Monthly Archives: 4月 2020

新型コロナを10年前に警告したド迫力ー高嶋哲夫『首都感染』を読む

この本の存在を知ったのはテレビで。新型コロナウイルスの恐ろしさを理解するために、との触れ込みでカミユの『ペスト』、小松左京の『復活の日』と共に紹介されていた。直ちに読んだ。まさにライブで現場中継を見ているように、ノンフィクションを思わせる凄まじい迫真性溢れる小説である。サッカーのワールドカップが中国で行われ、その観戦に世界中から40万人もの人々が集まっているちょうどその時期に、雲南省で強毒性のH5N1型の鳥インフルエンザが発生したとの設定。中国政府当局が発生の事実を隠したために、それぞれの自国に帰った観客によって一気に感染は世界中に拡大した。時は、20××年というが、まるで2020年のニューヨークを始めとする世界各都市のいまとダブって見えてくる▲全身が鬱血し、身体中の臓器から出血し、血を吐いて死んでいくとの描写は勿論、今現実に起こっていることとは相違する。また、日本にあっては感染者がほぼ首都東京のみに集中し、それゆえ封鎖することで、全国に被害が波及拡大することを抑えようとする設定も違っている。だが、それ以外は多くの点で類似していて、気味が悪いくらいである。こんな小説を書く人物って、どういう人だろうと疑問を抱いて読み終えたのだが、成毛眞(書評サイトHONZ代表)の解説を読んでまた驚いた▲阪神淡路大震災、中国でのSARS、東日本大震災の前に、『メルトダウン』『イントゥルーダー』『M8』『TUNAMI 津波』『ジェミニの方舟 東京大洪水』などといった小説を発表しているのだ。しかも、順序は大筋守られている。つまり、それぞれの小説の後に、現実の災害があたかも対比するかのように、起こっているのだ。今回の新型コロナウイルスの蔓延は、この小説が書かれた10年後、少し間隔があいているが、成毛さんが言うように「じつは小説家ではなく、予言者なのではないか」との見立てもあながち絵空事とも言えないようにさえ思われる。少なくとも「天災を忘れさせないための警告の書であり、それ以上の災害が起るかもしれないという未来のノンフィクションでもある」とはいえよう▲この小説、それだけではない。感染拡大に伴うロックダウン、首都封鎖といった緊急事態に人がどう対応するかに、ハラハラどきどきしながら読み進める中で、つい見落とされがちだが、親と子の抱える普遍的な問題についても、政治家、医者とその子の有り様を巡って考えさせてくれる。〝愛と死〟のテーマにも挑んでいる。また、主なる登場人物の死という問題が発生しないと、小説としてはどうだろうか、と思っていたら、終わり近くに大きく浮上してくる。しかも、その結末たるや、意外などんでん返し風のことががオチとして登場する。加えて、劇的効果が見られるワクチンについても用意されており、救いもある。ステイ・イン・ホームが声高に叫ばれている今、色んな意味で読むにふさわしい小説である。と、書いたのちに驚いた。なんと、著者は私の身近にいたのである。詳しくは別の機会に触れたい。彼の他の著作を読んだ後にでも。現実が奇妙な展開を見せてきた。(2020-5-1  一部修正)

 

 

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百年後のトルコの恩返しと日本の理不尽さー門田隆将『日本遥かなり』を読む

