世の中、油断も隙もあってはいけないということは良くわかってるつもりだが、往々にして忘れる。というか私の場合、自己過信からの自損事故が多い。ひと月近く前、理髪店で椅子に座った状態で脱いでいた靴を履く際に紐を結んだ。その時に女性従業員(そこはすべてそうだが)から「身体やわらかいですねぇ」と感心された。私と同年配の客では、そんなことできる人は珍しいという。そこで終わってれば良かったのだが、「私は前屈など得意だよ」とつい上体を曲げて両手の指の先を地面につけた。いらい四週間というもの、左の脇腹下の腰痛がただならざる状態になってしまったのである▼20代半ばにぎっくり腰になってより還暦を迎えるまで、40年近く腰痛に苦しみぬいた。日本カイロプラクターズ協会と巡り合い、カイロ治療を受けてからのこの10年は、痩せておなかがへこんだことも手伝って、ジョギングをしても腰痛知らずだった。それが元の木阿弥状態になったのだ。70歳になって”現代古希ン若衆”だなどと駄洒落ていたが、腰は体全体の軸とあって辛い。そんな折に再読したのが松田道雄さんの『幸運な医者』と『安楽に死にたい』の2冊。「生と死」や「健康」を考える時など、時に応じて取り出す。松田さんは小児科医をしながら『育児の百科』など物書きとしても活躍。患者の自己決定権の思想にたった医療の実践をつづけ、1998年に90歳で亡くなるまでの30年間は評論・執筆活動に専念した。面識はなかったが、若き日より遠くから憧れていた存在だ▼「長生きするしないは、大部分遺伝因子で決まっていて、変更できるものではない」「長生きした人の話をきいても、その人の鍵が、その人の門の錠前をスムーズにあけられるというのと同じだ。借りてきても、自分の門の錠前をスムーズにあけられるものでない」といった話は含蓄に富む。また、元はマルクス・レーニン主義に傾倒していたが、「ソビエト・ロシアの国教になっていた信仰から離れたのは、私なりに自分の目でロシアを見たから」だという。「育児という実用の仕事をしながらも、その底のほうに、ほんとうは何をしても空しいんだという気持ちを押さえきれなかった」松田さんは、「ニヒリスト」的側面を持ち続けた人だと、世間から見られていた▼マルキストとは無縁で、かつ「幸運な宗教者」である私にとって、松田さんの晩年はとくに気の毒に思われる。それでも、「老いの楽しみ」の章は読み返すたびに微笑む。テレビ、ビデオや映画について語ったくだりは、あんな人でもこんな楽しみを老後に持っていたのか、とにんまりする。「疲労感のある日は西部劇がいい」とか、中国の映画は「風俗的な興味からテープに入れるが、くりかえしてみたいのにはぶつからない」。「香港のは時に面白いのがある」し、「韓国も日本より問題意識があって」いいというようにも。友人たちとのやりとりも読ませる。「むつかしい本はいやになりました。芥川全集予約すべきか迷っています」とか「けさ妻に『あんたなんで生きてんにゃ』とたずねたら『寿命があるさかいや』といいました」など、さりげないながらドキッとさせられる言葉にも出くわす。「長く生きて生を楽しむには、ふたつの丈夫な足場が要る」として「身体」と「精神」をあげたうえで、それを支えてくれたのは「本や音楽や映画もあるが、友人も」と。幾たびめかの腰痛のせいで、いい本を再読できた。(2016・2・28)