明治維新ではなく、幕末維新。150年前の日本の政治の仕組みの根源的変革をこの本ではそう呼ぶ。改メとは、検証の意であろう。明らかに薩長土肥による明治新政府の側ではなく、旧江戸幕府に身を寄せたものの見方に立っている。すなわち、戊辰戦争の敗者の側からのものだ。中村彰彦『幕末維新改メ』は、このところ目立つ「反薩長史観」の源流をなす事実を書き連ねた、ある意味で読みやすい本である。「司馬史観」と対(つい)にして、「中村史観」とさえ呼ばれる一連の著作の最新版になる■いくつかの印象に残る記述があるが、それらに一貫して流れているのは、維新史を東西双方に分け、対立する視点で捉えようとする試みである。西郷隆盛については、東の(著者は栃木県の人)スタンスで、明らかに冷たい。その最期の場面。「降らんと欲する者は降り、死せんと欲するものは死すべし」との全軍解散令について、生きるも死ぬも勝手にしろ、と兵たちを突っ放した言い方だと、厳しい指摘。「責任はおれたちがとる、若い者は堪えて生きろ、そしておれたちの思いを後世に伝えてくれ」という思いが欠如している点に西郷の限界がある、とも。しかし、今日では過剰なまでの西郷を称える動きに事欠くことはないだけに、西郷たちの思いは十二分に今の世に伝わってると思うのだが、どうだろうか。むしろ、西郷の最期にあって「首なし遺体にはフィラリアに由来する陰嚢水腫が顕著」で、「赤ん坊の頭部台大に腫れており、陸軍大将となっても乗馬不可能なからだになっていた」とまでリアルに描くことはないのではと、いささかの反発を覚える■この本だけではなく、反薩長の観点で書かれたものに必ず登場するのは、象徴的存在としての世良修蔵なる長州人である。その会津での極悪非道の数々については、ここではもう触れない。それに比し如何に会津の人々が苦しみ、不条理に堪え、明治の世の最後まで頑張り抜いたかについて、山川浩、健次郎兄弟、佐川官兵衛らに加え、山川捨松、柴五郎らを登場させて描ききっている。涙とカタルシスで爽快感を誘うまで。そのような中で、わたしは残念ながら、立見尚文という桑名藩士は知らなかった。後に、日清、日露戦争で活躍し、欧米の評価にあって、最大のヒーローとまで言わせるほどの卓越した戦術家だったという■徳島・蜂須賀家と淡路・稲田家との反目や、幕末に誕生した長州傘下の浜田、鶴田、香春、岩国藩など4つの藩のエピソードなどもこの本で初めて詳しく知った。特に稲田家の北海道移住に材を得た歴史小説として船山馨の『お登勢』が挙げられているのは興味深かった。かつてこの小説を巡って、尊敬する先輩が若き日に「第三文明の小説とは船山さんのこの小説を指して言う」などと激賞し、公明新聞の連載小説を彼に依頼していたからだ。一方、長州の高杉晋作の「奇兵隊」はプラスイメージで捉えられてきたが、ここでは金にルーズであったことや被差別部落への差別などの負の実態を克明に描き、幻想を打ち砕く。とりわけ民主党政権の元総理の菅直人氏が自らの内閣を「奇兵隊内閣」と自讃したり、奇兵隊と書かれた幟を作って総選挙に立候補し落選したタレントがいたことなどに触れ、山口県出身のくせに事実を知らない、と手厳しい。水に落ちた犬を叩きたくないが、自らの寄って立つ基盤の歴史を知らないことは恥ずかしい限りではある。(2018-9-2)