今から35年前、1985年イラン・イラク戦争の最中のこと。在イラン邦人が危険な状態のテヘランから脱出したくとも日本から支援機が来ず、どうしようもなかった。その危機的状況の中で、トルコがトルコ航空の旅客機を出してくれ、自国民よりも優先して、日本人たちを脱出させてくれたーこの歴史的事実について、私は朧げながらの記憶しかなかった。しかも、その事実の背景には、トルコという国の国民的記憶の中に、百年ほど遡った頃に起こった出来事(エルトゥール号遭難事件)が深く関わっていたということはまったくと言っていいほど知らずにきたのである。本当に恥ずかしい限りだ▲その事件とは、和歌山の串本大島沖で、今から130年前の明治23年(1890年)に起きた。オスマントルコ帝国の親善使節一行約600人が乗った木造フリゲート艦が遭難、沈没したのである。行方不明者587人。辛うじて69人が付近住民の手で救助された。後にこの生存者たちは日本の二隻の軍艦によって母国に送り届けられた。このことがトルコで今なお語り継がれ、串本町でも5年ごとに追悼式典が行なわれている(今年は130周年の式典が6月に行われる予定と聞く)。この二つの出来事は勿論、直接の因果関係はない。しかし、日本人が19世紀末にトルコ人救援に懸命の力を注いでくれたことが、20世紀後半のトルコ政府要人を動かした。そしてトルコの世論もそれに呼応したことは紛れもない事実だ。このあたかも恩には恩で報いる美しく得難い行為を、私は門田隆将『日本、遥かなり』を読むまで知らなかった。呑気なものである▲門田氏はあとがきで「国際貢献の最前線で懸命に活動する『日本人群像』」を描きたかったと述べている。具体的には、テヘラン脱出を始め、湾岸戦争時の「人間の盾」(1990年)、イエメン内戦からの脱出(1994年)、リビア動乱からの脱出(2011年)という、合わせて4つの「邦人救出」をめぐる物語が展開される。これら4つの物語に共通するのは、海外において活動する自国民のいざという危急を要する場面で、日本政府が救援の手を差し伸べず、他国に委ねてきたという事実である。そのことをわかりやすく、読むものの感性に訴えるかたちをとるために、トルコ人の日本人への「恩返し」に触れ、その原因となった明治日本の「こころ」と対比させた。読むものをして感動させずには置かない▲しかし、なぜ、邦人救出がまともに出来ないという理不尽なことが続くのか。門田さんは、自衛隊の最高幹部の一人・元統合幕僚会議議長の折木良一氏にその辺りについての生の声を聞きだしている。折木氏は、平成11年(1999年)の自衛隊法改正で最初に一部改正に手がつけられてから、その後の経緯を丁寧に説明されている。そこには「政治の不作為」への愚痴めいたこと、批判らしきことは一切ない。むしろ、抑制を利かせた表現で、事態は一歩ずつ前進していると、政治への評価を下す。政治家の端くれとして、これは返って耳に痛い。先年の「安保法制」によって、自衛隊が邦人救出での任務妨害を排除するための武器使用が初めて認められるようになった。「画期的ともいえる改正」がなされたのだが、結局は「武力行使の一体化」の恐れが災いして「事実上、(邦人救出)行使は不可能」なのである。政治の責任は大きい。私は現役時代に、護憲派の意識を憲法の縮小解釈だとして批判してきた。拡大解釈を非難する前に、縮小解釈の非を顧みるべきだ、と。それにしても、改めてこの本を読むことで問題の所在がハッキリする。四つの物語のうち、後半の二つは私が現役時代に起こった事件であるだけに、責任なしとしない。(2020-4-16)

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7つの国はどう危機を乗り越えたかージャレド・ダイアモンド『危機と人類』上下(小川敏子、川上純子訳)を読む

「危機と人類」というタイトルは、世界中がコロナ禍で喘ぎ、必死の対応を余儀なくされている現在、飛びつく思いがするほどうってつけだ。しかし、この本の出版は少し以前に遡る。それを知った上で読んだ。これまでJ・ダイアモンドの本はそれなりに齧ってきたが、正直なところ、いまいち私にはグッとこなかった。恐らくそれは取り扱われた材料が現代の国家、経済社会と乖離があったように、〝浅読みの私〟には思われたためだと思う。しかし、今度の『危機と人類』は、「危機を突破した7つの国の事例から、人類の未来を読む」もので、興味深い記述の連続であるだけに、極めて読みやすい。ただし、残念なことに、危機の原因として「感染症」が真正面から取り扱われていない。これは致命的な欠陥ではないが、大いに不満を持ってしまう▲俎上に乗った国は、フィンランド、日本、チリ、インドネシア、オーストラリア、ドイツ、アメリカの7カ国である。この選択には決定的な理由はないようだ。強いて言えば、彼がかつて住んだことがあったり、学問研究の上で興味を持った国々だということである。上巻で言及した4カ国は、2つづつ対になっている。前の二国(フィンランドと日本)については、共に周辺各国とは大きく違う言語を持つ国で、外敵の脅威からもたらされた危機をどう乗り切ったかが共通する。後の二国(チリとインドネシア)は、共に独裁的指導者を持った国であるが、内部の破壊原因にどう対処していったか、という切り口が同じである。ただし、フィンランドはソ連(ロシア)一国との長きにわたる因縁関係が主たるテーマ(このくだりは圧巻)。日本は東洋の後発国家として、西洋列強との闘いが主題(これは平板)である▲また、下巻のオーストラリアは英国との主従関係の変遷が描かれ、ドイツは自らが巻いた災いのタネをどう摘み取っていったかが明かされている。アメリカは現代世界の先駆を行く国として、〝これからの危機〟が問われており、強く引き込まれた。とりわけ、アメリカにおいて、合意をするための妥協が近年出来にくくなっているとの指摘には考えさせられる。トランプ大統領の登場を待たずとも、共和、民主の両党の間の亀裂は相当に深刻なことは想像できよう。分断は深く、広くこの国の前途を危うくしている。また選挙の投票率が大きく落ち込んでいる状態が続いていることも。アメリカのすぐ後を追う傾向の強い日本の明日の姿を見るようで他人事とは思えない▲しかし、新型コロナウイルスが蔓延する状況の前と今では、全く「人類の危機」という視点が違って見える。読んでいて、ここで扱われていることは、どうしても今は切実感を伴わないのである。第二次世界大戦以来の危機とも言われる事態の中で、大きな課題の一つは、民主主義と独裁主義との軋轢であろう。共産主義独裁という国家的形態を持つ中国が感染症を押さえ込む上で効力を発揮するのか。民主主義の自由が結果的にウイルスの自在を許すことになるのか。例えばこうしたテーマが、今再びの暗い影を地球の前途に投げかけてきている。著者は、人類の危機を歴史的に分析する手立てとして、個人的危機と国家的危機の両面を挙げる。それぞれの帰結にかかわる要因として12のポイントを上げており、興味深い。その手法を生かしながら、新型コロナがもたらす自分自身の危機と日本の危機を考えるよすがにしたい。(2020-4-11)

