらない。「眼」から始まって「耳」「鼻」「心臓」と続き、「肛門」「精巣」「卵巣」まで15の器官を微に入り細にわたり、特徴や役割を解説し、不調への対応を様々なエピソードを交えて示してくれる。まともに読むと決して読みやすいとは言えないが、よく注意を凝らして読み進めると、思わぬ宝に出くわす。老爺心ながら、この本も前から読むよりも後の「肛門」あたりから入った方がいいですよと言っておきたい▼勿論、ひとの興味のありようは様々。だが、「同病相憐れむ」傾向は万国、万民共通に違いない。痔ろうだったらしい夏目漱石が弟子・小宮豊隆への手紙に「御尻は最後の治療にて」「僕の手術は、乃木大将の自殺と同じ位の苦しみあるものとご承知ありて、崇高なるご同情を賜度候」とある。これを「ふざけて書いている」と見るよりも、哀れが先立ってしまう。「文豪とて、よほど辛かったとみえて、手術七日目に、『切口に冷やかな風の厠より』という句を読んでいる」のには、笑いをこらえて、さすが俳人と称賛したい。「精巣」ではつい先ごろの「切り取り」事件に思いが及び、わがペニスや睾丸が愛おしくなる。中国の宦官にまつわる去勢の実態やら、なぜ日本にはその習慣がなかったのかなどの記述は興味深い。尾籠な話ばかり紹介していては、私の品性が疑われかねない。「有名人の結核とその周辺」のくだりでは、樋口一葉、石川啄木、沖田総司、正岡子規ら「枚挙に暇が無い」と言いながらあれこれ取り上げられていて、知的好奇心がとめどなく湧いてくる。勿論、さりげない病への具体的対処も忘れてはいない。「糖尿病を予防するには、老化を感じる前から、運動するよう心がけることが肝要である」との記述には、わが意を得たりとなった▼本の性質上、杉田玄白が83歳で書き残した『蘭学事始』に関する引用が少なくない。その玄白の『解体新書』を「如何にして出版されるに至ったかは、『冬の鷹』吉村昭に詳しい。胸躍る作品である」と紹介しているのも、読んだものとして大いに共感する。一方、「胃カメラの考案者は日本人」において、その経緯は、「吉村昭氏が書いた『光る壁画』に詳しい」「ぜひ、一読をお勧めする」となっている。これには、すぐ注文したくなってしまう。次から次へとこんな調子。実に体躍り、心騒ぐ本である。一読ならず数読をお勧めする▼私の父は78歳で亡くなった。晩年、両の手のひらの皮膚が捩れたり引きつって困る、これはどうしてか、とよく云っていたものだ。当時は、へーぇといって眼を向けても、それ以上の関心は無かった。ところが、あれから30年ほどが経って、まったく同じ症状がわが手のひらにも現れてきた。遺伝だ。痛いわけではないものの、脂肪の小さな塊のようなものがあちこちから盛り上がって膨らみ、気持ちは穏やかではない。当初は、長年の労働の結果ゆえの勲章か、などと高をくくっていた。整形外科に行くと、デュピュイトラン拘縮という診たてだった。「これ以上酷くなると、手術が必要になってきますね。そうなる前にやりますか」と。冗談じゃない。手のひらを切り刻まれてはたまらない。糖尿病患者に良く見られる症状だというが、因果関係は未だ医学的に分かっていないようだ。かの石川啄木が貧乏な暮らしのなかでじっと手を見た心境と比べるべくもないが、死んだ親父にだんだん似てくる自分に思わず苦笑いせざるを得ない。(2015・8・26)

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アメリカとの思想戦にも敗れたままの日本ー佐伯啓思『従属国家論』

