(183)直観、内観的な方法の偉力ー志村勝之『こんな死に方を…』を読む(7)

元外交官にして今を時めく大作家・佐藤優氏の『地球時代の哲学 池田・トインビー対談を読み解く』はまさに覚醒の書である。かつて彼が一外務事務官であったころに面識はあったが、今日の彼の”知の巨人”ぶりは、片鱗さえ知る由もなかった。彼の『創価学会の平和主義』なる新書に、私の衆議院時代の委員会でのある発言が取り上げられている。これを要するに『論語』の「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」を実行した私を、創価学会の持つ文化的風土の角度から紹介してくださっているのであって、私的には特段褒められたことではない。これもまた恥ずかしい限りのことではある。その佐藤氏が今では、『池田大作 大学講演を読み解く 世界宗教の条件』や、小説『人間革命』や『法華経の智慧』などを材料に、立て続けに「池田思想」を丁寧に高く評価しておられるが、その先陣をきったものがトインビー氏との対談『二十一世紀への対話』である▼私がこの対談を改めて自覚的に読んで啓発を受けたところは、枚挙にいとまがない。特に西洋の哲学は主に人間の意識を取り上げているが、それは人間精神の一部にしかすぎず、無意識の領域にメスを入れない限り、生命の全体像は浮かび上がってこないとされているところを挙げたい。そしてトインビー氏と共に、池田会長は「科学における偉大な発見が、偉大な芸術家のひらめきと同様、直観であるのは不思議な事実です」「意識現象の検討から下される深層心理への類推よりも、インド的な、内観的な方法のほうが、正しい認識をもたらす可能性があるというのは、十分に説得力のある主張です」と述べられ、直観、内観的な方法を推奨されている▼そして佐藤氏は「内観とは、時間や空間の次元を超えた、物事の本質を瞬時に、言語化、論理化することなしにとらえることだ」などと解説を加えながら、対談の深い理解へと読者を導く。「理性万能主義は人間を不幸にする。目に見えず、耳に聞こえない、われわれの世界を成り立たせている本源は、直観によってしかとらえることができない」と池田会長が強調していることを紹介。「トインビー氏も池田大作氏が説く『直観の哲学』に知的触発を受け、議論を深めていく」といった描写ぶりには胸躍るものさえある▼もう一昨年のことになるが、志村氏と一緒に電子書籍での対談『この世は全て心理戦』(キンドル)を出版した。これは彼の心理学への薀蓄をかたむけて貰った面白い本だ。私が尊敬してやまない姫路市の元医師会長の石川誠氏がこれを読んで、「志村さんというひとの心理学への造詣ぶりは凄いね。興味深くて一気に読んだよ」と褒めて下さった。その中で、私が先ほども触れたように、日蓮仏教の方法を述べたことに対して、志村氏はこう述べている。「お題目をもって、ご本尊をしっかりと拝んでその境地を得ようとする。それによって、宇宙根源の法を内奥から顕在化することを目指す。これもひとつの観想、瞑想修行になると思うなあ。同じ言葉を大きな声で繰り返していくときに、必ず『変性意識』が現れてくる」「『宇宙根源の内奥』に迫るまでの道筋が解らないから、理屈が好きなオレには何とも言えないところがあってね。その先にはどういうプロセスがあって、果たしてそこに何があるのかな?って」ーこういう彼の言い分、疑念に対して、私はこう応じている。「ある一定の線までは理屈で解っても、そこから先は、動かしがたい体験をつかむということで、信ぜざるをえないのだね。『宇宙根源の内奥』を把握するメカニズムは、理屈での説明よりも実感的会得でしかないというのが、信仰生活50年の結論だね」、と。ここには、理屈を積み上げて考える普通の人間と、直観、内観的世界に浸ってきた宗教的人間との交じり合わない実態が色濃く出ている。興味持たれる向きはぜひ対談電子本を読んでいただければと思う。(2016・10・30)

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