Monthly Archives: 8月 2017

(224)ドイツに傾斜しすぎた「国民病」ー『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』などを読む

猛暑の中、今週読み終えたうすい本3冊を。磯田道史さんは今を時めく若い歴史家。テレビの露出度も高く、好感度は高い。最初の頃にかけていたメガネを外し、恐らくはコンタクトにされたと思われるあたりから、注目度は高まる。『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』を神戸の書店で発見。司馬史観をめぐりあれこれ考えを深めている折でもあり、直ちに購入して読む。戦国、幕末、明治、昭和前期を扱った作品を順次取り上げながら、日本の歴史と日本人を見つめようという試みだ。『国盗り物語』『花神』『坂の上の雲』『この国のかたち』などが代表作品として、手際よく料理されており、面白く読める。ご本人が述べているように、本来歴史家が小説家の書いたものを論評することは稀だが、それを敢えてやるところが大胆だ。NHKの『100分で名著』の内容に加筆されたものだが、安易な本づくりのように見え、若干気にかからぬでもない。だが、このところの私の問題意識を刺激してくれたくだりは多い。代表的なものとして「昭和の軍人はドイツを買い被っているけれど、本当のドイツを知っている人はいない。ドイツ傾斜というのが、『一種の国家病』だったと、司馬さんは非常に強い調子で批判しています」を挙げておく。来月ドイツの友人を訪ねる予定にしており、語らいが楽しみだ▼ほぼ月に一回、一般社団法人『安保政策研究会』での懇談会でご一緒するのが柳澤協二さん。元防衛省の幹部で、元内閣官房副長官補だ。つい先ごろ『新・日米安保論』なる鼎談本を出版。ここでも取り上げた。実はその本よりも先立つこと2年。あの安保法制論議で日本中が大騒ぎしている折に、彼が書いたのが『自衛隊の転機』。考え抜かれた論考は大いに刺激となり参考になる。「これを契機に、日本がどういう国でありたいのか、その国家像を前提として、どのように守り、世界に貢献したいのか、数年がかりで、一から議論を始めていく好機が到来した」とされている。彼自身はせっせと議論を仕掛けているが、果たして国民各層は応えているかどうか。この本にも鼎談が付加されており、双方に顔を出しているのが伊勢崎賢治さん。東京外大の教授にして元国連PKOの幹部。しかもトランペット奏者というつわもの。現役の頃に知り合い、懇意にさせて貰ってる。先日、彼から「(私たちの本が)売れない」との「泣き言」があったので、「タイトルが良くないのでは」と述べておいた。『三人よれば安保の知恵』とか『どこに行くのか自衛隊』ぐらいがいいのでは、と▶夏休みとあって、ご多聞に漏れず我が家にも孫が押しかけて来る。「くればうるさい、こなきゃ寂しい孫とこども」というのが通り相場だが、来た時にどう遊び相手をするのかは悩みの種。私らの頃は外であれこれと遊んだり、家の中でも自前の遊びを勝手に考え出したものだが、最近はゲーム全盛で、ちっとも創造性がない。なんてぼやいているだけにもいかぬ。そんなときに姫路の駅中書店で発見したのが、逢沢明『大人のクイズ』。論理力が身につくとサブタイトルにある。こども相手では難しいかと思ってページを繰っていったらさにあらず。結構子ども相手にも使えそうな問題があった。「英語でトラはタイガー、ゾウはエレファント、ではかっぱは?」一生懸命に考えたが分からない。答はレインコートと来るから笑える。また、「歯痛で苦しむ人が毎日、皮膚科に通う理由は?」これはまた歯が立たない。「NEW DOORを並べ替えて、一つの言葉にするとどうなる?」ウーン、これは簡単。などというように楽しめる中身だ。一つひとつに「大人の論理」なる注釈がついており、これがまた渋い。こども相手以外に、どこかで使えるかもなどと、あらぬ方向に想像を巡らせるも、もはや手遅れ感が否めない▼かつて現役の頃に、こういう調子で三題噺風に毎週3冊4冊の本を料理したものだ。『忙中本あり』と銘打って、ブログを書いて発信し、本にもして出版パーティまでやった。今から思えば、若気の至り以外の何ものでもない。老境にいたってやろうとすると、これはなかなか難しい。よくぞまあ、激務の中を続けたものよ、と我がことながら呆れてしまう。(2017・8・24)

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(223)好奇心で溢れかえる美術館ー中野京子『怖い絵』を読む

