Monthly Archives: 3月 2019

この30年の移ろいの真の切なさー芹川洋一『平成政権史』を読む

「細川護熙から、麻生太郎に至るまで、日本の総理の名前を順番に言えますか?またそこに一つの特徴があるのをご存知?」ー民主党政権が誕生した頃のこと。ソ連からロシアへの100年の変遷の中で、10人の指導者が変わったが、その人たちの順番に法則がある(ハゲ・フサフサが交互に登場)というギャグを聞いて、思いついた。日本の場合はわずかな期間に10人も立て続けに変わっており、しかもそこにもあるひとつの特徴を見出せるからである。お分りだろうか。それはさておき、日本経済新聞論説フェローの芹川洋一さんが『平成政権史』を書かれたと知って、飛びついた。平成の30年が終わろうとする今、うってつけの本であり、近く私風の『回顧録』をまとめる際に、参考にしたいからだ。加えて、彼が中心になってまとめた日経の『憲法改革』なる本の、目の付けどころを高く買っていたからである▼この本は、竹下登政権から説き起こし、今の安倍晋三政権に至るまでの30年17人の政権について、それぞれどんな政権だったかを、10編に分けて追っている。ご本人があとがきで書いているように「独断と偏見のそしりをおそれずに、政権の特色を簡潔にまとめ、平成の政治を大づかみにすることをめざし」ており「日本の政治の30年が縦と横から見えてくるのではないか」と自負しておられる。もちろん、大筋でそれは間違っていない。昭和44年、佐藤政権の頃から公明新聞の政治部記者として曲がりなりにも18年、昭和末期の頃の衆議院秘書を経て、平成元年に衆議院議員候補なって苦節5年の末に当選し、20年間政治家を続け、引退後5年余の今に至るまで、ずっと日本の政治を見続けてきたものとしても、役立つ視点は少なからず見出せる。そして、この間、小沢一郎という政治家に翻弄され続けたという底流に流れるものもよくわかる▼だが、それを認めた上で、この30年史は、脇役を欠いた映画のように、物足りなさが残ることを指摘せざるをえない。「芹川さん、これはちょっと」と。なぜか。公明党に向き合った記述が殆ど出てこないのである。そのうちきっとと思い、最後まで読み続けたが、見事に期待は裏切られた。小渕政権のところで、辛うじて「今日につづく自公連立の起点がここにあることは第1に指摘しておかなけてばならない」とあるだけ。しかも、本文最後に「30年たって政党の体制がもとに戻ってしまった」として、めまぐるしく政権の組み合わせは変わってきたが、結局、全く同じだというのである。以前の、自民・社会・公明・民社・共産の5党から、今の、自民・公明・立憲民主・国民民主・共産の5党へと、「かりに立憲民主党を社会党に、国民民主党を民社党と想定すれば、全く同じである。30年たってひと回りということ」だ、と▼確かに表面的にはそう見られる側面は否定しない。しかし、「全く同じ」とは。公明党は30年前には野党だった。今は与党である。いくらその存在が軽くとも、それを押さえずに、この30年の政治を概説したと言えるのだろうか。これでは孫や子に残す平成政治の歴史としても不正確と言われよう。安倍長期政権の理由として10の項目をあげているが、その中の四番目に「保守派の政権ながら、政策が左側、中道リベラルの側を向いている点こそ政権延命の肝である」とある。ここに、公明党との連立政権の特徴の表れを見ずして何を見るのか。続けて「野党的な考え方を先取りして、無党派層を取り込むねらいがみてとれる」と、その「現実主義者」としての側面を指摘していることを見ると、公明党を意図的に外したとさえ思えてしまう。「独断と偏見」だから、そんなに目くじらたてないで、と言われるのかもしれないが、それでは余りに切ない。(2019-3-18)

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混沌とする国際情勢の見極め方ー佐藤優 宮家邦彦 『世界史の大逆転』を読む

