死期が分からないからこその延命ー志村勝之『こんな死に方がしてみたい!』を読む(3)

私は若き日の一時期に憧れた死に方がある。好きな音楽(ベートーベンの第五交響曲「運命」あたり)をめいっぱいに鳴らしながら、ウイスキー(ビールやお酒、まして焼酎ではない)をしたたかに吞みつつ酩酊気分の絶頂で死にたい、と。ある作家のいまわの際に居合わせた担当記者の回顧談で読んだことの影響だ。だが、真面目に考えるとすぐわかることだが、そのタイミングが難しい。これから死ぬということが分かっていればいいが、大概はそうではない。だとすると、年中音楽を鳴らしたうえでアルコールを吞んでなければならない。死期がいつか分からないからこそ、ひとは延命をし、出来る限り生き抜こうとする。未だ寿命があるのに、見切りをつけるのはもったいないにもほどがあろう。それが客観的にジタバタして見えようがどうかは関係がないのである▼志村氏は、好き勝手に生きてきたご自分の姿をしきりに強調され、だからこそ好き勝手に死にたいということを繰り返す。その考え方に影響を与えた興味深い一冊の本を挙げられている。アメリカの知能心理学者・スタンバーグの『思考スタイルー能力を生かすもの』である。スタンバーグは、「個人の能力」を生かす大きな要因として「思考スタイル」なるものを見つけ、➀立案型➁順守型➂評価型を基軸としての三つの尺度だとしている。既存のルールに従うより、自分なりのルールを創り出すことが大好きなのが、立案型。その反対に、定められたルールに着実に従うことが大好きなのが、順守型。三番目の評価型は、ルールを創り出すのも、従うのも好きではなく、ルールを吟味することが好きだという。志村氏は自分が立案型だとし、様々な実例を挙げつつ、読者に何型か判定するよう迫っている▼私は紛れもなく評価型だと自認する。志村氏は立案型は評価型にストレスを感じ、両者は対極関係にあるという。尤もそう絵に描いたような分け方は出来ず、お互い重なり合っていると思われるのだが。恐らく彼が立案型のご自分を強調されるのは、いかなる大組織にも属さず、大きな物語にも影響されずに、自分で描いた生き方と死に方を勝手気ままにしていきたいとの意思に呼応するからだろう。その伝で行くと、私など大きな組織に属しながら、常に個人としての振る舞いに関心が趣く。同時に、大きな物語にこよなく捉われながら、同時に小さな自分だけの物語にも惹かれるという両面性を持つ。つまりは、常に「評価」をし続けているわけだ▼なかなかスタンバーグは面白いし、そこに着目した志村氏もなかなかだ。私はこの連載を読みつつ、志村氏を評価しながら自分をも評価し、最終的には自分の生き方と死に方をめぐる葛藤に結論をもたらしたいと思っている。70歳にもなって何をいまさらと言われようが、そこは「古希ン若衆」なのだから致し方ない。(2016・10・21)

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