(6)古事記を読み、ひとの誕生に思いをめぐらす

今月からは、日本の古典に挑戦していきたいと思います。一つの代表的な古典を読んだうえで、その中身の基本を抑えるとともに、私の印象やら捉え方を披露します。またその古典を解説している本についても読後感を述べたりしたいと思います。関心のおもむくままにあれこれと連想する流れを記していく手法です。試行錯誤していきます。うまくいくかどうか。どうかお付き合い宜しくお願いします。一回目は、日本最古の書物である古事記(口語訳 三浦祐之)です。

古事記って何かということをまず抑えます。必要最小限のものに限って。これがまとめられたのは、712年(和銅5年)です。太朝臣安万侶が元明天皇の命によって完成させたとされています。元明天皇は奈良時代前期の女帝で、在位は707年から715年。古事記の他に諸国の風土記も手掛けさせた人です。全部で三巻。天地の始まりから、推古天皇まで。上巻は、神々の時代が描かれ、中巻は神武天皇から応神天皇まで。下巻は仁徳天皇から推古天皇までの事績やら系譜が描かれています。

さて私の関心の第一は、人間、ひとの誕生についてここではどうとらえているかということです。冒頭に「泥の中から葦芽(あしかび)のごとくに萌えあがってきたものがあっての、そのあらわれ出たお方を、ウマシアシカビヒコヂと言うのじゃで、この方が人々の祖(おや)と言うことも出来る」とあります。このウマシアシカビヒコヂとは、立派な葦の芽の男神の意味で、人間の誕生をイメージしていると思われます。さらに、「汝よ、われを助けたごとくに、蘆原の中つ国に生きるところの、命ある青人草が、苦しみの瀬に落ちて患い悩む時に、どうか助けてやってくれ」と。命ある青人草との表現に、ひとは草である、植物の仲間なんだとの発想がうかがえるとするのが専門家の捉え方です。このように植物を人間の祖先と考えたことについて、訳者の三浦さんは「日本列島が湿潤な気候の中にあり、「いのち」の誕生を、草の芽吹きと重ねて感じる心性が生じやすかったからではないか」と言います。

また、「天と地とがはじめて姿を見せた、その時に、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出た」とのくだりが注目されます。”成り出た”という表現には、作るとか生み出すとかといった表現とは異種の趣きを感じざるをえません。意志あるものが主体的に行動を起こすことではなく、自然な流れの結果といったイメージを感じます。

ひとは草である。あるいはまた、ひとは何者かによって作られたり、生み出されたりするのではなく、自然に成り出てくるものだ。こうした捉え方は、日本古来の独自のものでしょうか。それとも他の地域、人々の影響を受けているものでしょうか。そう考えていると、これまで読んできた本を思い出しました。

梅原猛さんが『人類哲学序説』の中に書いていました。なんでもかんでも人間が中心だとしてきたから、ここへきて、自然から反逆を受ける結果を招いている、草木国土みな人間と一緒なんだとの発想がとても重要だ、と。これは、梅原さんによると、天台本覚思想にある「草木国土悉皆成仏」というもので、この世におけるあらゆるものはすべていのちを持っているという考え方です。彼は、これこそ21世紀をリードする新たな人類哲学の基本におかねばならない重要なものだとし、残された人生をその哲学の展開に賭けるとまでの意気込みを示しておられます。

ところで、天台本覚思想というものは、日本の天台宗に端を発しますが、勿論おおもとは仏教です。仏教といえば、ルーツはインドです。しかし、「草木成仏」はインド発ではなく、またメイドイン日本でもなく、中国が発想元だと言います。植木雅俊さんの『仏教、本当の教え』には、印、中、日の文化比べが試みられていますが、この点についても興味深い比較が出てきます。

インドでは「動物と人間は大して変りないと思われている」から、「動物も解脱は可能だと考えられていた」が、「『知』もなく、『感覚』もない草木に、成仏は無理なことだとされていた」のです。かの地では、この世において存在しているものを、有情と非情にわけ成仏の対象は有情のみとしていることを指摘しているわけです。ところが、中国の天台宗で、草木や国土、山や川までも成仏したり、あるいはできないということが言われだしたといいます。日本では、さらに徹底され草木はもともと成仏しているのだから、改めて成仏する必要はないとまでする考え方があるといいます。つまり草木国土は成仏をすでにした結果であって、これから目指すべき対象ではないということでしょうか。ともあれ、現代人からするとなかなかついていけないところです。植木さんは前述の本で、その辺については「日本の自然が豊かで、自然の恵みと人間のつながりの密接さから出てきた言葉ではないかと思われる」としています。

古事記がまとめられる前に遡ること150年くらいの6世紀半ばに、仏教は日本に伝わりました。したがってこうした、人は草であるとのとらえ方はその影響を少なからず受けたと言えるのではないでしょうか。

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