 

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21世紀の危機としての感染症ー『中央公論』4月号特集を読む

新型コロナウイルスのパンデミックがこれからどういう展開をしていき、人類はこれにどう立ち向かっていくか。まさに固唾を飲む思いで、人々は日々の感染症の広がりに恐れを抱いて推移を見つめており、新聞やテレビでの報道や特集では、今そこにある危機への対応が取り沙汰されている。勿論それも重要だが、もっと深く大きな視点から、文明の推移との関連といったものに目を向ける必要を説いた論考を読んだ。中央公論4月号の特集『21世紀の危機?瀕死の民主主義と新型肺炎』である。ここでは、10本もの鼎談、対談、論考、インタビューが掲載されているが、そのうち、冒頭の鼎談『疫病という「世界史の逆襲」』と山本太郎『感染症と文明社会』を取り上げたい▲双方共に、文明社会に生きる人類と感染症との戦いを世界史に立ち戻って検証する一方、これからを展望している。まず山内昌之、本村凌二、佐藤優の三氏による鼎談から。共通の認識は、過去の感染症が歴史的転換点になってきたということである。感染症の蔓延によって、あたかも「ビフォア、アフター」のように、大きく違った世界の姿が現出してくることもありうるとしていることが興味深い。ここで語られていることの中核の一つは、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で、人類は飢饉、疫病、戦争を克服しかけており、その結果、「AIとバイオサイエンスの融合によって、一部の人間が神のような力を持つようになる」との仮説の行方である。もし、今回の新型コロナウイルスとの戦いの結果如何では、仮説通りの「暗澹たる未来」になるか、それとも疫病に打ち崩された〝惨憺たる未来〟になるかの〝地獄の選択〟となるかもしれないのである。願わくば、ウイルスに打ち勝つと同時に、恐怖の未来社会が現実化することもごめん被りたい▲山本太郎氏は、長崎大の感染症研究の専門家だが、「なぜ、ある感染症が流行するのか。これまで私たち研究者は、その原因を一生懸命考えてきた。しかし、どうやらその考え方は「逆」ではないかと近年思い始めている」との、極めて印象的な筆運びをしている。つまり、結果として「ヒト社会のあり方」がパンデミックで変化するのではなく、むしろその社会のあり方がパンデミックを性格付けるのではないか、というのだ。というと、今回の新型コロナウイルスは、今の社会のあり方から必然的に生まれたということである。すなわち、密閉、密集、密接の「三密」が揃いやすい社会だからこそ生まれた、感染症だということになろうか▲鼎談で注目されるもう一つの論点は、中国をどう見るかである。今回の事態の発生源になったことで、中国という〝AIによるデータ帝国〟の前途に暗雲が垂れ込めたと見るか、それとも結果次第では、「独裁の強み」が再評価されるかもしれないとの見方の対立である。私は前者の見方に与する。中国は恐らくどうあろうとも我田引水的主張を押し通すに違いないだろうが。また、山本太郎氏は「流行した感染症は、時に社会変革の先駆けとなる」としているが、それは「独立した事象として現れるわけではなく、歴史の流れのなかで起こる変化を加速するかたちで表出する」という。ということは、今既に我々の周りで起こっていることに、これからの社会変革のヒントがあるということだろう。さて、それは何なのか?目を凝らし、耳を澄まして考えていくしかない。(2020-4-1)

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