(270)防衛通への変身に見る政治家の真骨頂━━佐瀬昌盛『むしろ素人の方がよい』を読む

 先年、徳島商業高校を表敬訪問した際に、森本泰造校長(当時)が校庭の一隅にある三木武夫元首相の顕彰碑に連れていってくれた。思わぬ喜びだった。三木は、「三角大福中」と呼び慣わされた自民党の領袖のひとりでありながら「クリーン」を売り物にした特異な政治家だった。私が選挙戦で二度まみえた河本敏夫(元通産相、元経企庁長官)の政治家としての師匠筋にあたっていたからでもある。偶々読みさしにしていた佐瀬昌盛『むしろ素人の方がいいー防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』の中でしばしば登場していたことも手伝った。

 書棚に逗留していたものを、一気に読み進めることになった。もちろん、この本における主人公は三木武夫ではない。坂田道太である。一般にはあまり知られていない人だが、厚生、文部、法務の各大臣、衆議院議長を歴任した間に防衛庁長官に就任した。その時の首相、つまり任命者が三木武夫だったのである。佐瀬昌盛は長く防衛大学校の教授を務めた人で、『(新版) 集団的自衛権』(同名の著作がある)を解説させてこの人の右に出るものはいない。精密な論理構成に基づく論争力には定評がある。その佐瀬が坂田への限りない愛着の思いを込めて書き上げた本がこれである。

 「専門家の防衛論から国民の防衛論へ」と引き寄せ、「戦後日本の防衛政策と自衛隊を振り返る一冊」として読まれるべき名著だと思う。単に「防衛」に関する造詣を深めるために役立つだけではない。政治家という存在を考えるうえで、この人こそ目標とされるべき人物かもしれない。丸眼鏡で長身、学者然とした坂田はいわゆる文教族で、防衛畑とは無縁の人であった。その彼が昭和49年末に長官に就任以後、「防衛を考える会」を発足させ、そこでの学者、文化人らとの議論を通じて、自ら猛烈な勉強を始めた。やがて「防衛」に成熟し、そして精通していった。

 その結果、「所要防衛力構想」(状況に応じて対応するもの)から「基盤的防衛力構想」(あるべき基盤を形成するもの)へと、防衛政策の大転換を成し遂げた。それだけではない。防衛力整備計画を改めて『防衛計画の大綱』を策定、『防衛白書』の作成から日米防衛協力の枠組み作りをも推進したのである。在任期間は歴代最長の747日(庁と省を跨いだ石破茂を除いて)。その間に、ロッキード事件が発覚。いわゆる「三木降ろし」騒動やら、ミグ25機が函館空港に強行着陸する問題が起こった。

●文学青年の面影漂うエピソード

昭和51年末の三木内閣退陣と共に、坂田は離任するのだが、実は公明党もこの年、党内での防衛大論争でてんやわんやだった。挙句に「自衛隊を認める」など防衛政策の〝小さいが確かな〟転換を成し遂げた。市川雄一元書記長(当時安保部会長)の英断によるものだった。「防衛費のGDP1%枠」など、この頃決められた国の方針を巡っての論争を、懐かしく思い起こす。自社二党による〝不毛の防衛論争〟と揶揄られた時代から、与野党間の多少は噛み合う議論への転換期でもあった。

 佐瀬の筆致は限りなく坂田に対して優しい。あまりにも酷い昨今の政治家の堕落ぶりに比して、その姿勢が屹立して見えるからだろう。三木首相への風当たりの強かった頃に、中立を貫く記者会見をする場面や、シュレジンジャー米国防長官の二度に及ぶ訪日を通じての人間的交流。坂田の奥深さが滲み出るかのように描く。言葉を重んじる政治家の真骨頂とでも言うべきスピーチや数々の文章の紹介も胸を打つ。何しろ、シュレジンジャーとの招宴での冒頭に「会いたい会いたいと待ち焦がれていた人に会えてその喜びを噛みしめているというのが今の私の気持ち」と挨拶をしたという。

 「こんなに純粋に自分の気持ちを会談相手に語った防衛大臣は坂田を措いてはいない」など、文学青年の面影を漂わすエピソードの数々は心和む。坂田は人から揮毫を請われると「人が先、自分は後」と書いた。人を押しのけて前に出ることを厳しく戒めたのだ。これは数学者・岡潔の『春宵十話』からの借用に端を発している。こうした余談も、坂田の人となりを彷彿とさせて余りある。佐瀬はこのあたり、「前へ出たがるタイプだった三木武夫」との相違をさりげなく書き込んでいる。ともあれ、私は、この本から政治家のあるべき姿を真底教えて貰った気がする。(敬称略)

【他生のご縁 佐瀬昌盛対中嶋嶺雄の対決の帰趨】

佐瀬正盛さんとは一度だけ、重要な出会いがありました。中嶋嶺雄先生と佐瀬さんとの某総合雑誌上での論争を巡って、私の感想を伝えたのです。一言でいえば、勝負は佐瀬さんの勝ち、だったと。これには当然ながら、満足そうにうなづかれたのが印象的でした。

私としては、自分の学問上の師の負けを認めざるを得なかったのには辛いものがありました。しかし、それを補ってあまりある論旨展開の佐瀬さんの見事さには天晴れという他なかったのです。

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