【347】3-⑤「新型コロナ禍」を10年前に〝予言〟━━高嶋哲夫『首都感染』

◆カミユ『ペスト』と小松左京『復活の日』に並ぶ

 この本の存在を知ったのはテレビである。新型コロナウイルスの恐ろしさを理解するために、との触れ込みでカミユの『ペスト』、小松左京の『復活の日』と共に紹介されていた。直ちに読んだ。まさにライブで現場中継を見ているように、ノンフィクションを思わせる凄まじい迫真性溢れる小説である。

 サッカーのワールドカップが中国で行われ、その観戦に世界中から40万人もの人々が集まっているちょうどその時期に、雲南省で強毒性のH5N1型の鳥インフルエンザが発生したとの設定。中国政府当局が発生の事実を隠したために、それぞれの自国に帰った観客によって一気に感染は世界中に拡大した。時は、20××年というが、まるで2020年のニューヨークを始めとする世界各都市のいまとダブって見えてくる。

 全身が鬱血し、身体中の臓器から出血し、血を吐いて死んでいくとの描写は勿論、今現実に起こっていることとは相違する。また、日本にあっては感染者がほぼ首都東京のみに集中し、それゆえ封鎖することで、全国に被害が波及拡大することを抑えようとする設定も違っている。だが、それ以外は多くの点で類似していて、気味が悪いくらいである。こんな小説を書く人物って、どういう人だろうと疑問を抱いて読み終えたのだが、成毛眞(書評サイトHONZ代表)の解説を読んでまた驚いた。

◆日本の課題の未来予測を小説で次々と的中

 この人は、阪神淡路大震災、中国でのSARS、東日本大震災の前に、『メルトダウン』『イントゥルーダー』『M8』『TUNAMI 津波』『ジェミニの方舟 東京大洪水』などといった小説を発表しているのだ。しかも、順序は大筋当たっている。つまり、それぞれの小説の後に、現実の災害があたかも対比するかのように、起こっているのだ。今回の新型コロナウイルスの蔓延は、この小説が書かれた10年後、少し間隔があいているが、成毛さんが言うように「じつは小説家ではなく、予言者なのではないか」との見立てもあながち絵空事とも言えないようにさえ思われる。少なくとも「天災を忘れさせないための警告の書であり、それ以上の災害が起るかもしれないという未来のノンフィクションでもある」とはいえよう。

 この小説、それだけではない。感染拡大に伴うロックダウン、首都封鎖といった緊急事態に人がどう対応するかに、ハラハラどきどきしながら読み進める中で、つい見落とされがちだが、親と子の抱える普遍的な問題についても、政治家、医者とその子の有り様を巡って考えさせてくれる。〝愛と死〟のテーマにも挑んでいるのだ。また、主なる登場人物の死という問題が発生しないと、小説としてはどうだろうか、と思っていたら、終わり近くに大きく浮上してくる。しかも、その結末たるや、意外などんでん返し風のことがオチとして登場する。加えて、劇的効果が見られるワクチンについても用意されており、救いもある。

 ステイ・イン・ホームが声高に叫ばれている今、色んな意味で読むにふさわしい小説である。と、書いたのちに驚いた。なんと、著者は私の身近に住んでおられたのである。私が友人と共に毎月一回神戸・北野坂で開催する「異業種交流会」の場で初めて会った。いらい3年ほど。ずっと親しくさせて貰っており、その著作も次々と読むに至っている。彼の他の著作を読んだ後に、現実が奇妙な展開を見せ符合してきた。

【他生のご縁 尽きることなき想像力と創造性】

 神戸市の垂水に今、高嶋哲夫さんは住んでいます。ここは私が昭和30年代初頭に通った中学校のある街です。この人は岡山県の生まれで、岡山駅近くにある文学館に独自のコーナーを持つほど、著名な作家となりました。先年ここを訪れ、その多彩な作品が陳列されているのに驚きを覚えたものです。ここで掲げた本以外にも私は『紅い砂』『首都崩壊』『EV』などの読後録を書いてきました。今の時代における根源的な課題に次々と挑戦する姿勢には政治家の端くれとして、心底から敬意を抱いています。

 つい先日も、異業種交流会で一緒したのですが、会うなり『乱神』上下2冊を贈呈してくださいました。これは日蓮在世の鎌倉時代を描いた歴史小説です。その領域の幅広さに改めて感心してしまいます。理系の人らしい自然科学への深い知見に基づく論旨展開には、読むたびに新たな気づきをいただくと共に、情報蓄積に役立てています。

 その仕事の奥深さに比べて、今一歩読者の数が多いように思われないのは何故か。口の悪い共通の友人が、流行小説に必須の濡れ場がないからだとか、女の描き方が弱いとか好き勝手なことを言っているのを聞きます。その側面はなきにしもあらずと思いますが、それを補ってあまりあるほどの、時代予見能力が彼の作品には、溢れています。

 ご本人は、データを積み重ね、分析すれば自ずと結論が導かれる、予言などという見方は当たっていないといわれます。政治家にもっと読んで欲しい、が口癖です。小説と共に、その作品のエッセンスを論考としてまとめたら、もう少し読まれるのでは、と私は勝手に想像しているのですが。

 

 

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