ここ数年、日蓮仏法と創価学会をめぐる思想的位置付けを始めとする論考で注目される人が二人いる。評論家で元外務省主任分析官の佐藤優氏と、僧籍を持つ仏教学者の松岡幹夫氏である。前者はバリバリのキリスト教徒。後者は若き日より日蓮仏法を学び、創価学会を内側から見てきた人である。今回は松岡幹夫『日蓮仏法と池田大作の思想』を新聞書評で知って、急ぎ読んだ。一読、深い感銘を受けるとともに、この本こそ「世界」の解釈に勤しむ多くの人々に読まれるべきものだと、強く推奨したい。まず不明を恥じることは、この本は元々八年前に出版されており、今回新たに加筆修正のうえ、再出版されたものだという点である。知らなかった。もっと早く読んでいれば、と思うことしきりである■佐藤優氏が同書巻末の「解説」において、強く感銘を受けた箇所を二つ挙げている。一つはヴェトナム戦争において軍人の信仰者がどう従軍したかという点についてのエピソードであり、もう一つは「人間」重視の池田思想の具体的展開についての記述である。前者は、私も若き日に議論したテーマであり、『新・人間革命』11巻に登場したものだけに、佐藤氏ならずとも惹きつけられた。賢明な祈りにより、撃つべき大砲が故障し、戦地にあっても不殺生の実践は貫けた、とする展開は心に迫る。「存在論的平和主義」の実例としていることが興味深い。後者は、「天安門事件」で苦しむ中国民衆や、「イラク」での大衆の苦悩に対して、イデオロギーの次元でなく、生きた人間の味方であろうとする池田思想の在りようとして、挙げている。いつもながら彼の眼力は鋭い。そこで、私もこの佐藤氏の手法に倣って、感銘を受けた箇所を三つ挙げてみたい■一つは、日蓮の他宗批判の真意であり、創価学会の排他主義的イメージはどこから来るか、というおなじみの問題である。松岡氏は、「法然の諸経に対する排斥の言が枚挙に暇がなかったゆえに、日蓮が反批判をした」のであり、「法華経の心に立って全てを生かすのが日蓮の立場であった」と指摘する。「排他的な日蓮仏法」というのは、浄土宗の側からの執拗な法華経攻撃への反論だったとの主張は、意外に盲点を突いているものと思われる。同時に創価学会の持つイメージは、反人間主義的攻撃への応戦がもたらすものだとの言及にも刮目させられた。二つには、創価学会の思想的本質に即した見解について、「多一主義」としていることだ。この「多は即ち一」とは、多様な側面を持つ世界も、結局は法華経=妙法の力という一つのものに帰着するとの捉え方だ。学問的観点からどうしても多元主義や包括主義にとらわれがちなのだが、それだけではないとする論理展開に驚きを禁じ得なかった。三つは、多一主義の具体的な展開のあり方は、人間主義だとしている点だ。その人間主義はいわゆるヒューマニズムではなく、「人間生命を宇宙生命と見る思想」だ、と。「『法に厳格』であるほど、『人に寛容』になる」し、「自然も尊重するようになる。それが創価学会の信仰の構造なのである」との捉え方は実に深い。ただし、我が日常に照らして、歯痒い思いがすることは否めない■最終章の「人間主義の宗教」において、松岡氏は日蓮仏法と創価学会の思想の解明を渾身の力で捌いてくれている。読むものにその想いがひしひしと伝わってくる。これまで50有余年の長きにわたり、信仰を続けてきながらも、旧態依然とした安易な仏法理解でしかなかった自身のだらしなさを恥じ入る。また、創価学会や池田SGI会長の思想についても、その卓越性を十分に説明しきれなかった自分がもどかしい。今回この本を読むことで、自らの理解を進めることの重要性を改めて自覚した。池田会長の思想を遍く知らしめる戦いの重要性を実感しながら、これまで佐藤氏や松岡氏らを始めとするごく少数の先達に任せるのみだった。今後多くの人の登場が期待されるが、この書物は紛れもなくその作業に先鞭をつけるものといえよう。(2018-8-7)