上手く死ぬためにどう対応するか―志村勝之『こんな死に方がしてみたい!』を読む(2)

志村勝之氏のブログ「こんな死に方がしてみたい!」の第一章「死事(しごと)期から」は、全部で9回分(昨年の7月17日から8月4日まで)。ここではまず、彼は人生のスパンを5つの「しごと」期に分ける。いわく、始事期→司事期→仕事期→志事期→死事期である。彼のこのブログは、「新・隠居カウンセラー日記」と名付けられたHP上のコーナーにある。名称が示すように彼のブログ公開は長い歴史を持っているので、彼の持論である5つの「しごと」期なるものは、長年の愛読者にとっては自明のものだろうが、そうでないものには分かりかねる。これは彼としては珍しく不親切な記述の仕方だが、おおよそは、次のようなものだろう。始事期とは、ひととしての事始めの時期であろうから、誕生から幼年期をさすものと思われる。司事期は、社会人になる前の、つまり学校時代であろうか。そして仕事期とは文字通り仕事をする時代。イメージ的には会社での定年までの時間ということであろう。次の志事期は、定年後の暫くの時期に、ボランティアであったり、趣味を生かしてのなんらかの社会的貢献をしようとする試みの時代をさすものと思われる。そして最後の死事期は、文字通りいかに死ぬかを考え、準備する頃を指すものと思われる▼この着想はなかなかに面白い。あまり志村氏はひとの評価を気にしないひとだが、ここは、高名な医学者が彼の「死事期」という着想に、「やや皮肉をこめて」、「死事期ですか。これは恐れ入りました」と、インタビューをした際に述べた言葉を披露している。私にはこれは彼の自尊心を精一杯くすぐったものとして聞こえてくる。実は、このインタビューとは、彼が50代半ばになって、サラリーマン生活をしながら臨床心理系の大学院に入り、修士論文(「定年クライシスをチャンスに変えた男たちの成功事例研究」)を書くにあたって、5人(ある団体が論文募集をした際の受賞者から彼が抽出した人たち)に対して試みたもの。直接的には、志事期の生き方が対象となっており、今回の彼のブログは以下、死事期を対象にして縦横無尽に語っていこうとしているわけである▼さて、彼のいう「死事」とは、「決して『死』の事ではなく、「『上手く死ぬ』ための対応事」だという。何だか分かり辛い。普通のひとは、要するに「死」について四の五のいうのだろう、と思ってしまう。だが、彼は「死」を観念的にあれこれひねくり返すのではなく、どのような死に方をすれば「快適に」死ぬ事が出来るかをリアルに表現しようと言うのである▼一言で結論を訊いてみよう。いったい、貴方はどんな死に方がしてみたいんだ、と。志村氏は「手遅れ死。孤高死。自然死」だとキーワードを三つ挙げている。これは、「延命、孤独(孤立)、自死(自殺)」の三つと対極にあるものだろう。私風に解釈すれば、「死期が近づけばジタバタせずに従容として死を受け入れよう」ということに相違ない。こういってしまえば、なあんだ、と思われる向きが多かろう。しかし、これがなかなか難しい。(2016・10・17)

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