(233)近現代史を見る眼から鱗が落ちるー井沢元彦『逆説の日本史23明治揺籃編』を読む

待望の『逆説の日本史』の23巻が発刊された。週刊ポスト誌上で連載が始まってからだと、およそ25年が経つ。今もなお連載は続いている。今回のものには、「明治揺籃編」と名付けられており、まだあと10年は続くかと思われる。一方で、『逆説の世界史』もネット上で連載が続いており、出版も既に2巻目。著者の井沢元彦氏は元TBSの記者にして作家で、63歳。恥ずかしながら当方は読むのだけでも大変。よくぞまあ、と呆れる。この人とは会ったことはないが、テレビで時々目にする限りでは、喋りよりも書く方が鋭いと感じさせる。ただ、鋭すぎて既存の歴史学者を始め、数多の既成の”知識人の正説”をなで斬り。従って敵も多いように見受けられる。わたし的には知的刺激を十二分に頂き、極めて参考になるだけに御身大切に、と祈る思いではある▶以下、3つの章で私が感じ入ったさわりを紹介したい。第一章「近現代史を歪める人々」で、血祭りにあげられているのは元朝日新聞社主筆。韓国の朴槿恵前大統領の不正疑惑問題についての同主筆の言動を克明に紹介したうえで、「ジャーナリストにとって基本中の基本である『ウラを取る』という作業を行なわず、その上でジャーナリストにとってもっとも禁物である予断と偏見をもって事態を決めつけた、愚かで滑稽な人物」と結論つけている。朴槿恵氏が韓国史上初めて弾劾制度で罷免された今となっては、今は亡き主筆氏としてはぐうの音も出まい。死者に鞭打つことを避けようと、名前すら伏せる私など甘すぎるのに違いない。この章はいわゆるマスコミの常識に踊らせられている人々にとって、目から鱗が落ちるであろう。今までこのシリーズを読んでいない人は、この巻だけでも読むに値するとお勧めしたい▼第二章「琉球処分と初期日本外交」では、「琉球処分」ではなく、琉球の「奴隷解放」だとの「逆説」には首肯できる(但し、このくだりは『沖縄歴史物語』の伊波普猷氏の指摘に全面依存しているのだが)。三百年もの長きにわたって「奴隷制度に馴致されていた沖縄人」が遂に解放されたとの捉え方だ。政治的中枢を「中国」に毒されていた琉球(沖縄)が、日本によって目覚めさせられたという観点は重要だ。この辺り、井沢氏の持論である「朱子学の中毒」というキーワードを駆使しての解説が極めて分かりやすい。今まで沖縄の後進性について、私は「日本政府の差別」に起因すると捉えてきた。”朱子学のせい”という視点は殆どなかった。中国や朝鮮半島と同様に、「朱子学の陥穽」から逃れるのが遅かった沖縄と、比較的早くそれから逃れた日本という対比の仕方は、それなりに面白い▼第三章「廃仏毀釈と宗教の整備」も、私にとって実にためになる思索のポイントを得ることができた。これまで私は明治維新以後、科学技術分野での遅れを取り戻すために、ひたすら明治政府は科学振興に走り、精神・思想分野での対応が等閑(なおざり)であったとの見立てに終始してきた。しかし、井沢氏は明治政府は欧米列強に負けないために「神道+朱子学」という新宗教の樹立に向けて宗教整備をしていったと指摘する。その一つの柱が教育勅語であり、もう一つが神仏分離であり、廃仏毀釈だ、と。日本は、「キリスト教+欧米の哲学」を無批判に受け入れ、古来からの宗教や思想との融合を試みてこなかったとの観点は揺るがない。だが、その背後に日本としての宗教整備がそれなりにあったとの視点は私には希薄だった。勿論、その宗教整備の誤りがその後の日本文明の進展を誤らせ、「侵略戦争」へと駆り立てていったことは疑いがない。このあたりは大いに考えさせられるものがある。尤も、この章での井沢氏の「法華経」理解の浅薄さは気になる。日蓮仏法へのアプローチの仕方はことのほか弱い。今後どう修正されていくか興味を持って見守りつつ、私自身の持論を補強し確立してやがて世に問うていきたい。(2017・11・29 加筆修正)

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