Monthly Archives: 12月 2019

身体に良いか悪いかの本当のところー『健康問答』『風邪の効用』を読む

先日大腸と胃の定期検診を受けるために、神戸のあるクリニックに行きました。かかりつけ医から紹介を受けたところで、この分野では権威とされているとのこと。3年前に初めて診てもらっていらい繋がりが出来ました。ただこの医師はとてもコワモテで、様々な意味で私とは波長が合いません。ニコリともせずに厳しい口調で、私の生活習慣の実情に立ち入って、警告的見立てを押し付けてきます。今回は私がアルコールを週に4回ほど嗜み、顔が飲むと赤くなってくるということだけで、食道ガンの可能性が高いと断定されてしまいました。結果は異常なし。ご本人は「予想は裏切られました」と苦笑いして仰ったのですが、この間の私の悲観的思惑を振り返るにつけ、今少し患者に寄り添う配慮をして欲しかったと思うことしきりです▼医師との付き合い方については、帯津良一さん(帯津三敬病院院長)が気分が合わない医者とは我慢することなく、変えればいいとの指摘が思い起こされます。この人と、作家の五木寛之さんは共に〝健康おたく〟と云っていいほどのその道の〝通〟ですが、最近読んだ二人の『健康問答』は、なかなか読ませます。とくに、「食養生の総チェック」という第1章が面白かった。健康談義は全く正反対のことが人それぞれの信ずるままに展開されることが多く、ややもすると普通の人はただ右往左往してしまいかねません。ここではそうした事例を取り上げズバリ見解を述べています。例えば、肉をめぐって「体に良いのか悪いのか」との議論についての結論は「肉はやたらと食べるのではなく、ときどき満を持して、ときめいて食べよう」。塩分はあまり取らない方がいいかとの問いかけについては、「塩分は必要である。ある程度意識的にとった方が良い」など、一味違った本当のところが次々と明らかにされ、大いに参考になります▼本格的冬の到来と共に、風邪を引くことが懸念されます。先に挙げた二人が推奨する本、『風邪の効用』をも読んでみました。野口整体で知られる野口晴哉さんが60年ほど前に講演したものです。この歳になるまで、「風邪なんか」と高をくくっていましたが、刮目させられるところがありました。野口さんも「風邪くらい厄介なものはない」し、「一番難しい病気」だと云います。ただ、面白いのは「風邪というものは治療するのではなくて経過するものでなくてはならない」と捉えていることです。いわば風のように身体の中を吹き抜けていくものと位置付けているところがユニークです。「風邪を上手に引き、上手に経過するということの方が意義があるのではなかろうか」とか、「風邪を全うすると、自ずから改まる体の状態がある」との記述には奥深い哲学を感じた次第です。首筋を始め、体の各部の温めることが大事と云ったような、細かな風邪の予防についての作法の披瀝も、とても惹きつけられました▼実は私が尊敬する音楽家にしてプロデューサーの榎田竜路氏(北京電影学院客員教授)がかねがね野口さんを人生の師と仰いでいると口にしています。この本を手にするまで、どういう人物か殆ど知りませんでした。若き日に不慮の交通事故から心身共に落ち込んで絶体絶命の危機に瀕していた榎田さん。その彼が野口さんの後継者である息子さんに出会い、様々な意味で師事することになったといいます。じっと顔写真を見つめていると、その佇まいと風格にグッとくるものを感じます。頭でっかちの口先だけの議論ではなく、身体を使っての映像制作技術や地域おこしの戦略を全国各地で訴える榎田さんとどこか通じるものがあるように思われます。私にとって、彼のお師匠さんとの初の出会いとなる本でしたが、野口さんには『整体入門』なる本筋の著作があるとのこと。「日本カイロプラクターズ協会」に深く関わり『腰痛にはカイロが一番』との対談電子本を出している私としては、複雑な心境ではありますが、近く読もうと思っています。(2019-12-12)

 

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二つの偶然に後押しされて音楽の深みにー恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読む

久方ぶりに手応えを感じる小説ー恩田陸『蜜蜂と遠雷』ーを読んだ。その出会いはいささか奇妙なものだった。この本がいかなる賞をとったものか、どんなに話題を呼んだかも、いや著者の性別さえ知らずに、偶々二つの偶然が読む気にさせたのである。一つは、引越しのドタバタの中で、日頃本を読む習慣をあまり持たない妻が、購入したままにしていたこの本をひょんなことから発見したことだった。もう一つは、この本とほぼ舞台や背景などを重ねもった、浜松での国際ピアノコンクールを放映するテレビ番組を観たことである。妻が本を買っていず、テレビもその番組を見る機会を逃していたら、間違いなく読まずにいたに違いない▼この本は、ピアノ・コンテストの第一次予選から本選までの4つのシチュエーションを、4人のコンテスタントを中心に克明に追ったものだ。音楽を文章で表現することの難しさは改めて言うまでもないが、著者は見事にやってのけており(ど素人の私の目にはそう映る)、この世界に無縁なものをしてグッと近づける貴重な価値を持つ。個性豊かな登場人物の描き方が最後まで(最終盤はいささか蛇尾の感がするが)、読むものを惹きつけてやまない。更に、この本に登場する様々な音楽家やその作品の手引書の役を果たしていて、それらの曲を一つ残らずCDででも聴きたくなってしまうのだから不思議だ▼前者の偶然は、衝撃的だった。3歳の時からピアノを弾くことを義務付けられ、その後ずっとその環境にいながら、ほぼ私との出会いを契機にピアノから遠ざかってしまった妻。その彼女が例え束の間でも読もう(買っては見たが呼んだ形跡はない)との気になった(でなければ買わないはず)のだから驚いた。後者の方は、実際に浜松国際ピアノコンクールを密着取材し、中村紘子に師事した青年をしっかりと描いていて観るものを惹きつけて止まず、この本をも読む気にさせた。勿論、小説と現実のピアノコンクールとの違いはあるが、どちらが欠けてもその本質の理解に肉薄は難しかったと思われる▼この二つの偶然の産物に後押しされて読むことになった私は、つくづくと音楽の世界の深遠さと、ピアノ弾きの運命の過酷さを改めて知るに至った。 私との出会いから妻を結果的にピアノから遠ざけてしまったことに、少なからぬ罪悪感を持ってきたのだが、この本を読み終えて、その必要はないと確信した。つまり、なまじっかな意思ではピアノ弾きの人生は到底全うできないことが再確認できるからだ。尤も、ピアノへの憧れとプロを目指した彼女の思いを、無残にもへし折った我がデリカシーのなさをも気づかせて余りあるのだが。幼き日の夢の再確認をしようと買ったものの読まぬうちに、亭主に横取りされてしまった妻は、間違いなく二度とこの本を開くことはないに違いないと思われる。一緒になってやがて50年。苦手な「音楽」は未だに遠い。(2019-12-3)

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