Monthly Archives: 2月 2016

読むたびに微笑む「老いの楽しみ」ー松田道雄『幸運な医者』

世の中、油断も隙もあってはいけないということは良くわかってるつもりだが、往々にして忘れる。というか私の場合、自己過信からの自損事故が多い。ひと月近く前、理髪店で椅子に座った状態で脱いでいた靴を履く際に紐を結んだ。その時に女性従業員(そこはすべてそうだが)から「身体やわらかいですねぇ」と感心された。私と同年配の客では、そんなことできる人は珍しいという。そこで終わってれば良かったのだが、「私は前屈など得意だよ」とつい上体を曲げて両手の指の先を地面につけた。いらい四週間というもの、左の脇腹下の腰痛がただならざる状態になってしまったのである▼20代半ばにぎっくり腰になってより還暦を迎えるまで、40年近く腰痛に苦しみぬいた。日本カイロプラクターズ協会と巡り合い、カイロ治療を受けてからのこの10年は、痩せておなかがへこんだことも手伝って、ジョギングをしても腰痛知らずだった。それが元の木阿弥状態になったのだ。70歳になって”現代古希ン若衆”だなどと駄洒落ていたが、腰は体全体の軸とあって辛い。そんな折に再読したのが松田道雄さんの『幸運な医者』と『安楽に死にたい』の2冊。「生と死」や「健康」を考える時など、時に応じて取り出す。松田さんは小児科医をしながら『育児の百科』など物書きとしても活躍。患者の自己決定権の思想にたった医療の実践をつづけ、1998年に90歳で亡くなるまでの30年間は評論・執筆活動に専念した。面識はなかったが、若き日より遠くから憧れていた存在だ▼「長生きするしないは、大部分遺伝因子で決まっていて、変更できるものではない」「長生きした人の話をきいても、その人の鍵が、その人の門の錠前をスムーズにあけられるというのと同じだ。借りてきても、自分の門の錠前をスムーズにあけられるものでない」といった話は含蓄に富む。また、元はマルクス・レーニン主義に傾倒していたが、「ソビエト・ロシアの国教になっていた信仰から離れたのは、私なりに自分の目でロシアを見たから」だという。「育児という実用の仕事をしながらも、その底のほうに、ほんとうは何をしても空しいんだという気持ちを押さえきれなかった」松田さんは、「ニヒリスト」的側面を持ち続けた人だと、世間から見られていた▼マルキストとは無縁で、かつ「幸運な宗教者」である私にとって、松田さんの晩年はとくに気の毒に思われる。それでも、「老いの楽しみ」の章は読み返すたびに微笑む。テレビ、ビデオや映画について語ったくだりは、あんな人でもこんな楽しみを老後に持っていたのか、とにんまりする。「疲労感のある日は西部劇がいい」とか、中国の映画は「風俗的な興味からテープに入れるが、くりかえしてみたいのにはぶつからない」。「香港のは時に面白いのがある」し、「韓国も日本より問題意識があって」いいというようにも。友人たちとのやりとりも読ませる。「むつかしい本はいやになりました。芥川全集予約すべきか迷っています」とか「けさ妻に『あんたなんで生きてんにゃ』とたずねたら『寿命があるさかいや』といいました」など、さりげないながらドキッとさせられる言葉にも出くわす。「長く生きて生を楽しむには、ふたつの丈夫な足場が要る」として「身体」と「精神」をあげたうえで、それを支えてくれたのは「本や音楽や映画もあるが、友人も」と。幾たびめかの腰痛のせいで、いい本を再読できた。(2016・2・28)

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「新しい普遍主義」はいったいどこにー佐藤優『池田大作大学講演を読み解く 世界宗教の条件』