怖いもの見たさに「怖い絵」展に行ってきた。お盆明けの17日に。夏休み只中とあって、好奇心旺盛な子どもたちと大人たちとで兵庫県立美術館はいっぱい。まず、会場入り口の入場券売り場前が長蛇の列。普通はまずこれで怖い思いをするところだが、当方は、学芸員の資格を持ちこの美術館でボランティアで解説をしている友人のお蔭もあってフリーパス。しかし、場内は想像通り、溢れかえるひとの肩と頭とで、肝心の絵はまともに見えない。じっくり見るのは諦めて、人だかりの少ない絵を見定めてのつまみ食いをするほかなかった。美術館の展示物はなぜ、こうも位置が低いのか。もうあと10センチほどでいいからどうして上に飾らないのか。空白の上層部の壁を見やりながらぼやくことしきりであった▼この絵画展の監修は、怖い絵を語らせて右にでるものはいないと思われる中野京子さん。これまでこの手の本をたくさん出している。文字通り題名そのものの『怖い絵』1~3を私はかねて購入し、読むというよりは折に触れて眺めてきた。今回のことをきっかけに、掲げられている絵に関する記述を再読してみた。まずは、ポーラ・ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』。これは何度見ても怖いというか、痛々しい。目隠しをされた可憐な白い肌をした美しく若い女性が、太い鉈で斬首される直前の姿。泣き叫ぶ侍女と介添え役の僧侶と首切り役の男。ああ、嫌だ。中野さんは「当時は斬首は高貴な死であり、絞首されるのは下々の者であった」とさりげない。「せめて女性は別のやり方で」と願う現代人の感覚の間違いを指摘しながら、斬首が一回で成功せずに、何回も何回も繰り返す下手な執行人のケースを淡々と記しているのは怖いの通り越して残酷そのものだ▼次は、ウイリアム・ホガース『ジン横丁』と『ビール街』。かたや、荒廃した吹き溜まりの貧民街で安酒のジンをあおって正体不明になっている人々がひしめき合う。もう一方は、ジョッキ片手にビール腹をさすりながら、女を口説く男たちや仕事に励み絵作に打ち込む姿。この作者は、「羅列の快楽」ともいうべき、絵の中に幾重にも描かれた細部を発見する楽しみを披露する。この場合、ジン横丁がいかに地獄の様であるかを、中野さんは克明に、書き連ねる。ジンでごまかすしかない、落ちぶれてやつれきった女や男の姿の一方で、この時代状況の中で、景気がいいとされる質屋、酒屋、葬儀屋の三職種の有様を丁寧に描く。孫と一緒に見る絵本の「間違い探し」に取り組んでいるかのような錯覚に陥るのはご愛嬌だ▼次はヘンリー・フュースリ『夢魔』。艶めかしい姿で眠りこける女体の上に坐る化け物とカーテンの裾から顔を出す馬。この絵の解説で、中野さんは「眠りはある意味、こま切れの死だ。夜がその黒々とした翼を拡げるたび、幾度も幾度も自我を完全喪失しなくてはならない」と、眠りの持つ恐怖の一面を、妖しくエロティックに表現して強烈なインパクトをもたらす。最近、私も歳を重ねると共に、夜中に目覚めることが多い。「こま切れの死」という表現は実感として身につまされ怖さをそそる。一方、怖い絵展における解説を家で読み直すにつけても、美術館で見ていた子どもたちはどう感じたのか、と気になってしまう。子どもに読ませたくないくだりもあり、そちらの方が親にとっては怖かったかも、と想像してしまう。一緒にいった友人はそういう心配をする私に「近頃の子どもは俺たちの頃よりよほど早熟だから、あまり気にせずともいいのでは」というのだが、さてどうだろうか。(2017・8・18)

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(222)何になるのかより、何をするのかだー上甲晃『人生に無駄な経験などひとつもない』を読む

野田佳彦元首相が民進党幹事長を辞任する一方、前原誠司元外相が代表選挙に出馬するといったニュースに接すると、改めて民進党という政党を構成するメンバーの大きな柱が松下政経塾出身者であることに気づく。故松下幸之助翁の肝いりで作られた「政経塾」は果たして成功したのか、それとも失敗したのか。総理を始めそれなりに優秀な政治家を輩出したということでは当初の狙いは十二分に達成したというべきだろう。しかし、松下翁に見込まれ、かつて塾頭を務めた上甲晃氏(志ネットワーク代表)のその後の闘いを見ていると、どうも違う感じがしてならない。「お前さんたち、何をしてるんだ。大臣になることが目的ではなく、何をするかではなかったのか」との叱声が聞こえてきそうだ▶上甲晃『人生に無駄な経験などひとつもない』を読むといいよ、と薦めてくれたのは前高砂市商工会議所会頭の渡辺健一氏(ソネック相談役)。この人がいかに上甲氏に入れ込んでいるかは、先年姫路に上甲氏率いるネットワークの仲間たちを全国から招いての集会をもたれた時に心底からわかった。「理屈ではない。行動をすることでこの世におけるひとの志が分る」ということが彼らを貫く心意気に違いない。衆議院選挙に私が出るという頃ー今から30年前ーから、渡辺さんには陰に陽に激励を受けてきたが、このひとの思想と行動の軌跡は大いに心震わせられる。「戦争の20世紀」から「平和の21世紀」へとの転換ままならぬ今を生きる人生の伴走者として▶この本から伝わって来るメッセージは、逆境こそ飛躍するチャンスであるとの一事に尽きる。事態は受け止め方次第でどうにでもなるとの信念を持ち、志を高く掲げよとの松下翁の教えを微に入り細に渡り説いている。「難あり」を「有難い」に変えるのも「志」の力だとの言い回しを始めとして全編に筆者の強い意欲がひしひしと迫って来る。思えば、私も50年前から、これとほぼ同じ考え方を学んできた。ここになく、我々にあるのは祈る力である。一念次第でいかなる逆境も乗り越えられると教えられ、また伝えてきた。あらためて共通するものを感じる中で、特定の信仰を持たぬ指導者としての松下翁の凄さを思う▶あとがきで、筆者は①右肩上がりの経済➁資源浪費型社会③お金万能社会④他人依存型社会⑤ふやけた贅沢病ーこの5つときっぱり別れることを提案している。そして➀質的に掘り下げた経営➁資源エネルギー節約型社会③足元の生活をしっかり励む④自分のことは自分でする⑤質実剛健の生き方をするーことへの転換を説いている。現在只今の一瞬においてこうした生き方が日本社会そのものに問われており、志が問われている、と。松下政経塾出身ではない私にも、様々な意味で耳が痛い提言として聞こえてくる。今再びの思いで、大いなる志を掲げ、経験を積み上げようと決意するに至った。(2017・8・11)

