(217)不安定な筋、頭がこんがらがる内容 を噛み砕くー丸谷才一、大野晋『光る源氏の物語』下巻を読む

『源氏物語』を私に読むように勧めてくれた尊敬する姫路の著名なお医者さんのことは先日少し書いた。長きにわたり読めないでいたのだが、解説本とはいえ、ようやく読み終えたことを報告できるまたとない機会を得たことも。その日までに丸谷才一、大野晋『光る源氏の物語』上下二巻を読み終え、その読後メモを用意することを密やかな企みとして、当日を迎えた。「知的巨人」と深く敬愛する地域の大先輩に”ご恩返し”するまたとない機会を私らしく工夫したしだいだが、かの源氏の読み方(a系b系さらにはc系d系と分けられるということ)を同先生がご存知かどうか。これはもう五分五分と見るしかなかった。この説を認知する向きは、「源氏学会」においても少数派であるとはいうものの、竹田宗俊氏の発表以来65年程が経っているだけに、である。知っておられたらあまり面白くはない話だが、仮にご存じなかったら、これはもうぞくぞくするくらい興味深い、と▶それにつけても、この物語を解説する二人の対談は変てこりんという他ない。なぜかといえば、(下)でいうと、「若菜」では「これを読まなければ、源氏を読んだことにならない」と絶賛したかと思えば、そのあとに続く巻では「この巻では作者がくたびれてる感あり」(鈴虫)とか、「不明なところがままある」(幻)し、「筋が不安定で安心して読めない」(紅梅)やら、「頭がこんがらがる」(竹河)とも。挙句の果ては「題があるだけで本文なし」(雲隠)というのだから(中身はタイトルの如く雲隠れしたのか)。そのくせ、「浮舟」では「俄然事態は動く。本当に見事な巻」とくるので、油断しているととんでもないことになりそうだ。せんじ詰めれば、いわゆる「宇治十帖」なるものは、「宇治は憂路に通じ、光が死んでしまったあとの光のないくらい世界」のことで、「女にとって男との間に幸せはないという主題」が込められている、と。そして「宇治十帖」は「どうも文章がズルズルと続いていて、力強さがない」し、「美が乏しい」と強調されている。こうくると、なぜ『源氏物語』が世界文学の最高峰なのか、理解に苦しむのだが、そこはもう随所に目くるめく様な仕掛けが施されていると思うほかない▼そのあたり、あとがきの大野晋氏と丸谷才一氏のツーショット解説が抜群に読ませる。大野氏は『源氏物語』には、「光源氏と数多くの女性とのことが描かれていますが、第三十三番目の「藤裏葉」という巻で」区切られ、そこまでに登場する4人の女性(空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘)とのかかわりの部分を全部抜き去ってしまっても、残りの部分は一貫した物語としてよく読める」、いやそれどころか「その方がむしろ明瞭に筋がたどれるというめずらしい事情がある」というのだ。加えて「本書を読まれるときに、まず谷崎潤一郎さんの現代語訳でなり、ともかく最初に執筆された十七帖(a系)をまず読み通してみて頂きたい」と。そのうえで、この対談本を読むと「お互いが響き合う」とおっしゃる。確かに、この対談では、「閨房のこと(男色を含む)についてまことに熱心に討議して」(丸谷)おり、実に味わい深い。そこは瀬戸内寂聴さんの「学者と実作者の源氏物語の斬り口」なる解説が何よりも裏付けていよう。「私の引用が閨房のことばかりに偏したのは、この点をお二方が最も熱心に扱われたからで、私が特に好色のせいではない」とは、よくぞまあ。彼女が好色の塊であることは天下周知の事実なだけに、大いに笑える▶さて、冒頭の疑問に戻ろう。私の尊敬するお医者さんは当初、そんな説(abcdの4系列に源氏物語が分れるという)って、いつ誰が言ったのですか、と訝しげだった。そう、ご存じなかったのだ。私はそこで長きにわたってのこの物語への疑問を投げかけた。「で、先生は『源氏物語』を読まれてすっきりと筋立ては解られてたのですか」と。「いやあ、解らんよ」、大体そういう読み方はしないんだよという意味のことを続けられた。これですべては解けた。これだけ私にはちっとも解らん小説なのに、なぜ愛読しているひとがいるのかとの疑問が。寂聴さんが「いかに自分がこの名作をかいなでにしか読んでいなかったかを、肝に銘じてほしいものである」と結んでいるが、恐らく源氏物語読者の99%までは解らないまま、その魅力に嵌っているに違いない。ようやくスタートラインに立った私が、どうこれからこの物語に立ち向かうか、新たな喜びに胸がときめいている。(2017・7・5)

●他生の縁 小澤征爾氏との師弟関係のツボを知った出会い

丸谷才一さんとの出会いは、一回だけ。桐朋学園設立記念の会合に、同校を母校とする妻と一緒に出かけた時のことです。教え子に当たる小澤征爾さんが挨拶に立って、「丸谷先生に私は英語を習いました。そのお陰で未だに英語が上手くなりません」とやったものだから、場内大爆笑。

その少し後に、私はご挨拶したのですが、余韻漂うなか、なんだか丸谷さんも妙に嬉しそうでした。(2022-5-15)

 

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