(8)恋愛の文学の源流はここから ──万葉集を読む

これまで二回にわたって古事記について思いを巡らしてきましたが、いずれも仏教との関わりについて触れました。これは、古事記が日本独自のものとして強調されすぎ、先の大戦にあって日本書紀と並んで皇国思想のバックボーンになってきたことへの違和感を示したかったからです。私としては、古事記については仏教だけでなく様々の外来思想の影響を受けて出来上がったものだということを指摘し、あまり日本古来からの独自性を強調することは意味がないと言いたかったのです。それはここでこと改めて持ち出さずとも、古事記よりも先に誕生した「十七条憲法」の淵源を見れば明らかです。

聖徳太子の作だとされる「十七条憲法」は大化の改新のイデオロギーを要約したものとして著名ですが、これは、統一国家の原理を儒教的概念を使って述べていることや、仏教を普遍的な原理とみなしていることでも知られます。前者は、上下関係と下の上への服従の義務を説いていますし、後者では、仏、法、僧の三宝を敬えとしていることに触れるだけで十分でしょう。冒頭の「和をもって貴しとなす」でさえ、儒教、仏教の影響と無縁ではないとするのが一般的です。

古事記から始まる日本文学史を学ぶうえで、欠かせぬものとして「小西甚一氏の『日本文藝史』およびドナルド・キーン氏の『日本文学史』の二つが圧巻です」と薦めているのは、大岡信氏です(『あなたに語る日本文学史』)が、これに加えて私なら加藤周一氏の『日本文学史序説』を挙げたいところです。加藤氏はつい先ごろ亡くなられてしまったのは誠に残念ですが、「知の巨人」と呼ばれるに相応しいひとでした。かつて、政治絡みの発言は左翼志向が強すぎるとして敬遠するきらい無きにしも非ずでしたが。

加藤氏は、古事記や日本書紀について、「早くも七世紀以前の大衆の土着文化の一面と、七世紀末から八世紀初にかけての宮廷知識人の学んだ外国文化とが、出会っていた」としたうえで、単純に大陸の風に倣ったのではなくて、「話の語り口そのものに土着の精神の構造があらわれている」と述べています。それはどういうところでしょうか。加藤氏は、その語り口の特徴は、「本すじからの脱線であり、部分的な挿話を全体の均衡から離れて詳しく語る傾向である」としています。「中国の伝統的思想は先ず全体の秩序へ向かう」から日本土着のものの考え方とは違うというわけです。なるほどそういうものかもしれません。日本の大衆はあれこれ回り道をすることに興味を持つ傾向があることを思い起こします。加藤氏はその辺について「だから、『古事記』は、今日の読者に文学として面白く、王朝の学者・読者に、歴史として、またイデオロギーの表現として、不満足なものであった」と微妙な言い回しで語っており、印象的です。

古事記のなかに登場する神話の数々のうち、多くの日本人の心に残るのは、出雲の神オオクニヌシにまつわるものが多いようです。鰐を騙した白兎が赤裸にされ、海水で洗った後、風にさらせとの誤れる忠告によって、ますます苦境に陥ってしまったところをオオクニヌシに助けられる話など最たるものです。前回に見たように、淡路島が”出産”に関することだけであっさりと終わっているのに比して、出雲は国造りから国譲りへとドラマティックな展開が用意されている分、後世の町おこし、地域おこしにとって断然有利な位置にあることは確かでしょう。しかし、だからといって引き下がっているだけではいけないと思います。国生みの地も、対抗心を燃やして想像力豊かにいきたいものです。ことし瀬戸内海の島々で開かれた「瀬戸内国際芸術祭2013」など、国生みとのリンクがなされていれば良かったのに、と今頃になって悔やんでいます。

加藤周一氏は古事記のなかで「もっとも美しく、もっとも感動的な部分は、ほとんどすべて恋の話である」としています。また、ドナルド・キーン氏も、「古事記に収められている説話で最も面白いのは、民話や寓話である」としたうえで、恋愛物語にその真骨頂を求めています。古事記といえば、これまでは軍国主義と天皇崇拝の影響下にあった頃の名残りが尾を引いていました。古事記が歴史書ではなくて文学作品との位置づけがなされたのが高々百年足らず(1925年と見なされています)であってみれば、仕方ないとはいえましょう。ましてその後にあの大戦の時期がすっぽりと入っているのですから。

しかしもう今は違います。ようやく古事記がまっとうな文学作品としての脚光を浴び始めてきたのです。キーン氏は、文学研究者たちが「単に現存する最古の日本語書物というだけでなく、将来の文学的発展の種を内に秘めた文学作品としての位置づけ」を模索しはじめたことを、高く評価しています。かつての暗いイメージで古事記を語るのではなく、むしろ明るい国造りを、恋と共に語る時がやってきたとの予感がします。先ごろ亡くなった丸谷才一氏(このひともまた凄い)は、中国には性愛をめぐる好色文学はあっても、日本文学における恋愛小説は見いだされないとの趣旨を『恋と女の日本文学』で述べていたことを思い起こします。

その恋愛小説の源流こそ、実はこの古事記に端を発しているといえるのです。このあたり、中国との文学比較論争をしてみせることが大事ではないか。尖閣列島を巡っての軍事力拡大論争にはまるよりは、よほど楽しいのではないかーこんなことで締めくくると、お前はいつ平和ボケになったのか、何を寝言みたいなことを言っているのか、と現役政治家から言われそうです。

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