今年は例年にも増して、テレビでの終戦記念特集番組が多かったように思う。戦争に従軍し、生きて終戦を迎えた人たちのうち最も若い兵士でも当時十代後半だから、今年は90歳前後。戦後80年には生存者は際立って少なくなるはず。テレビ番組に証言者として登場可能なほぼ最後の機会だったと思われる。16日に放映されたNHKスペシャル『”終戦”緊迫の7日間』なる番組にも、元兵士たちが貴重な証言をされていて、息詰まる感動を迫られた。15日のいわゆる玉音放送以後にも、「徹底抗戦をすべし」、「本土決戦をも辞さず」との動きが軍部を中心にあったことは良く知られている。しかし、当事者から映像を通じて聞くとなると全く迫力が違った。勿論、ことは一週間では終わらず、ソ連の侵攻により北方領土周辺ではさらに戦闘は続いた。マッカーサー将軍が8月31日に来日し、9月2日のミズーリ号上の降伏文書署名ぎりぎりまで戦争は続いていたのである▼いつからを「戦後」といい、「戦後」の始まりに何があったのかを克明に追う作業はこれまでにもいくつもなされてきている。しかし、読みやすい平易な文章で書かれたものはあまりお目にかからない。佐伯啓思『従属国家論 日米戦後史の欺瞞』は十二分に満足させられる内容だ。佐伯さんは私が注目する思想家のひとりで、近過去には『西田幾太郎ー無私の思想と日本人』を読み、近代日本の思想形成のありようについて、大いに考えさせられた。今回の安倍首相の「戦後70年談話」への評価をもあれこれと読んだが、一番私の心にフィットしたのは毎日新聞での彼の「米型歴史観から脱せず」との寄稿文だった▼6期20年の衆議院議員としての生活の大半を外交・安全保障分野で仕事をしてきた私の総括は、「日本は結局はアメリカの属国だ」というものだ。七年ほどで米国の占領に終止符が打たれたというものの、実質的には今なおそれは続いているといっても言い過ぎではない、と。この本では私の到達した結論を裏付けるかのように、改めて従属国家・日本の誕生から今に至る経緯をとても分かりやすく教えてくれている。彼は「アメリカに従属しておりながら、しかし、日本国内では、何か、主体的に物事を決めているかのように装っている。アメリカからすれば日本はアメリカの属国です。しかし、われわれ日本側からすれば、あくまでわれわれのほうに主体性があるような構造になっている」ーこれが「戦後レジーム」の二重構造である。戦争で負けたことにより、日本の伝統的な歴史観や価値観や思想が否定され、アメリカ風の合理的精神や、理性というものが押し付けられてきた。そのくせ表向きは日本とアメリカは価値観を共有しているという言葉で矛盾が糊塗されてきたのである。冷戦期の米ソ対決、資本主義対社会主義という対決の枠組みの陰で、米側、資本主義側に組み入れられてきたのだから無理もない▼この本は、全部で9章から成り立っているが、最後の「近代日本という悲劇」という章だけがある意味独立している。とりわけこの章は私にとって興味あるテーマが扱われており、繰り返し考えるいい機会となった。佐伯さんの提示するところは、先の大戦は「西洋的合理主義」対「日本的精神」の間の思想戦という色彩が強かったということであり、アメリカ側は、自由と民主主義を守る戦いに勝ったのだから、「日本の錯誤に対しては道徳的な裁きと民主的な教化が必要である」との姿勢で戦後ずっと挑んできたというものだ。この辺りを一言で表現すると、様々な国際政治における現在の対立、混乱は、「もとをただせば、近代を普遍的世界と見なすアメリカの歴史観に端を発している」ということになる。「日本的精神」なるものの構成実態を、佐伯さんはかねて西田哲学の「無私の思想」としていることは興味深い。私には、明治維新後に受容した「西洋合理思想」を「日本思想」に取り入れ、変貌させるという日本独自の手法が未だ果たされていないことが誤りの原点に思われてならない(2015・8・19)

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「司馬遼太郎」を聴きに行き、「茨木のり子」に会うー後藤正治『清冽』

