細谷氏は「どのような場合に平和が失われ、戦争が起こるのか」を歴史の具体的事例を通じて学ぼうと、第二章「歴史から安全保障を学ぶ」を書いている。ここでの彼の結論を一言でいうと、「急激なパワーバランスの変化、つまり力の均衡が崩れたときに戦争は起こり易く、他国と協調するなかで集団的に平和と安全は維持できる」というものである。具体的事例として、17~18世紀におけるフランスの軍事的抬頭とそれに対抗した英国の姿勢や、19世紀後半のドイツをめぐる第一次大戦、第二次大戦への動きなどを挙げる。そして現在のアジアでは、中国の軍事的突出と、日米の急速な影響力の低下が平和を破壊する要因だとする▼さらに細谷氏は、心情的に平和を願う「心情倫理」のみで現実の平和が到来すると信じる現代日本人を、「政治のイロハもわきまえない未熟児」(マックス・ウェーバー)だと、言わんばかりに厳しく指摘する。その背景には国際政治学の先達・故高坂正堯氏の言う「孤立主義的な体質」があるとする。これこそ戦前の日本を戦争に導き、戦後の独善的な「一国平和主義」を生み出した原因だというのである。尤も「孤立主義」という言葉を字面だけ見ると、反発する向きはあろう。日米同盟至上主義に凝り固まった姿勢のどこが孤立主義なのか、と。戦後日本の左右対立の構図は、お互いを「対米追従だ」いや、「一国平和主義だ」と罵り合ってきた。「孤立主義には甘美な誘惑がある。他者を無視して、自己の正義を語り、優越意識を楽しむ」ものだとの細谷氏の指摘を見ると、私自身の体内にも、その血が流れており、やがていつの日か米国からの真の独立を待望する思いが強いことを認めざるを得ない▼細谷氏は20世紀の国際社会は、一国単位ではなく、他国と協調するなかで集団的に平和と安全が維持できると考えるようになったという。そう考える一つのきっかけとなったのは、国際連盟脱退から戦争へと突き進むに至った日本の行動であったのは事実だ。ところがその教訓を日本自身が学ぼうとしていないことに警告を発している。昔ながらの「孤立」ともいえる「一国平和主義」にとらわれるべきではないというのだ。このあたり、戦後史の中で遅れて登場した公明党としては、旧左翼陣営に対して、思う存分主張してきた経緯が鮮やかに蘇って来る。ある意味、「一国平和主義」に凝り固まった社会党を打倒する先駆けとなったのは公明党だとの自負さえある。それだけに戦後70年を超えた今頃になっても「一国平和主義」的志向が根を断たれていない状況を見ると、心穏やかではないのである▼この章の結論部分で、細谷氏は「集団的自衛権を軍国主義や戦争と結びつける思考は、20世紀の国際政治の経験を無視し、国際社会の潮流を理解しない議論」だと断じる。そして「心情倫理」だけではなく、「責任倫理」をも視野に入れ、「平和と安全を得るために必要な要素を冷静に議論する」ことを強調する。このことは、今回の「安保法制」の前提となっている集団的自衛権の導入について、安倍自民党と山口公明党が片や認め、片や認めていないという「同床異夢」に基づいた「奇妙な玉虫色」であることと無縁ではない。集団的自衛権という言葉がいつの間にか「魔性」とでもいうべき特色を持つに至っていることに気付かざるを得ないのだが、ここには、公明党の中においても、細谷氏のいう「心情倫理」にこだわる姿勢が色濃く残っているといえよう。(2016・9・9)