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(221)『チーム・バチスタ』いらいの凄い医療ミステリーー岩木一麻『がん消滅の罠』を読む

厚生労働省の官僚が登場する医療ミステリーと云えば、海堂尊『チーム・バチスタの栄光』。あの小説が出たばかりの頃、海堂さんと講演会でお会いして、名乗ったところ、「読書録に取り上げていただき、有難う。感謝します」との言葉を賜った。厚労省の仲間にも面白いと薦めまくった。懐かしい思い出だ。それ以来の今再びの感動を伴う本を読んだ。岩木一麻『がん消滅の罠 完全寛解の謎』である。ここでも患者のひとりが厚労省の役人。尊敬する先輩の元郵政大臣から勧められて一気に読み終えた。確かに引き摺り込まれる。この著者、今は医療関係出版社に勤務しており、医師ではないが、医療研究者だった。医師不足が取り沙汰される今日、人材流出がちょっぴり心配にされるというのは、オーバーだろうか▼この役人を含む4人が立て続けにがんで余命いくばくもないと宣告されながら、保険の生前給付金を受け取った途端に、まるで魔法にかけられたように病巣が消えてしまう。「殺人」ならぬ「活人」といえる奇妙奇天烈な事件の連続。そこに、生活弱者層と富裕層の双方をターゲットにしたかのような謎の病院の登場。影の主人公である黒幕と思しき「先生」の復讐譚も絡んで……。「私、失敗しないんです」の名セリフを生み出した米倉涼子主演の人気テレビ番組『ドクターX』をも連想させるほどドラマティックな展開。前半は人が死なないから、ある意味爽やかに読めるが、最終盤は一気に血も見る壮絶な展開を見せるなかで、謎解きは急展開。とりわけ最後の一行があっと言わせる大逆転。夏休みの読書計画に是非入れてみたら、とお勧めしたい▶褒め過ぎばかりでは能がない。かといって粗探しはもっと品がない。とはいうものの海堂さんのものに比べるとコクがないように感じられ、少々筋立てが粗っぽいかなあと思った。で、最後の解説を心待ちにして(人はどう読んだか、と気になって)捲ってみたら、第15回「このミステリーがすごい!」大賞の選考委員たちの選評が並べられていた。「前代未聞、史上最高のトリック!医療本格ミステリーの傑作登場!」「日本医学ミステリー史上三指に入る傑作」などと絶賛の見出しがずらり。その一方で、「もろもろの小説的な弱点は枝葉末節」とか「随所で専門的な説明に傾きがちなのも難か」「会話など小説的完成度に若干の不満が残るのは惜しまれる」などとケチも忘れられていない。著者にとって最も気になる励ましは「デビュー後が大変だと思うものの、書き続けることで実力をつけてほしい」との言葉だろう。余計なお世話だろうが▶私が厚生労働省に御厄介になっていた頃の事務次官は辻哲夫さん。歴代次官の中でも卓越した能力の持ち主だと思われる。この人と引退後も時々会っているが、「医療の道も含めて日本の諸課題解決に向けて、医師たちがどう活躍するかが日本の未来を決する」といって憚らない。金儲けに関心を持ちがちな開業医、ただ忙しいだけの勤務医。こういった医療現場の実情はともあれ、間違いなく日本の知的水準の最高位にある職業は医師だろう。それだけに、彼らが日本の最前線で課題解決に仁王立ちになってくれるようなインフラ整備をしたいし、してほしいとの意思を吐露される。すごいミステリー小説を読み終えて、むしろ解決多難な現実問題の謎解きが気にかかっかってならない。(2017・8・3)

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