本の著者のサイン会なるものに初めて並んだ。ノンフィクション作家・後藤正治さんの著作『清冽』と『言葉を旅する』の二冊を持って。第17回司馬遼太郎メモリアルデーが7日午後、姫路駅前のキャスパホールで開かれたときのことである。後藤さんとはこれまで会ったことはない。かねてノンフィクションの分野で良い仕事を次々とされており、注目していた。『空白の軌跡』で潮賞を受賞されていらいのことである。この日は「創造と想像 司馬作品の楽しみ方」と題して、毎年積み重ねられてきた由緒あるこの会のメインスピーカーとして登場されると聞いて、参加してみた。講演内容は、「創造と想像」という、きわめて深い切り口を用いて鮮やかに捌かれた聴き応えのある良い内容だった。「嘘と妄想」などという観点から、本を時として斜めに見る傾向のあるものにとっては、特に。ただ、司馬さんの作品解剖で、『播磨灘物語』に多くの時間を割かれたことはいささか気になった。「黒田官兵衛」は、姫路の人間にとって、いささか食傷ぎみであることをご存知なかったのだろうか▼『清冽』は、副題に「詩人 茨木のり子の肖像」とある。去年の11月に出版されている。茨木のり子さんのことは、「わたしが一番きれいだったとき」なる詩を以前に読み、鋭い”反戦の詩(うた)”だと思った記憶がある。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」で終わる詩を読んだ時には、自分に対して言われた気になった。そう、茨木のり子という人物には、近寄りがたい強い個性を感じてしまった思い出があるのだ。そうした勝手な茨木のり子像が、この後藤さんの素晴らしい”評伝”によって、かなり修正を余儀なくされた。確かに彼女の代表作ともいえる「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない」で始まる「倚りかからず」という詩には、ただの人間を寄せ付けない凛とした人となりを匂わせてやまないものがある。しかし、同時にあたたかい人柄や普通の市井人と変わらぬ人間性を知るにつけて、大いに親しみをも感じるに至った。恥ずかしながら、私は彼女の顔すら知らなかった。およそ美とは縁遠い怖いおばさんを想像していたのだが、なんと絶世の美人だったのだ。表紙に使われた写真の笑顔にはいつまでも惹き付けられてしまう。優しい佇まいのなかにも屹立した個性を感じさせる茨木のり子像を後藤さんは見事に描き切っている。読み終えて、しばし感じ入ってしまい、次の行動を直ぐには取れなかったほどだ▼「宗教(思想)と政治」の二つながらの道を追いかけてきた私のような人間にとって、「六月」の章は、とりわけ印象が強い。昭和50年の昭和天皇の公式記者会見での発言への彼女の直截的な憤り。これほど厳しい天皇の戦争責任を突いたものを、私は幸か不幸か知らなかった。「声なき声の会」に加わっていた彼女の『日記』のくだりを目にすると、時の政治に対する強い批判の眼差しを意識させられる。その時点での彼女の”思想的倚りかかり”を感じてしまい、彼女の肖像への淡い憧憬に瑕疵が生じるような気がするのは私だけだろうか。この章における後藤さんの解説的記述は妙に心に残る。「日本の戦後史にかかわる問題へ私も幾度か分け入った気がするが、霞の中に潜む鵺を追うごとく、掌握したという手応えのないまま徒労感にとらわれてしまう。今も上空のどこかに鵺の棲む霞は漂い、折々、往時の借財を思い出させて降りてくるのである」ー後藤さんの穏健なお人柄を思わせて余りあるような、慎重で微妙な言い回しに深く感じるものがあった▼後藤さんが料理する「司馬遼太郎」に惹かれて食べに行ったのに、「茨木のり子」の方を食べる羽目になり、むしろこっちの方が味わい深かったというのが率直な感想だ。講演会の後に、質疑応答の時間がもたれるというので、私は質問を用意したが、するいとまを失ったので、サインをしていただく列の先頭に立った。で、聴いてみた。「司馬遼太郎さんご自身は、自分が最も好きな本に『燃えよ剣』を挙げておられたようですが、なぜだと思われますか」と。この小説は私が二度読んだ数少ないものだからなのだが、忙しい折でもあり、後藤さんはあまり明確な答えを提示してくれなかった。尤も、質疑応答でも3人ほどが司馬遼太郎について細部にわたる質問をされていたが、回答はほとんど司馬遼太郎記念館の上村洋行館長(司馬さんの義弟)が答えていた。後藤さんが振ってしまわれるのだ。詳しくないことを知ったかぶりされない、慎ましいお人柄だとみた。私は割り切れない思いで、エレベーターに乗ろうとすると、丁度上村さんと一緒になった。早速に訊いてみた。「それは土方歳三が好きだったからでしょう」と。明快だったが、はぐらかされた気分になった。(2015・8・13)

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「歴史認識」を考える最良のパートナーー大沼保昭『「歴史認識」とは何か』