「奇しくもほぼ同時期に外務省を離れた二人が、過去数十年の経験を踏まえ、それぞれ思い思いの視点から、激動する国際情勢の方向性を見極めようとする新たな知的試行錯誤の結果である」(宮家邦彦)「現在の国際情勢は、きわめて混沌としている。こういうときに役に立つのが、地政学と思想史だ。(中略)地政学においては大陸国家と海洋国家という二つの基本類型が存在する。大陸国家は領域的拡張を、海洋国家はネットワークの形成を重視する」(佐藤優)ー国際情勢のルールが変わったとのサブタイトルがついた、佐藤優氏と宮家邦彦氏の対談本『世界史の大逆転』から、各章ごとに注目される発言をピックアップしてみた▼⚫︎「米朝首脳会談後の東アジア」(第1章)ー仮に、朝鮮半島が統一か軍事境界線が取り払われると、韓国が大陸国家性を強めることになり、中国、ロシアの影響下に置かれると日本にとって脅威である。日本は防衛線を対馬に引かねばならず、その安全保障政策は根本的に変わってくる(両者)。⚫︎「国際情勢は『感情』で動く」(第2章)ー北方領土問題の「現実的な落としどころとしては、近々に日ロ平和条約を締結し、歯舞島と色丹島の主権は日本に、一方、国後島と択捉島の主権はロシアに帰属させる。さらにこの平和条約に、『歯舞群島と色丹島の引き渡しに関する協定は、協議を継続したうえで策定する』と定めるのでは(ないか)」(佐藤)▼⚫︎「核抑止から核拡散の時代へ(第3章)ー核をめぐっては、最重要なことは、思考停止せずに、あらゆる可能性を想定して、「ではどうするか」をタブーなしに議論すること」(宮家)である。「日本は非核化政策を貫くべきではあるが、核兵器をつくる原子物理学的な能力はもっていたほうがよい」し、「『つくる能力はあるが意思はない』と国際社会に示すことが重要」(佐藤)。⚫︎「混沌する中東と『脱石油』の衝撃」(第4章)ー「(自分がエネルギーの危機管理担当だったら)原子力、LNG(液化天然ガス)、石炭、石油、それに再生可能エネルギーを組み合わせたベストミックスをめざす。それが最適解だ」。エネルギー産業やエコノミスト、学者、軍事専門家らみんなが知見を出し合い、最善策を議論する必要がある」し、加えて、「経済にも安全保障にも精通した人材の育成も急務」だし、「いまからでも和製エネルギーメジャーの創設めざすべき」である。(宮家)▼⚫︎「AIが世界の『常識』を覆す」(第5章)ー「AI兵器の誕生は、従来の『核抑止論』を根本的に変える可能性がある」ので、「本来なら日本もAI技術の軍事応用を進めるべきなのだが、今の日本にはAIを軍事に応用するという発想そのものがない」(佐藤)。「せめてカウンターAIの研究くらいは今からでも遅くないから、予算をつけて始めるべきだ」(宮家)。⚫︎「民主主義はもう限界なのか」(第6章)ー「私はいまの世界を『新・帝国主義』の時代であると分析して」おり、これは「昔の帝国主義のように植民地を獲得するのではなく、外部からの搾取と収奪によって生き残りを図る」という意味で、「グローバル化の進展」と「国家機能の強化」という二つの異なったベクトルの引っ張り合いが繰り広げられる」(佐藤)ことになる。以上ほんのさわりだけ挙げてみた。随所にお二人の鋭い分析がみられる極めて刺激に満ちた面白い本である。(2019-3-11)

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奥深く幅広い「旅」ードナルド・キーン『日本文学史』を読む

作家のドナルド・キーンさんが亡くなったと聞いて、三つのことを思い出した。一つは、塩川正十郎さん(故人=元財務相)から、キーンさんの『明治天皇』上下2巻を勧められた上、実際に頂き、苦労して読んだこと。二つ目は新幹線車中で近くに極めて似た人が座っていながら、声をかけずに済ませてしまったこと。三つ目は、『日本文学史』全18巻を読み終えているのに、『忙中本あり』に取り上げていないことである。正確に言うと、半分の9巻まで読んだ時に、書いている。2014-10-29に、「ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅」のタイトルで。ということで、残りの9冊についても触れて、決着をつけることで、自分なりの追悼の意の表明としたい▼膨大な日本文学の論及の中から、代表的な3人だけを取り上げて読後感とするのは、甚だ心もとないがお許しを。明治150年の節目に、西欧文明と格闘した漱石の苦悩を思い起こすところから。キーン氏(以下著者)によると、『草枕』は「漱石文学の中でもっとも意図的に日本の伝統的手法を取り入れたもの」であるが、漱石はそれ以後ぷっつりとその追求をやめ、嫌悪していたはずの西洋文学に傾斜を強めていく。その結果、「『生命のやりとり』をするような小説を書こう」との「決心は、後続の作品に力を与え、多くの日本人読者をして漱石を尊崇させる因となったが、文学にとって貴重ななにものかー一種の詩ーを奪ったと言える」とする。かくいう私も漱石文学の詩的なるものを排して、人生と真正面から対峙するテーマを追う姿勢が好きで、これまできた。その辺りを再確認するべく今、漱石全集読破に挑戦中だが、著者の視点は大いなる水先案内人足りうる▼一方、森鴎外について。偶々、鴎外の孫・小堀欧一郎さん(医師)の著作『死を生きた人々』を読み、かつNHKスペシャルで、この人の在宅診療ぶりを感動のうちに観たこともあって、改めて祖父・鴎外に関心を持った。「語られぬ部分があまりに多い彼の小説は、ちょっと読んだだけでは味があまりに淡白に過ぎ、今日の読者を堪能させるまでには至らない」という。確かに、私には近寄りがたい存在だ。著者は、ディレッタント(好事家)だった鴎外について「翻訳、物語、戯曲、詩、小説、評論、史伝等に」と、活動は様々に広がったが、「偉人として後世の人に仰がれる存在になった」という。その理由は「文武両道をきわめた者として、日本の伝統的理想を、身をもって行ったからである」とする。日本の伝統から離れたと見られる漱石と真逆といえようか。数多の弟子がいた漱石と、全くいなかった鴎外と。対称的な二人はどこまでいっても興味が尽きない▼「鴎外を神のように尊敬すると自認した」三島由紀夫について、著者の眼差しは鋭く、微に入り細を穿つ。「日本文学の古典から得た情緒を、繊細で古風な文体を用いて再現するのがうまい神童だった」か弱き少年が、やがて「筋肉たくましいおとなになり、鴎外の歴史小説に出てくる主人公そのままに真一文字に腹かききって死ねる男になった」のだが、「実は、それが話のすべてではなかった」と、筆を運び、「この古武士に見まがう人間が、死の日に、近代日本文学の一級の部に入る作品を書き上げていた」と、読み物風のタッチで読者を引き込み、『豊饒の海』四部作へと導入していく。日本の近代・現代文学史に興味を持つ向きには堪えられない面白さがそれこそ満載されている。例によって「一度読んだだけ」の私だが「読書の本懐は再読にあり」を実践してみたいものだと思うに至っている。(2019-3-3)

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