読売新聞の橋本五郎特別編集委員に『二回半読む』という著作がある。本は一度読んだだけではなかなか理解できない。二回は読み、彼のような書評を数多く手がける人はさらに、という意味だった。また、作家の佐藤優さんは、二度ほど読み、また数か月経ってから読みなおすとより頭に収まるものだとどこかに書いていた。私の仕事上のボスだった市川雄一元公明党書記長は、自分が読んで感銘を受けたくだりは必ず身のまわりの人間に語ることを常にしていた。優れた読み手たちは、それぞれ工夫を凝らす努力しているものだが、私はそういうことを知りながら実践できないでいる▼佐藤優『池田大作大学講演を読み解く 世界宗教の条件』を読んで、一体自分はどこをどう読んだのだろうというショックを受けた。佐藤さんはこの10年で100冊を超える出版物を世に問うているが、『地球時代の哲学 池田・トインビー対談を読み解く』と並んで、この人の池田思想理解はおよそ半端なものじゃないことを改めて世界に明らかにしたと確信する。多くの弟子が師の偉業を活字で語ることに手間取っている間に、異教徒がここまで見事に創価学会の果たしてきた役割を披歴するとは‥‥▼北京大学での「新たな民衆像を求めて」という1980年の講演は、「友好と反目の二極化現象」にある昨今の日中関係を打開する上で極めて示唆に富む。池田先生は「中国は神のいない文明」(吉川幸次郎氏)だとの指摘を通じて、ヨーロッパ文明の「普遍を通して個別を見る」伝統に対して、中国文明というものを「個別を通して普遍を見る」という言葉に要約された。こういう素晴らしい能力をあなた方は持っているがゆえに「恐れずに改革開放政策を進めればいい」と中国を世界に誘ったのだ、との見立てはさすがに佐藤氏らしい鮮やかさだ▼経済面では共産主義下にありながら資本主義を導入するという”離れ業”をやってのけた中国も、政治面では依然として共産党一党支配のいびつな体制のまま。同講演において池田先生は「中国が文革の負の遺産を超克し、世界の大国になるには『新しい普遍主義』が必要だと説いた」。佐藤氏もその方向に舵を切ることを全面的に支持している。ところで、この講演から既に四分の一世紀が経つ。ヨーロッパ文明に根差す「旧来の普遍主義」が色褪せた今日、「新しい普遍主義」の姿は未だ明確には見えてこない。この講演を読み返してみて、「旧来の普遍主義」に無批判に身を寄せたままの日本の在りようについて、根源的な不安が沸き起こってくるのを禁じ得ない。問題はむしろ中国ではないのだということが痛切に感じられる。(2016・2.19)

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友好と信頼を築く日中融和の試みー浅野勝人『北京大学講義録』『融氷の旅』

元NHKの解説委員にして元内閣官房副長官、元外務副大臣などを歴任した浅野勝人氏。国会議員を勇退されて5年半が経つ。昨年末に前議員の会で久方ぶりにお会いした。一貫して日本と中国との融和に取り組まれてきたことで知られる。かねて尊敬していたジャーナリスト出身の大先輩との再会は私にとって大いなる知的刺激をもたらしてくれた。この人は今「安保政策研究会」という一般社団法人を主宰される一方で、執筆活動にも余念がない。現役時代さながらの意欲と行動ぶりには驚くばかりである。ほどなくして二冊の本が送られてきた▼『北京大学講義録 日中反目の連鎖を断とう』『日中秘話 融氷の旅』だ。私は、池田大作創価学会インターナショナル(SGI)会長(現在)の学生部総会での講演(1968年)を聴いていらい中国問題に開眼した。強い関心を持って研鑽を重ねてきたが、この2冊の本には正直言って全身を激しく揺さぶられた気がする。浅はかな時流におもねらず、ひたすら日中両国の相互理解に身を捧げてこられた姿が改めて浮かび上がってくる。前者は、北京大学の学生たちを前にして「外交・安保」「経済政策」「教育論」「公害論」などを真摯に講義された記録だ。貴重な「日中関係論集」として参考になり、利用価値は高い。後者は、面白い秘話がちりばめられた「浅野勝人回顧録」である。これまたもう一つの「日中裏面史」として評価出来る▼いったいいつから「嫌中論」や「反日論」が両国内に台頭してきたのだろう。「江沢民の13年」という言い回しに代表される反日教育のせいばかりには出来ない。どっちもどっちの広範囲な認識ギャップも災いしていよう。私自身、「自公」の名だたる先輩三人がかつて中国で日本の政治批判をされたことの非を予算委員会の場で、あげつらったことがある。内心忸怩たる思いだったことが遠い日の一葉の写真のように今によみがえる。「共産主義中国」を、「お行儀の悪い中国人」を知ったかぶりに批判するのは簡単だ。しかし、悠久の歴史の流れの中で毅然と聳え立つ中国の良き伝統を今に受け継ぐ善なる人々も同じ数だけいることを忘れてはならない▼日中間に真の友好をつちかってきているのは「池田思想」を学び実践する創価学会だけ、との思いこみが私にはあった。中国人学生が寄せた浅野氏の講演に対する感想レポートが掲載されているが、それを読むと厳しい寒さの冬の朝にぱっと窓を開けた時のように、清々しさに圧倒される。人の心を掴むことの大事さを思い知らされて余りある。なお、この2冊にはさりげなくだが随所に浅野さんが勧める本の紹介がなされている。山本七平『帝王学「貞観政要」の読み方』やユン・チアン『近代中国の創始者 西太后秘録』上下等々。これらを拾いあげて読むこともまたとっておきの楽しみだ。政治家の書いた本はとかく色眼鏡で見られがちだが、この本はまったく違う。まずは身の回りの学生や青年たちに薦めたい。(2016・2・3)

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