2015年夏ー先の大戦が一応の終結を見たあの「8・15」から70年の歳月が経つ。私が70歳を迎える年でもある。安倍首相の「戦後70年談話」の文案をめぐって、あれこれと取りざたされる中、私も改めて「歴史認識」を考えるよう努めてきた。まず年初に出版された服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』を手にした。近頃、本の結論部分を先に読んで、その本の値打ちを図る癖がついていることもあって、終章の「歴史問題に出口はあるか」を真っ先に読んだ。「歴史認識をめぐる相剋と和解の模索は、政府間だけでなく、メディアや市民レベルでも続くだろう。真の和解には息の長い対話が各分野で求められる。粘り強い民間交流や、共同研究を通じた信頼構築も必要となろう」ー要するに、出口はあるのかないのか、「どないやねん」とつい言いたくなる。結論部分がこうだから、あとは推して知るべしとはいうまい。自分の理解力不足からか、なかなか没入できなかった。外交面に絞った「歴史認識」をめぐる記録としての資料的価値は大いに認めるものの、読み物としては、あまり面白いものとはいえない▼そんな折もおり、大沼保昭『「歴史認識」とは何か』が著者から送られてきた。かねて様々な機会に教えを乞う機会があった、私の尊敬する大沼東京大名誉教授のものとあって、これは貪り読んだ。もちろん、終章から。「歴史認識」問題は克服できるか、との見出しで始まるこの本の結論部分はなかなか読ませる。「非欧米諸国が経済力をつけ、国際的発言を高めていくなかで、これまで日本が中国や韓国から批判されてきたような構図が、こうした国々とかつての植民地支配国である欧米先進国との間でみられるようになるかもしれない」ー明治維新に端を発し、日清・日露の勝利から昭和の戦争の敗北へという、日本近代の負の側面を思うにつけ、このところの私は、先行してきた欧米文明を無批判に受け入れてきたことの過ちに、思いをいたすことが多い。勃興するアジア披植民地国によって、かつての欧米宗主国はやがて批判の矢面にたたざるをえなくなるかも、との大沼さんの予測は的中する可能性が高い。遅れてきた帝国主義国家日本が先に受けた”洗礼”は、先行く国家群も必ずたどらざるを得ない道として▼この本はジャーナリストの江川紹子さんの質問に大沼さんが答えるという形式をとっており、きわめて読みやすい。行動する学者として、様々な運動に携わってきた大沼さんは、溢れ出る感情を時に隠さず対象にぶつけてきたひとでもある。この本でも、そのあたりの人間・大沼保昭が随所に結構ドラマティックに顔を出し、引き込まれる。「東京裁判」をめぐる記述の中で、インドのパル判事の「日本無罪論」は誤りだとして、いわゆる「常識」的な見方を批判する一方、オランダのレーリンク判事の生き方を示唆に富むものとして,評価をしているところは興味深い。この冒頭部分で、著者は「現実の国際社会が単純明快に回答をだせるものではない」というある種”当たり前の見方”を提示している。一方、結論部分で「大部分の人間は俗人」「国家というのは『非道徳的な社会』(ラインホルト・ニーパー)ですから、人間よりももっと悪い行動を取る」「世界で生きていくうえで、わたしたちは『よりましな悪』を求め、それを積み重ねていくしかない」との含蓄ある見方を披歴している。わたし風に国際社会なるものを言い換えると、「やくざな国家群が乱れ生息している複雑きわまりない社会だ」ということになろうか。ともあれ、品行方正なる存在とは程遠い国家に、過度な期待を抱いてはならないといった見方がこの本の基底部をなしているように私には思われる▼様々な思いを抱かせられた本だが、元慰安婦とのやりとりを紹介した一行には思わず涙した。慰安所で重い病気にかかった時に、日本の軍医が一所懸命に治療をしてくれたというところだ。そのことを彼女は「大沼先生ね、わたしを地獄に連れてったのは日本人だった。でも地獄から救ってくれたのも、日本人だった」と語った、と。この言葉に日韓の関係のすべてが集約されているような気がしてならない。大沼さんと同様に、読んだものとしても忘れられない。「歴史認識」を今の時点で考えるうえで、この書物はとても得難い深い内容を含んでいる。多くの若い人たちに読むことを勧めたい。私は衆議院議員として6期20年努め、その大半を外交・安全保障の分野での議論に参画した。国際法学者としての大沼さんの論考をしばしば参考にさせてもらったものだ。しかし、「人権」をめぐる彼の闘いには、残念ながら殆ど”参戦”できなかった。何人かの他党の先輩議員の協力的活躍が紹介されているくだりを読むにつけ、”不戦敗”だった自分を恥じざるをえない。(2015・8・9)

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『エセー』と過ごせば暑い真夏の夜も……ーコンパニョン『寝る前5分のモンテーニュ』

暑い日々が続く。熱帯夜の中で、トイレに行ったのちに、汗にまみれた肌着を取り換え、二度寝をする際の気持ちよさ。こんなことはかつてなかった。要するに私も歳をとったということなのだろう。1999年に思いたって、足掛け17年にも及ぶ長い時間、この読書録を書期続けてきた私だが、まことに楽しい経験を積み重ねてきたものだと思う。歳をとることは時に辛く寂しいものではあるが、また一面、滅法面白くこころ踊ることでもある。本との出会いも老いて益々盛んになってくる。嬉しいことだ。私は、ずっと新聞、雑誌の書評欄や友人、知人の勧めなどから読む本を選んできた。このため、どうしても古典がなおざりになり、今流行りのものに手が向きがちになるのは否めない。でも、時に古典の凄さを教え、誘ってくれる本との出会いから、原典に立ち向かう喜びに直面することもある。アントワーヌ・コンパニョン(山上浩嗣・宮下志朗訳)『寝る前5分のモンテーニュ』を読んで、ついにモンテーニュ(宮下志朗訳)『エセー』の深みにはまるに至った▼「エセー」入門という副題を持つこの本は、もとは「モンテーニュと過ごす夏」あるいは「ひと夏のモンテーニュ」といった風な訳がなされるものだが、訳者たちが入門書を強調するべく「寝る前5分に読む本」とした。現にフランスのラジオ番組で今から3年前の夏に毎回5分、40回にわたって放送されたものを出版したという。生真面目な私は枕元に置いて、寝る前に一章ずつつまり5分間分だけ読むようにした。ただし、5分がいつの間にか長いものになってしまったことは言うまでもない。著者は前書きで「モンテーニュのいくつかの断章だけを紹介するというのは、わたしが学んできたすべてに、わたしが学生だったころに当たり前だった考え方に、まっこうから反する行いだ」と言う。ただ、そういうことは結構頻繁に行われており、「とてつもない暴挙」というほどのことではないと思われる。問題は殆どそういう試みが成功していないということである。しかし、この本は見事に成功しており、鮮やかな『エセー』手引書の役割を果たすものとなっている▼一度全体を読んだ後、『エセー』第一巻を購入し、そこに該当する数か所を拾い読みした。で、さらに訳者あとがきで、山上氏が勧める、死、他者との交流、宗教に関わる主題を扱う5つの章に限って再度読み直した。確かにコンパニョンは「引用文を明快に分析」してはいるが、「モンテーニュの思想について断定的な結論」を下すには至っていない。ゆえに、読み手の自由な発想による思索を可能にしてくれる。まず「抜けた歯」の章で、モンテーニュが25歳と35歳のときの二枚の肖像画と今の自分を比較して、若いころの姿が遠ざかって、死に近づいていることを、著者は引用している。で、歯をはじめ自分の体の部分のあれこれの不調に端を発し、やがて「最後の死」がすべてを奪い去るものだと言う。しかし、私はこの記述には物足りなさを感じる。むしろ少年、青年、壮年、そして老年期と幾つもの違う人生を楽しんだすえの結果としての死だという点を銘記すべきではないか、と考える。また、「他者」の章も面白い。「ことばとは、半分は話し手のもの、半分は聞き手のものだ」とのモンテーニュの文章を引用しながら、会話をテニスなど勝負を決するためのものと、友好を表現するものとに分けて、どっちにみなすかで、モンテーニュはその間を揺れているというのだ。確かに「他者とのつきあいが自分との出会いに役立ち、自己を知ることが他者と向き合う手段となる」との指摘は味わい深い。時に、一方的に自己主張をするばかりで、相手の言葉に耳を貸さない自分を思い起こし、恥ずかしい限りだ▼さらに「書物」の章は白眉だと思われる。「書物との交わりは、わたしの人生行路において、いつでも脇に控えていて、どこでも付いてきてくれる。老年にあっても、孤独にあっても、わたしを慰めてくれる」と、モンテーニュは、美しい女性と、心地よい男の友人という二つの交際との比較をしたうえで、三番目の書物との交際を最上のものとして挙げている。いや、美しい女との交際の方が、とか稀ではあっても男の友情の方が、などと無粋なことは言うまい。人生の流れの中でそれぞれが重要かつ得難いものではある。しかし、老年になればなるほど、書物の味がより勝ってくるとの予感は確かにしてくる。尤も、モンテーニュの時代と違って、今や活字文化から電子書籍へ、つまり印刷からITの時代へとの変化をコンパニョンは見逃しているのではないか。私にいわせれば、書物との交わりも捨てがたいが、同時にパソコンとの交わりも重要だ、と。書物を読み、読んだ本の中身を、こうしてパソコンを叩いて表現して他者に見てもらうなどということが、かつて考えられただろうか。まことに良い時代に生まれ合わせたものだと、こころの底から思っている。このように、このモンテーニュ入門書は、あれやこれやと想像の翼を広げてくれ、新たな創造の海へと誘ってくれるのだ。(2015・8・5)

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